第8話 ズレ
「ここがフランス特別自治区か」
よくあることだが、今回の学会の開催場所は、世界政府が治めている統一国内ではなく、エンターテイメントとして独自文化を守り続けている特別自治区だ。
学会にかこつけてバカンスを楽しもうという趣旨が見え隠れしている。
発表を行うだけなら、ネット上でも事足りるし、VR映像なら、どこにいても実際に集まっているかのように議論をすることだってできる。
不満のようなことを言ったが、俺も統一国から出たのは初めてで気持ちは浮かれていた。
「フランスの文化かー。やっぱり美術館は行きたいよな。建物も古い状態で残ってるらしいし、町を歩くだけでも楽しいかも」
もちろんネズミーランドに行くことも忘れないようにしなければ。
これは最優先事項だ。
「いやいや、最優先は学会だ。まず場所を確認しておこう」
自分の脳内の思考にツッコミを入れるあたり、浮かれ気分がにじみ出ている。
人が運転する古いシステムが残ったままの地下鉄に乗り、学会会場とされているシャトーに向かった。
「はー、さすがフランス」
学会が行われる会場はシャトーの名に恥じず宮殿のような外見をしていた。
中は近代的な作りとなっていて、会場内の設備はセンサーで駆動するし、人口知能によるサポート体制もしっかりしているので、不便を感じることはなさそうだ。
その日は参加登録といくつかの発表を見ただけで、ホテルに戻ることにした。
「せっかく来たし、街中の散策でもするか」
日は落ちていたが、寝るには早い時間だった。
ホテルは観光地のメインであるオペラ地区にある。
ここからなら、ルーブル美術館まで歩いていけそうだ。
聞いていた通り、建物は古いまま残っており綺麗なのだが、道端にはタバコの吸い殻や犬の糞が落ちている。
道路に自動洗浄システムがついている現代では考えられない光景だ。
これもあえて守っている文化の一つなのだろうか。
「お、まだ光が付いてるな」
ルーブル美術館に着くとまず目に入ってきたのは、あの有名なガラスでできたピラミッドだ。
夜はライトアップされ、一層美しさを増している。
運の良いことに今日は夜まで営業しているようで、チラホラと美術館内に入っていく人の姿が見られた。
「明日からは学会に参加しないといけないし、今のうちに行っておくか」
しかし、ここはそんな気楽な気持ちで入り込んでいいような場所ではなかった。
「ま、迷った……」
異常なまでに広い。
これだけの数の美術品を集めただなんて、どれだけの金がかかったのか。
文化として美術品を一か所に集める動きもあったので、数が増えているのはわかる。
わかるのだが、これでも展示されているものは全体の10%ほどだというから驚きだ。
そして、極めつけは地図に書かれている番号と部屋の番号が合っていない不親切設計だ。
その上、紙の地図を読むのも初めてだし、自分の現在位置が地図上に書いてないのも初めてだ。
「この絵がお好きなんですか?」
すっかり迷ってしまい、ソファに座って途方に暮れていると、年老いた男性に声をかけられた。
絵を見ていたわけではなく、ぼーっとしていただけだが、そう言う前にその男性の話が続いてしまった。
「僕もこの絵が好きなんです。既存の技法に捉われず荒々しくも感情を表そうという熱意を感じます。それに、この新世界を目指して行く姿が、未知の分野に飛び込む研究者と被りましてね」
「もしかして、あなたも研究をされているんですか?」
「おや、ということはあなたも? 波動学会の参加者ですか?」
「ええ、そうです。地球科学の分野で発表します」
「それは是非ともお話を聞きたいですね。美術鑑賞はよくされるのですか?」
「いや、お恥ずかしながら今回の学会で初めて鑑賞しに来た所でした」
「そうでしたか。美術の世界は研究と通じるところがあって面白いですよ」
その老人から、初心者向けの美術鑑賞の方法やちょっとした絵画の歴史、画家の特徴などを教えてもらった。
なかなかに興味深い話で、芸術方面にはすっかり疎い俺だったが、飽きることなく話を聞くことができた。
その老人から出口の場所も教えてもらい、無事にこの魔宮から脱出することに成功した。
終わりよければすべてよし。彼のおかげで美術館を嫌いにならずに済みそうだ。
すっきりとした気持ちで床に就くことができた。
「え、ここじゃない?」
次の日、発表を行おうと、会場に行った俺だったが、発表するための装置の場所を尋ねたところ、会場が違うと言われてしまった。
「発表スタイルはVRだと聞いているのですが」
それなら場所は問題ではなく、データさえ届けることができれば大丈夫なはずだ。
「申し訳ございません。会場内のネット設備は整っているのですが、会場間はご本人様の移動が必要となっております」
「なんてアナログな……」
今時そんな不便があっていいのだろうか。
いや、これも自治区の特徴なのか。
「その別会場というのはどこでしょうか?」
指定された会場は街の中でも南の外れにあった。
地下鉄を乗り継げば、何とか間に合うか……?
