第2章異世界編
第19話 異世界への来訪者
気が付くと俺は草原で寝そべっていた。
まだ頭がはっきりしない。
俺はなんでここで寝たんだっけ。
少しずつ覚醒する意識に追いつき体も起き上がる。
「そうだ。俺は死んで異世界に――」
辺りを見渡したが、そこはどこまでも草原が広がり、風が吹くだけだった。
「来れたのか?」
少なくとも俺の最後の記憶は研究室だ。
あの町の周りには、こんな草原はない。
どこか遠くまで連れてこられたのだろうか。
いや、やはりここが異世界なのだろう。
俺はそこかしこに、あの存在を感じていた。
目に見えるわけではないが、確かに存在していて、俺に概念的なイメージを与えるもの。
「ここは風の魔素が濃いな」
「おやおや! 不思議な方だと思っていましたが、やはり発言も流石ですねえ」
急に後ろから声をかけられたことに驚いて振り向く。
そこにはオムリィ同様に長く尖った耳をしている女性が立っていた。
ああ、やはり異世界なんだな。
俺はその見知らぬ姿に不安よりも先に安堵を感じて、その女性の姿を見つめた。
「はあーん、さてはアタシの美貌に見惚れましたな。それも仕方ないことでしょう。そちらの世界の方と比べたら、こちらの見た目の麗しさは数段上ですから」
そちらとかこちらとか、まだ完全に働いていない頭でのんびりと理解する。
ん? こちらの世界は異世界のことで、俺たちの世界も知っている?
「ちょ、ちょっと待て。お前はいったい何者だ?」
「申し遅れました。アタシは、探しものなら何でもお任せ唯一無二の私立探偵アンジュ・ナワービ・ソンチェです!」
なるほど。わからん。
「私立探偵のアンジュさん? なぜ俺のことを、いや異世界のことを知っている」
「それはやはりアタシが探偵だからでしょう!」
推理力というやつか?
確かに、俺の見た目はこちらの世界の人とは異なっている。
それを元に推理したのか。
いや、しかし異世界の存在はこちらでも認知されていなかったはず。
情報が足りないんじゃないか?
「おやおや、まだ疑いの眼差しが消えませんね。いいでしょう! 予言します。次のアタシの言葉であなたはすぐに納得します」
「なら早く言ってくれよ」
「オムリィさんのご依頼でお迎えに上がりました」
「ああ」
納得した。
それなら異世界のことも知っているはずだ。
この件を知っている人は限られているだろうし、この人を信じてもよさそうだ。
しかし、こんな変わった人を迎えによこすだなんて、オムリィも変人じゃないか心配だなあ。
「さて、それでは参りましょう。ところで、ルイ・エリクセンさんは異世界人ですが、魔法にお詳しいのですよね?」
「ああ、一応それをテーマとして研究してるからね」
「安心しました。それでは改めて、参ります!」
早口で何かを呟くと、アンジュは空に向かって飛び上がった。
あっという間に拳ほどの大きさになったアンジュはしばらくするとまたこちらへと降りてきた。
「どうしました? 一刻を争うとお聞きしているんですが、急がなくてよろしいので?」
「いや、俺飛べないんだけど!」
おやまあ、とアンジュは気の抜ける返事をした。
魔法に詳しいならば、空くらいは飛べるはず。
それがこちらの世界での常識のようだった。
「申し訳ありません。もう一度確認してもよろしいでしょうか。ルイ・エリクセンさんは魔法にお詳しいので?」
「いえ、幼児ほどの知識しかありません」
「かしこまりました。それでは、アタシが防風魔法と加速魔法をかけますので、走っていきましょう」
「は、走って?」
辺りに乗り物が準備されている様子はない。
空が飛べるのが当たり前ならば、そんな準備をしていないのも当然か。
諦めて走るしかないことを悟った。
「ちなみにここからどのくらい走るんだ?」
「ほんの100 kmほどです!」
ふーん、なるほど。
きっとこちらとは単位の間隔が違うんだな。
そんな話はオムリィとしたっけ?
「ちなみにアタシの身長は1.62 mです」
さすが、私立探偵。
俺の心が読めるのか。
単位は共通で使えることが確認できた。
「さて、張り切って参りましょー!」
俺はまだ100 km走ることへの覚悟が決まっていなかったが、アンジュは元気よく右手を上げると、左手で俺を掴み、呪文を唱え始めた。
「筋繊維の伸縮運動補助。筋繊維即時再生。運動エネルギー供給。前方に風の防護壁。さらに前方の空気抵抗除去」
さっそく本場の魔法の恩恵を受けられるのは嬉しいが、今の俺は絶叫マシンに乗る前と同じ気持ちだ。
アンジュの言っていることがわかるだけに、予め覚悟を決めておこう。
俺の腕を掴むアンジュの力が強くなった。
いや、まだ、決まらない、やめーー
「参ります!」
アンジュは力強く地面を蹴った。
車の加速と同じような慣性の力を感じる。
そこからアンジュは少しずつ蹴る力を上げていき、俺たちはみるみる加速していく。
もはや車などではない。
これは新幹線と同等の速さは出ているんじゃないか。
手を引かれていた俺は途中からアンジュの背中に担がれていた。
周りの景色が次々と後ろに送られていく。
新幹線は周りが覆われ、座席にも座れているので怖くもないが、身一つでこの加速を体感するのは、絶叫マシンの比ではないほどの恐怖を感じた。
アンジュが張った防護壁のおかげで風を感じることはなく、痛みなども全くないのだが、それが逆に気持ち悪い。
現実味のない動きなのが、ぎりぎりで意識を保てている理由だろうか。
この状況を脳が理解したら、気を失ってしまうだろう。
俺は叫び声すら上げられず、アンジュに引っ張られるままに移動した。
ようやく止まった場所は街だった。
そこが街だとわかるのは、俺がいた世界と変わらない景色だったからだ。
ガラス張りの高層ビルが建ち、地面は平らに舗装されている。
たくさんの人々が行きかい、飲食物を販売している店も見受けられる。
違いとしては車を見かけないことだろうか。
「つ、ついたのか?」
「ええ、到着です。お疲れ様でした。ここからは速度を落として、オムリィさんのいる研究所までご案内しますね」
「さすがに街中をあのスピードで走るのはダメなのか」
「ええ、こちらの法律で禁止されています。ですが、本当に歩くのは面倒なので、皆少し浮いて移動をしていますよ」
本当だ。
よく見れば街を行きかっている人たちは地に足が付いていない。
地面を滑るように移動している。
一歩、街に足を踏み入れた時、俺はもう一つの違和感を覚えた。
「コンクリートじゃない?」
「この地面のことでしょうか。これはソンフレートという物質で舗装しています」
聞いたことのない物質だ。
こちらの世界にしかないものだろうか。
コンクリートではないと気が付いたのは、地面が柔らかかったからだ。
直接、地面の上を歩いたり、走ったりする必要がないのであれば、安全面からも柔らかくしておくのが理にかなっているということだろう。
「やはり全然違うものだな」
「そうでしょうか。アタシは話してみて、意外と同じだなと思っていました」
世界は違ってもそこにいる人に違いはないとアンジュは言った。
アンジュがそういうことを考えているというのは意外だった。
こちらばかりが未知の経験に緊張し、驚愕しているのだと、勝手に考えていた。
しかし、向こうも立場は似たようなもんだ。
アンジュも初めて触れ合う異世界人を前にして、色々感じることがあったのだろう。
緊張している様子はなかったけどな。
そこは私立探偵だけあって、修羅場を潜った数が違うのだろうか。
「さあ、もうすぐ着きますよ」
アンジュは俺の手を引き前方へと視線を促した。
そこには周りより低く白い壁をしたビルが立ち並んでいた。
その入り口には、黒くて立派な門がそびえ立っている。
アンジュはその門の柱の一つに触れ、名前を伝えると、門が俺たちを迎え入れるように開いた。
「ようこそいらっしゃいました。こちらが我が国の誇る最高研究機関サイギョ・コーワです!」
ここも俺の知っている研究機関と似た雰囲気だ。
新しい研究機関に来た時に湧き上がる興奮が今回もやってきていた。
早速サイギョ・コーワ内にある研究棟の1つへと通される。
そこには、全てが未知の世界の中で、唯一見知った顔があった。
写真で見ていた通りの優美さだが、写真だけでは感じられなかった華憐さに俺は見惚れてしまった。
固まる俺をオムリィは笑顔で迎えてくれた。
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