第4話 鼓動が信じるままに
その日の夜、ミアを寝かしつけた後、俺はヒナを居酒屋に誘った。
「それで今日はどうしたの?」
最初に出た酒を半分くらい飲んだところでヒナが尋ねてきた。
「あー、酒でも飲まなきゃ言いにくいことがあってな」
「えっ、ちょ、ちょっと待って。心の準備が」
「まあ言葉にするより聞かせた方が早いか」
俺は紙のように巻いた薄型のタブレットをカバンから取り出した。
「なんだ、また研究の話か」
「なんだとはなんだ」
「はいはい、聞きますよ。それで今度は何があったの?」
俺はタブレットを通して、あの音を出力する。
「んー、誰かの声? あ、ミアちゃんの寝言とか?」
「いや、ミアの寝言はもっと可愛いだろ」
「そんな真顔で言わなくても」
真顔にもなるさ。ミアは可愛い。それは真理だ。
「なんて言ってるの? エマ、スカキ……聞こえますか?」
「やっぱりそう聞こえるよな」
「これは何の音声データなの?」
「ヒナが指摘してくれた、あのノイズだ。あれを音声として出力したらこうなった」
「いやいや、そんな馬鹿な」
俺の発言は軽くあしらい、ヒナは追加の酒を注文する。
その間も俺は返す言葉がなく無言を貫く。
「……え、マジなの?」
この結果が事実であるということを沈黙が雄弁に語ってくれたようだ。
ヒナは真面目に聞く顔に変わった。
「俺もそんなはずないと思って、お前の意見も聞きたいと思ったんだ」
「だって、あのノイズは時間を問わず、ずっと流れてたのよね?」
「ああ、しかも全世界、場所も問わずだった」
「そんな大規模に音を流すなんて、しかも誰からも見つからないような方法で、でしょ?」
ありえない。と続けたそうな顔をしていたが、事実として流れ続ける音を前に口を閉ざす。
「仮にそうだとして、誰が何のために流しているのかよね」
「秘密の通信とか?」
「そうかもね、だとすると何か大きな陰謀が渦巻いてるのかも……!」
陰謀論か。それもロマンを感じて楽しいけど。
「地球が喋ってるってのは解釈としておかしいかな?」
ヒナはジョッキに口をつけたまま固まる。
「いや、やっぱり今のはなしだ。忘れてくれ」
「さすがにねえ」
俺が慌てて否定したのを見て、ヒナは少し笑みを浮かべた意地の悪い顔をした。
「もし本当にそう思うならこっちからも話しかけてみたら? 優しい地球さんなら返事してくれるかもよ」
会話か。
聞こえますかって聞いてるんだ。
聞こえますよって返してあげるのも優しさだな。
「おーい。聞いてる? 何か言い返してきてくれないと焦るんだけど」
「おお、ありがとう。ちゃんと聞いてたよ」
「ありがとう?」
次にやることが決まったので、研究の話はここまでだ。
すっきりした顔になった俺を見て、ヒナは釈然としないようだったが、助けになったのは事実だ。
お礼の意味も込めて、ここ最近のミアの可愛いところベスト10を聞かせてあげよう。
そして次の日、俺はいつもの机がある居室ではなく実験室にいた。
「さて、どこから手を付けようかな」
あのノイズについてわかっているのは、光を媒介にして送信されてるってこと。
というわけで、レーザー光を利用してみようと思い、実験室の使用許可を取ったのだ。
「レーザーをただ放つだけじゃ意味ないからなあ。それを音波っぽい形にするにはっと」
自分でも思っていた以上に手際よく、装置のセットアップの変更を行う。
「レーザーを使うのは大学のとき以来だったけど、意外と覚えてるもんだな」
こうして装置をいじっていると学生時代のことが思い出される。
あの時は、自分で一から装置を組み立てるなんて面倒くさいことやりたくないとよく愚痴っていた。
しかし、今こうして役に立っていることを思うと、若い時の苦労というのはしておくもんだなと素直に思えた。
「そういえば、初めてヒナと会ったのもレーザー関係の学会だったか」
同い年とは思えないほど、しっかりとしていて優秀さを感じる発表だったことを覚えている。
その時は、懇親会で少し話した程度だったが、まさか同じ会社に入社することになるとは思いも寄らなかった。
昨晩の飲み会を思い出し、笑みがこぼれる。
俺がミアの可愛いところを話すのを楽しそうに聞いてくれていた。
もちろん所々手厳しいツッコミは受けたのだが、それもアイツの良いところだ。
学生の頃はあまりの優秀さに取っつきにくさすら感じていたが、今はすっかり親友だ。
そんなことを考えながら、装置の設定を詰めていった。
「聞こえますよ。っと、送るのはこれだけでいいか」
とりあえず、光の振動を音波のように調整する設定が終わった。
次に考えることは――
「どこに当てればいいんだ?」
あのノイズが場所を問わず観測できたことを思えば、どこに当てても問題ない気はする。
しかし、全くロジカルな行為ではない。
深く考えれば考えるほど間抜けなことをしているんじゃないかと思えてきたので、考えるよりまず行動をしてみることにした。
「とりあえず、壁にでも当てとくか」
俺は壁に向けてレーザーを放った。
「……」
もう一度放った。
目に見えるような何かは起きない。
「……よし、もう一度ガイアの拍動の様子を見てみるか」
期待できるのは、今の信号が地球に届き、その返信としてノイズの形が変わることだった。
こちらの信号に合わせて、向こうの信号が変われば、それは地球と会話できていることを意味する。
現在時刻で観測されているデータに、ガイアの拍動を作り出すあのプログラムを使った。
「んー、ノイズの様子は変わらないか」
ガイアの拍動に載っているノイズを、前と同じように音声データとして出力してみたが、聞こえてくる音には何の変化もなかった。
「ですよねー。地球とコミュニケーションを取るなんて無理なのかな」
地球が本当に生命体だとしたら、今は就寝中かもしれない。
それか他のことに気を取られているとかで、まだ聞いていないだけかもしれない。
一度や二度の失敗で諦めるのは早計だろう。しばらく続けてみるか。
決して次にやることが思いつかないから、この実験を続けたいわけじゃない。
諦めないことは研究者として大切な要素の一つだ。
半ば自分自身に言い訳をするように、心の中でそう言い、再度レーザーを照射する。
そして、その日の実験は壁にレーザーを当てるだけで終わった。
「今日も変化なしか」
返信があるまでラグがあるのかもしれないと思い、次の日にも確認してみたが、ノイズの様子は変わっていない。
「キ、コ、エ、マ、ス、カ」
このノイズを見すぎて、もう音声データに変換しなくてもどこに何の音があるのかわかるようになってしまった。
「あれ、この音さっきもこの辺で見たな」
よく見ればノイズが乗る位置はいつも同じだ。
「もしかして、拍動のリズムに合わせて出ている?」
地球の鼓動に合わせて声が出される。
“ガイアの拍動”が何由来なのかはわかっていないが、仮に地球の声帯を振るわせる振動だとしたら、それに合わせて声が発せられているのも頷ける。
なんの確証もないが、何故か心が躍る気がした。
俺はすぐに作業に取り掛かった。
「えーっと、このペースかな」
俺はコンピュータを用いてレーザーと拍動の周期を一致させた。
同じテンポで繰り返される“拍動”に合わせて、こちらもレーザーを送る。
「1、2、3、今!」
設定通りのリズムでレーザーが射出されたことを確認する。
「よし、これで何か変化はないか……?」
期待して、拍動のデータを更新したが、ノイズに変化はなかった。
「ダメかー!万策尽きたー!」
感覚的に上手くいく期待があったがゆえに、裏切られたときのダメージは大きかった。
「今日はもう帰ろう……」
こういう日は早く帰ってミアに癒してもらうのが一番だ。
俺はそそくさと帰宅の途に就いた。
次の日、俺は朝一でヒナに呼び出された。
「どうした怖い顔して」
「どうしたじゃないわよ! レーザー! 点けっぱなし!」
しまった。
早く帰りたい思いが強すぎて、装置の立ち下げを忘れていたようだ。
「しかも、壁に向かって出し続けるなんて! 壁が燃えたらどうするのよ!」
「すまん! 本当に申し訳ない!」
弁明の余地はない。
俺にできるのはひたすら謝罪することだけだ。
「何もないところに向けてレーザー出すなんて、いったいなんの実験してたのよ」
「ああ、前に居酒屋で話した件だ。こっちからも言葉を送れないか試していた」
「え、まさか本気で地球と会話しようとしてるの?」
おっと、本気で引いている顔をしている。
元はといえばお前のアイデアだというのに。
「地球か何かの組織の陰謀かはわからないが、言葉が出ている以上、コミュニケーションは取れるんじゃないかと思っただけだ」
「そう……、あんまり根を詰めすぎちゃダメよ」
何故だろう、心配された。
だが、おかげで装置を切り忘れていたことへの説教は終わったようだ。
「とは言え、やってはみたが、変化なしだ」
俺はここまでの進捗を伝えようと、いつもの波形をディスプレイに表示しようとする。
「……!? ちょっとここ見てくれ! 波形が変わってないか?」
「ここって言われたって私にはただのノイズにしか見えないわよ」
「いや、変わってるって! ちょっと待ってろ」
散々このデータを眺め続けた俺にはわかる。
ただの不規則な振動にしか見えないが、そこにはしっかりと規則があり、今この規則は以前とは別のリズムを表している。
俺はすぐに音声データとして出力した。
「タ、ハ、ダ、レ、ア、ナ、タ、ハ、ダ、レ、ア」
「えーっと、アナタハダレ?」
……貴方は誰?
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