「おや、あなたは昨日の」
別会場までの行き方を調べていると、昨日の美術館で会った老人と再会した。
「どうかされましたか?」
「それが、自分の発表会場を間違えてしまいまして」
「若い方にはよくあるミスですな。日頃はインターネットの発展のおかげで、場所は重要ではなくなっていますからね」
「大変お恥ずかしい限りです」
昨日も出口を教えてもらったというのに、この人の前では恥ばかりかいているな。
「ちょうど僕たちも、そちらの会場に移動するところでしたので、一緒に行くというのはどうでしょうか」
老人は会場まで行く車を手配しているとのことだった。
こちらでの電車の乗り継ぎには自信がなかったため、相乗りさせてもらえるよう即座に頼んだ。
「こちらの車です。僕のところの学生も一緒ですが構いませんか?」
案内された車の中には、俺と同じ年くらいの男性も乗っていた。
「突然お邪魔することになってしまい、すみません」
「あ、はい。ども」
その男性は表情を変えることなく、それだけを返答してきた。
そりゃ、いきなり来た知らないやつだもんな。
一緒になっていい気はしないか。
そのまま会場まで気まずい沈黙になるのも嫌だったので、その老人に話を振ることで場を繋いだ。
彼はアンドリュー・ミッシーマという名で、TK大学の教授をしているらしい。
どこかで聞いた気がするが、思い出せない。
もしかしたら学生時代にも学会で見かけていたのかもしれないな。
もう一人の男は博士課程の学生で、ミヒャエル・オダというらしい。
お互い簡単に研究内容の紹介をしたところで、ちょうど会場に着いた。
彼らは俺の発表を聞くと言ってくれた。
自信がある発表なら嬉しいのだが、今回はプレッシャーに感じてしまう。
しかし、断るわけにもいかないので、俺たちは発表部屋へと一緒に向かった。
「それでは表記のタイトルで発表を始めます。企業アルファルに勤めているルイ・エリクセンと申します」
発表に対する手ごたえはなかった。
はっきりした結果でもないため、興味を持ってくれた人は少なく、会場からの質問はミッシーマ教授から一つ来ただけだ。
あとは司会担当者が苦心して質問をひねり出してくれて、質疑応答の時間を潰した。
当然、ガイアの拍動からどうやってエネルギーを生み出すかの新しいアイデアは得られなかった。
「なかなか興味深い発表でしたよ」
発表が終わった俺にミッシーマ教授が声をかけてくれた。
「そう言ってもらえると救われます。他の方々には興味を持ってもらえなかったようで」
「ロマン溢れる内容でしたからね。僕は好きですが、学会ではウケない内容ですね」
「本当にその通りです。ロマンが溢れすぎてしまって。これでも現実的な内容になるようにまとめたつもりだったのですが」
「ほう、ということはもっとロマン溢れる結果があると?」
おっと、思わず言わなくていいいことまで言ってしまった。
しかし、この教授はロマンが好きなようだし、少しくらいは話してみても構わないだろうか。
「実は――」
俺は“ガイアの拍動”に載っていたノイズのこと、それが人の声であったことを伝えた。
「なるほど。新しい連絡手段の開発ですか。エネルギー以外でも拍動の利用先はあるのですな」
「まだ、その連絡手段と拍動の関係まではわかっていないようです。あと、一度に送れる情報量と速さもまだまだ遅いので、実用化までは遠そうです」
「そのノイズはいつも音声として再生しているのですか?」
「ええ、あまり密度をあげると、声として認識するのが難しくなってしまいまして、その辺りが問題点ですね」
「バイナリデータとして送るのは試されましたか?」
バイナリデータというと電気信号を0か1として処理するデータ形式だったか。
「音声は複雑な波形をしているので解析も難しいでしょう。長短を1と0に対応させれば」
「より多くのデータを送ることができそうですね!」
人間が耳で処理できる形式ではなく、コンピュータに処理を行わせればいいのか。
これは盲点だった。
「ありがとうございます。研究を先に進めることができそうです!」
「お役に立てたのなら良かったです。学会の良いところは、こうやって新しく人と知り合い議論できるところですからね。古いやり方に則り、実際に人が集まるのも良いものですよ」
発表前は、物理的な移動が必要だなんてアナログなシステムだと馬鹿にする気持ちがあったが、場所を決めて学会を行う意味にようやく納得ができた。
会社での研究としての収穫はなかったが、俺自身は大きな収穫があったので、帰路の足取りは軽かった。
早く会社に戻って実験がしたい。
帰るや否や、会社への報告事項をまとめるよりも先に、オムリィに新しい実験の提案をした。
「バイナリデータとして処理すれば、より多くの情報を送れませんか?」
コンピュータで処理することを考えれば、音声ではなく文字でやり取りする方が速いかもしれない。
今までよりも速く多くの情報がやり取りできそうだ。
いや、文字だけでなく画像の情報を送ることもできるんじゃないか?
研究へのモチベーションがどんどん湧き出してくる。
それにストップをかけたのはオムリィだった。
「バイナリデータ? それは何ですか?」
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