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 製糸工場というのは、非衛生的で不健康な場所だ。


 巨大で天井の高い建物の中に整然と巨大な機械が並んでいる。

 糸にゴミが入らないように窓は閉じられていて、蚕の繭を茹でる巨大な窯からは蒸気が噴出し、熱気と湿気とホコリ、そして耐えることのない騒音と振動に満たされている。

 天井には明かりをともす魔法道具が設置されているものの、魔法鉱石を節約するためにとても薄暗い。


 その中を、職工とも呼ばれる工場労働者たちがせわしなく働いている。

 蚕の繭を選別する者、巨釜でゆでる者、ほぐして繰り機に掛ける者。紡績機で糸を繰り、巻き取る者。



 工場法が最初に議題に上がったとき、議会はかなり揉めた。


 大商人が中心の重商主義派と大貴族の集まる貴族会派は、国内の工業生産力を高めたいとして反対に回った。工場労働者の保護によって、他国との価格競争で不利になるというのがその理由だった。

 権威を重んじる大教会派も、働けるものが働かずに休みを増やすのは堕落につながる、として反対した。


 しかし、中小工場を経営する新興商人たちが集まっている自由商業派は、より自由な経済競争を、という理由で賛成にまわった。もっともその狙いは、大規模工場に対して大資本の安価な工業製品に規制をかけることだった。

 教会派の中でも救貧院を運営する改革派も、貧困層の救済につながるとして工場労働者保護のために賛成した。こっちも、貧困層の増加によって救貧院の運営費が逼迫しており、その改善が主な目的だった。


 それぞれの派閥の思惑から議論は紛糾したが、結果的に工場法は成立した。

 しかし実際には、政治的取引により法案の内容は骨抜きにされた。対象の工場は綿糸工場に限定され、児童労働や深夜労働、長時間労働などの問題の解決は後回しになった。


 何度目かの改定案が出されたあと、ようやく工場の実態調査が議題に上がった。

 実際の工場がどんな環境でどんな人々が働いているのかを実は誰も把握していなかったことが、議論が進むにつれてだんだんわかってきたからだった。

 それまでは、工場のある自治体が主導で任命した治安判事によって工場の監督と調査が行われていた。

 それを、ようやく政府主導で行うことになった。


 各地の工場を回り、現地調査を行うと同時に、工場法の遵守を求めていく。

 そのために、今まではできなかった工場内の立ち入りができるようになった。

 ────それが、工場監督官である。



「それでは────」


 ガートルードは、机の上の資料に目を落としたまま、口を開いた。


「お名前とお仕事の内容、それと出身地と年齢をお願いいたします」

「えっ?そんなことまで聞くの?」


 呼び出された女工────キーネは、驚きの声を上げた。


「聞き取り調査っていうからさー、仕事のこと聞かれるもんだと思ってたよ。っていうかさ、監督官さんってそっちの男の人じゃないの?」

「エド様が、お話しいただいたことを記録していきます。質問は、私からさせていただきます」


 キーネの言葉に、ガートルードは淡々と返した。



 工場の敷地内にある別棟会議室。

 ガランと広いだけの部屋に、簡素な机とイスが置かれているだけの部屋。

 女工たちは、そこにひとりずつ、順番に呼び出されていた。

 キーネはその4番目だった。


 午前中、作業場の中は、ずっと工場監督官の噂でもちきりだった。

 今朝、工場にやってくるのを見かけた女工たちの他愛もない噂話は、あっという間に尾ひれがついた。若くてかっこいい、しかもエリート監督官なんて、若い娘たちの間で話が広まらないほうがおかしい。


 キーネは、正直言って噂話には興味がわかなかった。

 この工場の女工には年頃の子が多いから、その手の話題が盛り上がるのはしかたない。でも、どうせもう会うこともないような相手だとしても、良く知りもしないくせにあれこれ勝手に妄想して品評するようなマネは、好きではなかったのだ。


 しかし、実際に呼び出されて部屋に入ってみると、噂の若手監督官の前には背の低いエルフィ族の娘が立っていた。


 なるほど、とキーネは思った。

 どうりで、今まで呼び出された子たちの口数が少なかったわけだ。

 監督官はずっと会話を記録しているだけで無口。言葉を交わすのは主にエルフィの娘の方。それじゃ作業場に戻っても、なんの話題にもならない。


「ま、いいけどさ」


 どうでもよさそうに、キーネは答えた。

 噂のエリートさまがどんな人物かなんて、まるで興味がない。めんどくさい。

 それよりもさっさと聞き取り調査とやらを終えて欲しい、というのが本音だった。


「お手数をおかけいたします」


 ガートルードは深々とお辞儀をした。



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