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「あの……」

「あぁ?」


 工場長は振り向かず、ただ足をとめた。


「私はエド様の妻、ですが……同時に、工場監督官の助手でもあります。意味もなく同行しているわけではありません」

「だからなんだ」

「もちろん資格証も携帯しております。必要であればお見せいたします。ですので」

「だからなんなんだ、って聞いてんだよ!」


 工場長は首だけ曲げてガートルードを怒鳴りつける。

 ガートルードは一歩前に出て、まっすぐ工場長を見上げながら言った。


「ですので、これは工場監督官の助手としての業務です。

 改めて────工場の立ち入り監査を要求いたします」

「ふん!」


 工場長は大きく鼻を鳴らした。


「どうせ断ったら罰則なんだろ?やりたきゃ勝手にやれ!」


 吐き捨てるようにそれだけ言うと、工場長は肩を怒らせながら建物の中へ入っていった。

 ガートルードは深く頭を下げて、工場長が乱暴に扉を閉めるまで見送った。


(いつもの、こと────)


 ふうっ、と息を吐く。

 工場監督官というのは、だいたいどこの工場でも歓迎されない。

 工場側からしたら、国が任命した役人がドカドカと立ち入ってきて違反がないかやましいことをしていないかを事細かに調べあげ、上から目線で偉そうに指示を出す迷惑極まりない存在。

 実際に、そう言われたこともある。


 とにかく、ただでさえ嫌われ役なのだ。

 これ以上余計なもめ事の要因は増やしたくなかった────


(────ん、だけどなあ)


 ふと、聞こえてくる女工たちの声に、ガートルードの耳がぴくりと動いた。


────ねえ聞いた?

────あの人既婚ってこと?ちょっとがっかりー。


(あー……)


 エルフィの耳は伊達に大きいわけではなく、聴力もヒト族よりも多少優れている。

 彼女たちは聞こえていないつもりなのだろうから、ただの蔭口のつもりなのだろう。


────見た目かっこいいのに。よりによってあの小さいのが妻?

────幻滅ー。


 ガートルードはため息をついた。


 これも、いつものことだ。

 エドウッドは、とにかく目立つ。若い娘たちの視線を集めるだけの容姿、身分にうるさいこの国でも信頼される職業。黙って立っているだけでも周囲の興味と好奇心を煽り、女性からの好意を集めてしまう。

 そして同時に、その周囲をうろついている小娘は、邪魔者として目に映る。


 黙っていれば、あからさまにそうした感情をぶつけられることは少ない。

 まるでいない者かのように扱われることはあっても、エドウッドの前でガートルードに直接悪意を向けて見せるものは、あまり多くはない。


 しかし、関係が知られてしまうと別だ。

 出身、身分、あるいは血筋にうるさいこの国で、亜人族デミヒューマンであることは侮蔑と嫌悪感を向けていい相手ということになる。

 それが自分に向けられるだけなら、まだいい。ガートルードにとってはそんなことは慣れっこだったし、声を上げて抗議したところで意味はないし、するつもりもない。

 でもそれが、エドウッドまで巻き込むのであれば、話は別だ。

 自分が原因で、自分が妻であるという理由でエドウッドまで悪く思われ、陰口をたたかれるのは、ガートルードにとっては耐えがたいことだった。



「んー……」


 エドウッドが困ったような声を上げているのに気づいて、ふとガートルードは顔を上げた。


「また……人を怒らせてしまった」

「そう────ですね」

「今回は、和やかに話を進めたい、と……思っていたのだが」


 この人は────。

 軽く脱力感を覚えて、ガートルードは苦笑した。

 この人は、いつもこの調子だ。


 周囲からどんな目で見られているのか。若い娘たちが自分にどんな視線を送っているのか。

 ────そんなことは、まるっきり頭の中にないのだ。


「あの工場長さんは、初めから怒っておいでのようでした」

「そう……だね」

「ですので────和やかに話を進めるのは、いささか難しかったかと思われます」

「そうか……」


 これでも、本人は本気で言っているのだ。

 エドウッドは本気で、工場長と仲良く和やかに、会話をしようと思っていたのだ。


 難点があるとすれば。

 エドウッドは、会話が致命的に苦手だった。

 思っていること、考えていることを、うまく言葉にすることができない。

 見知らぬ人間を前にすると、緊張してあがってしまって、うまく話すことができなくなってしまう。


 ────これだけの美男子なのに、コミュニケーションが下手くそなのだった。


 残念そうに肩を落とすエドウッドを見ながら、ガートルードはくすっと笑った。



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