-11-
ガートルードは、工場長の表情をうかがった。
さっきまでとは違い、怒りよりも戸惑いと混乱が見て取れる。
おそらく、工場長は問題点ばかりを指摘されると思っていたはずだ。
法律違反を事細かに指摘され、是正しろ、と言われるだけの、ただひたすらに苦痛なやりとりを想像していたはずだ。
だからいちいち怒鳴り返して、いちいち言い返してきたのだろう。
だから。
工場長の怒りがほどけたのなら。
こちらが敵ではないことをわかってもらえたのなら、あとは話が早い。
問題点を指摘するのではなく、共有する。
そのうえで、提案という形で、改善策を提示する。
力強く。でもけっして押し付けるような言い方ではなく。
あくまで最終的な決定権は相手に持たせたまま、話を進める。
(それが、一番大事なこと────)
工場長は、さっきよりもだいぶ落ち着いたように見える。
今なら、少なくとも怒鳴り返されることはないだろう。
ガートルードは、静かに語りかけるように言った。
「工場の経営を改善するための提案を、ほかにもいくつかご用意いたしました。よろしければ、ご一読ください」
「て、提案────?」
言いながら、持っていたもう一束の書類を工場長へ渡す。
戸惑いながらそれを受け取った工場長は、恐る恐るといった様子で目を通していく。
ガートルードは黙ってそれを見守った。
「今日一日だけで────?こ、こんなものを作ったのか────?」
読み進めながら工場長の目が驚きで開かれていく。
「こ、これは────で、でも、ウチにできるかどうかは────」
書類を何度も読み返しながらブツブツとつぶやく。
困惑。戸惑い。
さっきまでの怒りもあって、どう受け取っていいのかを決めかねているのだろう。工場長はあごに手をやったままブツブツとなにかをつぶやき、ときどきガートルードとエドウッドに視線をちらちらを向ける。
しばらく黙って工場長を見守っていたガートルードは、やがてゆっくりと話し始めた。
「隣町に新しい製糸工場ができたのが、一昨年です」
「────?」
困惑した表情で、工場長は顔を上げた。
「それと時期を同じくして、この工場から何名かが辞めていますよね。
恐らく、より良い賃金か好待遇を持ちかけられて引き抜かれたものでしょう。熟練した工場労働者────熟練工は、どこの工場も欲しがりますから」
「そ、それは」
「そして、もともと人手が足りなかったスリーウィール製糸場は熟練工が抜けたことで生産計画が破綻、生産量を増やすために未熟な者や児童まで駆り出して工場を稼働させたものの、そのせいで必要経費が増大してしまい、赤字も拡大してしまった。
────というのが、この工場の問題の始まりだと、推測いたします」
工場長はなにも言わず、黙って話を聞いている。
「ですので、まずは無理のある増産を止め、適切な労働時間に基づいた生産計画を練り直すことで、経営状況を改善できる。
それが、この提案書の骨子です」
「で、でも」
工場長は、ガートルードと後ろに座っているエドウッドの顔を交互に見ている。
その疑うような、戸惑うようなまなざしを受けて、ガートルードは優しく笑った。
「工場で働いている者たちのことを心配されているのはわかります。────であれば、なおのこと経営状況の改善が急務のはずです」
「あ、あんたら────ウチの工場を摘発しに来たんじゃ……ないのか?」
ガートルードは静かに首を横に振った。
「工場監督官の仕事は、工場の実態調査と改善提案です」
そして、工場長の顔を見ながらにっこりと笑う。
「工場法違反が是正されない状態が続くようであれば罰金を科すこともありますが、摘発だけが本分ではありません。工場の経営を改善することで、倒産などによる失業者を出さないようにすることが、工場法と工場監督官の本来の目的なのです」
「か……監督官さん……」
工場長は、ようやく、といった感じで、安堵の表情を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます