第1章現世編

第2話 会社からの無茶な命令

「こんなん無理に決まってるだろ。俺に辞めろってか」


 俺の最近の悩みは、筋肉痛が二日後に来るだとか、肌に張りがなくなってきただとか、年相応のたわいもないものだけだった。

 会社でのキャリアも順調に進んでいくものだと信じて疑っていなかった。

 しかしながら、予定通りに進まないのは研究も人生も同じようで、今まさに俺の悩みランキングは大幅に更新された。

 その悩みの種が表示されている画面を見つめながらため息を吐く。

 そこ表示されているのは会社の辞令だ。

『ルイ・エリクセン 研究開発統括本部 先端技術戦略課 新エネルギー研究室での勤務を命ずる』

 何度見ても「ルイ・エリクセン」という俺の名前が書かれている。

 ……新エネルギーの研究ねえ。

 2000年代前半であればホットな分野だったかもしれないが、そんなのは100年も昔の話だ。核融合が成功した今の時代にエネルギー問題などは存在しないと言っても過言ではない。

 全くないかと言われると資源の問題もあるので未来永劫に渡って問題がないわけではない。

 問題がないわけではないが……


「核融合の資源がなくなるなんて心配してんのは、本当に一部の奴らだけじゃねえか」

「いくら変な顔をしてもディスプレイは笑わないわよ」


 何度見ても変わらないその文字を睨みつけながら悪態をついていると、赤髪を一つに束ねた女性が横からちゃちゃを入れてきた。同僚のヒナ・コスタだ。

 人事発令があるのは知っているから、悩みの原因も推測できるだろうに。

 まあ、こいつの毒気を含んだ言葉はご挨拶みたいなもんだ。


「んで、どこの部署に飛ばされたのよ?」


 俺は目の前のボードから、ディスプレイを紙のようにペラリと剥がして、ヒナに手渡した。


「聞いたことのない部署ね。新しい研究室かしら?」

「そうらしい。人員は俺だけだとよ」

「あらまあ、ずいぶんと高く評価されちゃって。アンタなんか悪いことでもしたの?」


 人員が一人ということは人手も予算も限られるので良い仕事をするのは難しい。

 ”干されている”状況だが、そんな仕打ちをされる心当たりは毛頭ない。

 部長は俺への期待が高いからこそ役職を上げるために新しい研究室を作ったのだと説明したが、どこまで本当なのか。

 俺が勤めている”アルファル”は世界でもトップクラスの規模の企業だ。

 だからこそ他がやらないことにも先陣を切って取り組む必要がある。

 ”誰か”がやらないといけない。

 しかし、他がやらないのには理由もある。

 その”誰か”に選ばれてしまった俺は完全に捨て石にされたも同然だ。


「こんな無茶な仕事辞めちまいたいよ」

「そんなに嫌なら大学にでも戻ったら?」

「そうは言っても俺にはアイツがいるし」


 俺は机の上の写真を手に取る。

 そこにはまだ幼い少女が写っている。


「そうね。ミアちゃんを泣かせるわけにはいかないわよね。大切な娘なんだから」

「ああ、こいつには幸せに育ってほしいと思ってるよ」


 娘といってもミアは養子である。

 実の両親を事故でなくしており、唯一の親戚である俺が預かることになった。

 親としての責任を果たせているのかはわからないが、今から大学に戻って研究を始めて金銭の心配をさせるのは違うだろう。

 大学の研究は金にならない。

 企業であれば安定した給与と立場が得られるのだから、生活のためには気持ちを切り替えるしかない。


「あー、もう決まったもんは仕方ない。誰も思いつかなかったような新エネルギーを俺が発見してやんよ!」


 娘の写真を見て少し元気が出た俺は自分に気合いを入れるために大言壮語を吐いた。


「よーし、偉いぞー! がんばれ!」

「おう、この世界の未来は俺に任せな! んで、がんばるから、コーヒーでも奢ってくれない?」


 調子に乗るなと頭を小突いてヒナは仕事へと戻っていった。


「しかし、どこから手を付けていいものか」


 新しい研究室が立ち上がるということで、研究費の申請や装置の見積もり、場所の確保や稟議書の準備などやることが山ほどあるのはわかっている。

 しかし、肝心の“新エネルギー”という研究テーマについてのアイデアがない。

 一度、自分の考えを整理する必要があるな。


 まず新エネルギーとして考えられるのはなんだ?

 風力など地球から生じている自然のエネルギー

 太陽光などの宇宙から降り注ぐエネルギー

 それか核融合にも使える新材料の発見を目指すか?

