第13話 行方不明

魔法の発動のための呪文詠唱について、オムリィに尋ねた。

 簡単にまとめてしまうと、“そんなものはない”という結論だった。

 最初こそ、「呪文詠唱なんて……」と躊躇いがあった俺だが、いざ“ない”と言われると寂しい気持ちになってしまった。


「光の魔素よ。我が命に応えて輝きを放て! ライトニングボール! とか言わないの?」

「言わないよ。どのくらいの光量だとか大きさとかも不明瞭だし、不必要な言葉も多いからね。昔はそういう言い方もあったみたい」

「そっか……」

「よく自己流の呪文なんて言えますね」


 オダ君には冷ややかな目で見られてしまった。

 でも、君がブツブツ呟いて、呪文詠唱考えてたのも聞こえてたからね。

 その日の帰り道まで、呪文詠唱の余韻は残ってしまっていた。

 外が暗くなっていることを「黄昏よりも昏い闇」と表現してしまったのをヒナに聞かれて、ドン引きされた。

 これ程までに心を惹きつける"呪文詠唱"には何か魔力があるに違いない。

 ……さすがにないか。


 次の日からは気を取り直して、真剣にオムリィの魔法講座に取り組んだ。

 もちろん、今までもふざけていたわけではないのだけどね。


「魔法を発動するときは、魔素に指示を出して実行してもらうの。魔素の働きで生じる現象を"魔法"と総称するけど、例えば、火を出せと言って火が出る、これが魔法ね」

「火を出せっていうだけでいいの?」

「そこが難しいところなんだけど、火を出せと簡単に言っても、どこにどれだけの熱量の火を出せばいいのか魔素にはわからない。魔素が行動しやすいように指示を出してあげないと、混乱しちゃって魔法は発動されないの」

「そういえば、"ファイヤーボール"はその言葉だけで発動できる特例だって前に言ってたっけ」


 オダ君が「そんなこと聞いてませんよ」と後ろで非難の声を上げる。

 ごめんよ。俺も忘れてたんだ。


「そう、よく覚えてるね!」


 オムリィは褒めてくれたが、オダ君からの視線は痛い。


「ファイヤーボールみたいに基礎的な魔法は、使う人も多いし有名なの。だから、その言葉だけで魔素もすることがわかって、発動できるんじゃないかって言われてるわ」

「それなら、光の魔素よ。我が命に応えて輝きを放て! ライトニングボール! でも発動するんじゃないの?」

「それが基礎魔法ならね。でも、それなら前口上は邪魔だから、要らないかな」

「邪魔って……」

「どこからが基礎魔法かは決まっているんですか?」


 これはオダ君の質問だ。

 初めてファイヤーボールが使われた時は、有名ではないし、その言葉だけでは発動しなかったはず。

 どこかで基礎魔法として確立された理由があるはずだ。というのがオダ君が質問した理由だ。


「基礎魔法というのに明確な基準はないわ。人々が使い慣れて、単語で発動できるようになったら基礎魔法って認識かしらね」

「徐々に……?その知識の蓄積は……いや共有イメージか……」


 また、オダ君のぶつぶつモードが始まってしまった。

 しばらく戻ってくることはなさそうなので、俺は俺で質問を続けておこう。


「複雑な動きをさせたいときは、どこまで指示してるの?」

「それも場合によるの。魔素との相性も重要みたい」

「相性?」

「例えば、ワタシが光の魔素で通信するときは、伝えたい言葉をそのまま光の波に変えられた。でも、風の魔素で試したときは、具体的に振動数を指定したりしないと上手くできなかったの」

「それで時間がかかっていたのか」

「ワタシは魔素がどれだけワタシのことをわかってくれてるかの違いだと思ってるわ。光の魔素とはいつも一緒だから、全部は言わなくてもわかってくれるのかなって」


 そう考えると魔素ごとに愛着も湧きそうだ。

 魔素と話してみたいというオムリィの気持ちもわかってきた。


「エリクセンさん、すみません。僕はこの後、用事があるので帰ってもいいですか」


 ぶつぶつモードが終わったオダ君は珍しいことを言ってきた。

 いつもは俺が帰ったあとも研究室に残り、俺よりも早く研究室にいる。

 だから、ここに住んでいて研究以外の用事なんてないのかと思っていた。


「おお、もちろん! お疲れ様!」

「ところで、次は何の魔素を送ってもらう予定ですか?」

「んー、そうだな。水とかにしようかな」

「水、か。いいと思います。明日、結果教えてください」


 それだけ言い残して、オダ君はそそくさと実験室を出て行った。

 最後のは彼なりの激励の言葉だったのかな。

 独特の距離感ではあるが、悪い人ではないはずだ。


 その後も、俺はオムリィと実験を続けた。

 しかし、水の魔素は風と同様に扱いにくいようだ。

 こちらでも、波の干渉、ベルヌーイの定理、孤立波など、役に立ちそうな物理法則を調べ、波の形をシミュレーションした。

 しかし、なかなか送れる目途が立たない。

 魔素が送られるまでは研究も進まない。

 俺はオムリィに後を任せて、先に家へと帰ることにした。


 その日は夜から雨が降り始めた。


「結構降ってるなー」

「ミア、雨きらいー」


 雨は朝まで降り続いており、テレビでは河川の氾濫注意報まで出ている。

 これ、水の魔素のせいじゃないよな……

 不安を胸に俺は研究室へ向かった。


「実験結果は?」


 オダ君に会うと、開口一番にそう尋ねられた。

 この研究テーマにしっかりと興味を持ってもらえたようで、俺は嬉しいよ。


「昨日は水の魔素の扱いに手間取っちゃってね。今からデータを確認するところなんだ」

「ちょうどよかった。僕も見たかったので」


 2人で実験室に急ぎ、データを確認した。


「やはり世界的に雨や河川の水量が増えているようですね」

「じゃあ今日の雨は俺たちのせいなのか」

「それはどうだろうか。増えていると言っても、データ上でわずかに増えている程度。自覚できるほどの量ではないでしょう」

「そっか。雨はたまたまだったってことか」


 俺は一安心した。

 世界的な発見というのは魅力的なものだ。

 だが、まだ実験段階なのに、世界に影響を与えてしまうのは怖かった。

 将来的には、魔素の送信を上手く使えば、エネルギーは増やせそうだとは思う。

 でも、実用化までにはまだまだ確認しないといけないことが山ほどある。


「では、データを整理したら、次の魔素の送信に移ろうか」


 オダ君は解析に必要そうなデータをピックアップして、俺に送ってくれた。

 なんだかすっかりオダ君に仕切らせてしまっている。

 俺も頑張らないとな。


「次は火の魔素ね。得意ってわけではないけど、水の魔素よりは大丈夫かな」

「その得手不得手は何で決まってるの?」

「んー、ワタシの場合は感覚的なものなんだけどね。雷はピカピカ光ってるから光みたいだし、火もギラギラ光ってるよね」

「確かに、雷や火を構成してるエネルギーは、電気や熱だけじゃなくて光もそうですね」

「そうすると、光の魔素も雷や火を起こす手伝いをしてるのかな」

「そこはわかってないのよね。火というイメージを具現化する魔素があるのか、それとも光と熱の魔素が働いて火を出してるのか」


 難しいところだな。

 でも、それぞれの魔素がある気がする。

 立証はできないけど。

 その感覚は伝えず、オムリィが無事に火の魔素を送れるように、考えを述べて実験の手伝いをした。


「僕はお先に失礼しますね」


 せっかくオムリィが火の魔素を送れるようになったところだったのだが、今日もオダ君は早く帰ってしまった。

 もう時刻は夕方を過ぎていたので、仕方ないと言えば仕方ないことだ。

 外の雨もすっかり止んで、夕日が沈むのもよく見えた。

 オダ君には明日結果を教えてあげればいいだろう。


「さて、結果はどうだったかなっと」


 データを確認してみると、世界的に気温が微増しているようだった。

 火というよりは熱が増えたのか?

 いや、そもそも火が増えるってのはどういう現象になるんだろうか。

 例えば――


「火事だってー」


 後ろから声をかけてきたのはヒナだった。

 仕事終わりに研究室に寄ってくれたようだ。


「え? 火事?」

「そう、ここの近所よ。来る途中に消防車をたくさん見たわ」


 火事。まさに火が増えた現象だと言っても過言ではない。

 俺の、せいなのか?

 しかし、世界的に火事が増えたというデータは出ていない。

 これもまた偶然だろう。

 自分が意識したことで、認識できるものが増えてしまったに過ぎない。

 もしかしたら、昨日だって近所で火事が起きているかもしれない。


「実験は順調?」


 俺の心配はさておき、ヒナは研究の進捗を聞いてきた。


「ああ、魔素の話はしたっけ? あれがこっちの世界にも影響を与えるかもしれないことがわかってきたんだ」

「ふーん、そうなんだ」

「ところで、今日はどうしたんだよ。仕事帰りみたいだけど」

「特に何ってわけでもないんだけどね。紹介した手前、ルイが問題起こしてないかを、定期的に監視しに来ようかと思ってね」

「なんだそれ。おかげさまで問題なく研究してるよ。オダ君も手伝ってくれるし」

「あれ。そういえばオダ君を見かけないけど、別の実験室にでもいるの?」

「今日はもう帰ったよ」


 予想したテンポで返事が来なかったので、俺はヒナの方に振り返る。

 ヒナの顔には絶句の文字が浮かんでおり、その文字通り言葉を失っていた。


「何をそんなに驚いてるんだよ」

「あ、あのオダ君がこんな時間に帰るだなんて」

「昨日もこのくらいの時間には帰ってたぞ」

「ええ!? 昔は誰よりも遅くまで残るのを信条としてたのに。人は変わるもんねえ」


 ヒナが研究室にいたのは、もう5年以上前のことだ。

 それだけの時間が経てば、オダ君の信条だって変わるだろうし、当時とは違って、他にやりたいこともできたりしたんだろう。


「そりゃ雨の日に火事だって起きるわねえ」

「なんだか不吉なことのように言うなよ。オダ君も人生を楽しみ始めたんだろ。良いことじゃないか」


 もちろん。研究に捧げる人生が悪いと言っているわけではない。

 研究の面白さは、俺だって重々わかっている。

 しかし、世の中それだけではないとも思うのだ。

 例えば、俺とミアが出会ったように。

 娘の世話をするために、遅くまで研究することは難しくなってしまったが、それでも俺の生活は今まで以上に充実していると断言できる。


「俺はそろそろ帰るけど、ヒナはどうする?」

「私も帰るわ。この時間なら少し買い物しても間に合いそうだし」

「俺もついていこうか?」

「なんでよ。一人で自由に買い物させてちょうだい」

「へいへい。余計な申し出をしてすみませんでした」


 荷物持ちでもやろうと思ったんだけどな。

 なかなか恩を返すタイミングを与えてくれないやつだ。


「あんたはミアちゃんを家まで連れてかないとダメでしょ」


 そこまで考えてくれていたのか。

 本当に気が回るやつだと、ほとほと感心する。

 それに対して、俺は自分本位の気の使い方しかできていないなと、心の中で反省した。

 ヒナとは駅で別れて、俺はそのままミアと家に帰った。


 しかし、この時のことを、より強く反省するハメになるとは思いもしなかった。

 ヒナが行方不明になったのだ。

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