-9-

「ちょっといいかい?」


 ガートルードが扉を開けると、宿の女将が立っていた。


「お客さんだよ。あんたらに話したいことがあるんだってさ」

「お客様────ですか?」


 その言葉の意外さに、ガートルードは戸惑った。

 旅先の宿に尋ねてくるような知人に心当たりはない。


「わるいね、伝言頼まれちまってさ。どうしても監督官さんに会って直接話したいって。隣の店で待ってるって」


 隣にあるのは、食事を提供する店だ。

 待ち合わせの場所としては、人目が多い。


「どうする?断るんならそう伝えるけど」

「そう、ですね────」


 ガートルードはエドウッドのほうを見た。

 エドウッドが黙ってうなずいたのを見て、ガートルードもうなずく。


「では、これから伺うとお伝え出来ますか」

「そうかい?悪いねえ」


 女将は少しホッとしたように言った。


「一番奥の席に座ってるミノス族の大男だよ。行きゃわかる」

「はい。ありがとうございます」

「じゃ、伝えとくからね」


 音を立てて扉を閉めた後、女将はバタバタと足音を立てながら遠ざかっていった。

 ガートルードは、ふうっと息を吐いた。


「ミノス族────ですか。珍しいですね」


 ミノス族は、もともとこの国にはいなかった亜人族デミヒューマンだ。

 頭から牛のような角が生えているのが特徴で、身体は大柄で力が強いという特性がある。


「東の大陸から渡ってきたのでしょうか」

「んー……」


 少し前まで、東の大陸では大きな戦争が起きていた。

 東の大陸にはもともと亜人族デミヒューマンが多く住んでいたが、この戦乱から逃れるために、多くの亜人族デミヒューマンが西の大陸へ移住した。

 ちょうど産業革命を迎えていた西の大陸では、大量の労働力を必要としていた。

 そのため、亜人族デミヒューマンの移住は歓迎された。亜人族デミヒューマン側にとっても、移住先で収入を得られる工場での仕事は魅力的だった。

 こうして、この国には様々な亜人族デミヒューマンがやってくることになったのだった。



「しかし、食堂で会いたいというのは、いったいどういった用件なのでしょう」

「んー……」


 あごに手を当ててエドウッドは考えていたが、やがて顔を上げた。


「とりあえず、会って話をしてみようか」

「はい」


 ガートルードは、うなずいた。



「カントクさん!」


 二人が店に入ると、一番奥に座っていた大男がパッと立ち上がり手を振った。

 店の中はそこそこに混んでいたが、騒音の中でも十分に聞こえる声だった。


 エドウッドとガートルードが席の近くまで来ると、手を上げた男はうやうやしく会釈をした。

 始めて見る顔だった。

 今日だけでスウィートイージー製糸工場の職工全員と話ができたわけではないから、別の部署にいたか今日は休みだったのだろう。


「お待ちしてました。スウィートイージー工場で働いてるカウランって言う者っス」


 ガートルードが手を伸ばすより先に、というか勝手にガートルードの手をつかんで、カウランは握手する。

 握られた手の力強さに腕ごと上下に降られながら、ガートルードはなんとか挨拶をする。


「はじめまして。工場監督官の助手のガートルードと申します。こちらが────」

「知ってるっス。今日工場に来てた監督官さんのエドウッドさんっスよね?わざわざ来てもらってありがとうっス」


 カウランは今度はエドウッドの手をつかんで、同じように手を上下させた。

 エドウッドは困ったような顔で固まっている。


「まずは飲みましょう。話は食べながらでいいっス」


 雑談を交えた簡単な自己紹介が終わるころには、テーブルにはいくつかの料理と飲み物が並んでいた。

 周囲の騒々しさに耳も慣れてきたあたりで、カウランは世間話でもするかのような雰囲気で話し始めた。



 それは、工場の隠し事についての話だった。

 工場では長時間の残業が日常的になっているにもかかわらず、工場がそれを隠蔽している、というものだった。


「毎日そうなんスよね。同僚たちが残業時間のあとも残って仕事してるんス」

「毎日ですか────」


 ガートルードは顔をしかめる。

 事実なら、社長の話とは食い違う。明らかな工場法違反である。

 エドウッドは酒のつまみに出された木の実を齧りながら、黙って話を聞いている。


「そうなんスよ。毎日夜までずっと仕事続けてるヤツもいるんス」

「仕事時間を記録する魔法道具があるのでは?」

「あー、あれ意味ないっス」


 苦笑しながらカウランは否定する。


「みんな時間を記録した後も普通に残って仕事してるッスから」

「────工場からは、なにも言われていないのですか?」

「勝手に残業するなー、みたいなことはよく回覧板で回ってくるっス。でも、誰も聞いちゃいないッスね」


 酒のつまみを齧りながらカウランは言った。

 ガートルードは首をかしげた。


「なぜ、みなさん残業を?」

「うちの工場では」


 ジョッキの酒を飲み干して、テーブルに置く。

 プハッ、と酒臭い息を吐いてから、カウランは語りだした。


「一人当たりの生産量の平均値、ってのが毎月張り出されるんスよ。

 それが平均値より下回ってると、罰金取られるんス」

「罰金、ですか」

「でも逆に、平均値より多かったらボーナスもらえるんスよ。

 だからみんな遅くまで居残って仕事してるんス。そのせいで平均値があがるから、結局みんな残業することになっちゃうんスよね」

「なるほど」


 うなずきながら、ガートルードはまたちらっと横を見る。

 エドウッドはなにかを思案するような目でカウランを見ている。


(やはり────)


 エドウッドも、自分と同じひっかかりをこの話に感じている。

 その表情から、ガートルードはそう思った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る