 そんなありきたりのことしか思い浮かばない。


「そんなことは既に考えられてるよなあ」


 そう簡単にアイデアが出るはずもない。

 この作業が一番の肝であり一番の難所だ。

 産みの苦しみというやつだな。

 とはいっても、誰も見つけてないことを発見するのは研究者冥利に尽きるものであり、俺にとってはそれほど嫌いな作業ではない。

 それに難しいテーマということは、成功すればそれだけ大きなインパクトがある。

 口では愚痴を言いつつも、心の奥底では失ったと思っていたはずのロマンを求める探求心が目覚め始めていた。


「根本に立ち戻ろう。そもそも永久に利用できるエネルギーは必要なのか? その理由は?」


 俺は自問自答を繰り返す。


「人間が永久に発展するため? そもそも永久なんてあるのか?」


 問題が一つ解決したら、またその上の問題を解決することが求められる。

 そのサイクルは過去から未来にかけて、それこそ永久に続いてきている。

 戦争がなくなったとはいえ、あれが欲しいもっと欲しいと、人の業の深さは変わらないな。


「そのモチベーションをエネルギーにできんもんかねえ」


 自分の独り言が、どこか気持ちに引っかかりを生んだ。

 そもそも人が活動するとエネルギーが消費されるだろ?

 それはどこへ行く?

 消えるのか? いや、保存則があるから、消えるはずはない。 ならそれを再利用すれば?


「永久に発展を目指す人の活動自体からエネルギーをもらえないかな」


 一人ひとりが発するエネルギーは微々たるものかもしれないけど、それを上手く集めることができたら……?

 人からのエネルギーは体温などの「熱」、動いたときの「振動」や「力学的なエネルギー」など多岐にわたる。

 これ以上、頭の中だけで悩んでいても整理しきれないと感じ、まずはその発想を元に実験してみることにした。


「人の動き、振動、熱、呼吸、あらゆる要素をデータに落とし込んで……」


 人由来でエネルギーになりそうなものを列挙していく。

 次はデータを集める方法を考える必要があるがーー


「そうだ世界政府の観測システムのデータがあるぞ!あれは誰でも使えたはずだ」


 人の平和を維持するために、世界政府によってありとあらゆるところにセンサーが張り巡らされ、購買傾向や治安維持、行動原理の研究などあらゆることに利用されている。

 そのデータ数は膨大で、すべてを使おうと試みた者などいなかっただろう。

 しかし、それこそまさに人のエネルギーの全てを数値化したものだ。


「それぞれの要素を変数として設定して……、前処理は、んー、とりあえずはこんな感じの設定でいいか」


 多くのデータから必要な情報を抜き出す、いわゆるビッグデータ解析の技術は今までの研究でも使用してきたので慣れたものだ。

 まずは適当なところに当たりを付けて条件を決め、計算を行った。

 コンピュータが処理しきるのを待ち、出てきた結果を見たが、なんの意味もなしていない。


「ま、そんな簡単にはいかんよな」


 一度で良い結果が出ることなどあり得ない。

 俺はまた設定を変えて、計算を始める。

 無秩序に見える膨大なデータから意味のあるエネルギーの情報を取り出すためには何か”規則性”が必要だった。

 来る日も来る日も来る日も俺は画面とにらめっこしながら研究に取り組んだ。

 

「人口の多さとエネルギー量が比例するのは当たり前だよなあ」

「一つずつやろう、まずは振動にだけ注目するか」

「歩く歩幅は違うだろうから、係数をかけて補正して……」

「この振動はぐちゃぐちゃだなあ」

「地域を絞ってもダメか」

「一番エネルギー量が多いのは熱かな」

「なんだこの動きの多さ。オリンピックでもやってるのか?」

「バラバラに風邪引いたら傾向が出ないだろ!みんなで一斉にかかれよ!」

「数多すぎ……人口を半分くらいに減らす兵器を開発する方が計算が楽になって良いんじゃ……」


 やばい。

 数週間も進捗がないせいで、思考がおかしな方向に行ってしまってる。


「どーすっかなあ。とりあえず、ここの数字はミアの誕生日でも入れとくか。こっちはこの間行ったケーキ屋の番地に設定してと」


 もはやヤケクソだ。

 考えてもダメなときはいい結果が出ることを神にでも祈るしかない。

 俺の神はミアだ。ミアこそ至高の御方。我を助けたまえ。

 俺は祈る気持ちで計算を流し、その日は帰途に就いた。


 次の日、画面上に表示されている結果を見て飛び上がった。


「これ、規則性見つけちゃった?」


 そこには、一定の周期で動く波が表示されていた。

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