第1話「スリーウィール製糸場」
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王都エディンから北へ、のどかな田園風景の中を駅馬車で一日、徒歩なら三、四日ほどで地方都市ウェステリアにたどり着く。
さらに、そこから西へ伸びる街道を辿っていくと、やがて周囲を山に囲まれた小さな町が見えてくる。
この町はウェルスヒルという。
南北を山に挟まれ、中心に川が流れているため平地が少ない。ウェステリアから西へ向かう街道は人通りも少なく、また距離が近すぎて宿場町としてはあまり栄えていなかった。
そのため、昔から農業よりも林業や蚕業で収入を得る者が多い土地だった。
そのおかげか製糸業は盛んで、近隣の村から運ばれてきた蚕の繭をほぐし、生糸をつむぐ。それがずっとこの町の名産品だった。
糸をつむぐ魔法道具が発明されると、資産家や貴族たちはこの町に目を付けた。
住む人は少なく、工場を建てる程度の土地はあり、原料である蚕の生産地も近く、かつウェステリアまで街道が通っているため商品の輸送に便利だからだ。
最初の製糸工場が建てられると、次々と小さな工場が建ち始めた。
やがてウェルスヒルは生糸の一大生産地として、あっという間に発展していった。
工場で働く労働者が増え、労働者を相手にした商店や飲食店などが建ち、住宅がどんどんと増えていった。
街の中心部には酒や娯楽を提供する店も増え、歓楽街が形成されていった。
しかし、それも長くは続かなかった。
生糸の価格の暴落とともに不況が始まり、この町の経済はあっという間に悪化した。
小規模な工場はどんどん姿を消し、労働者たちは町からいなくなった。歓楽街もあっという間にさびれ、やがて町は元の静けさを取り戻した。
このウェルスヒルの町の中心からすこし南に行くと、東西を流れる川を一望できる丘がある。
そのちょっとした高台に、古いレンガ造りの工場が建っている。
名前を、スリーウィール製糸場という。
スリーウィール製糸場は、もともと土地の名士が出資して建てられた工場だった。規模の割に生き残れたのも、その名士が持っていた仕入れ元や販売先へのコネクションが強かったおかげだった。
今では、工場の建屋は産業を支えてきたシンボルのように、町の住人たちから扱われている。
そのシンボルの入口になっている大扉の前に、数人の若い娘たちが集まっていた。
汚れが目立ちにくい暗い色のスカート、雑に修繕された跡が残るエプロン。年の割に地味な服装なのは、女工と呼ばれる工場で働く女たちだからだ。
────聞いた?今日ウチに工場監督官が来るんだって。
────王都から来るんでしょ?アタシらがどんな風に働かされてるかを調べにくるらしいよ。
一人が陽気に笑い、周囲もつられるように笑みをこぼす。
そのうちの一人が、ふと街道から歩いてくる人影に気づいて顔を向けた。
まだ弱弱しい朝の陽ざしの中、町の中心部からまっすぐ工場まで伸びる道。
その道を、大きな革のアタッシュケースを手にした男が歩いてくるのが見える。
年齢は二十代の半ばといったところだろうか。
平均的な男性よりも頭一つ分は高い長身。まるで彫刻を思わせるような整った顔。高い鼻梁、くっきりとしたあごに、細く引き締まった唇。ややグレー気味の髪は、整えられてはいるが少し癖があるようで、飛び出した部分が歩くたびに揺れている。
紳士というほどの上品さはないものの、濃いブラウンのスーツはいかにも王都からやってきたエリートといった印象を与えるのに十分だった。
男の容姿がはっきり見えてくるにつれ、娘たちのひそひそ声は急に色めき立った。
このあたりでは見かけないタイプの美男子で、知性と品の良さを感じさせるいでたちの物珍しさは、好奇心と興味を搔き立てるのに十分すぎるほどだった。
(また噂されてる────)
噂の美男子のすぐ後ろを歩きながら、ガートルード・ベルはつぶやいた。
背中の中ほどまであるくすんだモスグリーンの長い髪。アプリコットのようなオレンジの瞳。一人でいれば十分人目を惹くはずの外見をしているのに、女工たちからは存在すら気づかれてはいない。
小柄すぎて前を歩く男の影に隠れてしまっているせいもあるが、それ以上に、噂の美男子が女工たちの注目を惹きつけすぎてしまっているせいだ。
(エド様、カッコイイからなあ)
ガートルードは、そんなふうに考えながら自分の前を歩く背中に目を向ける。
彼の名前は、エドウッド・オートゥール。
職業は工場監督官。26歳。出来たばかりの工場安全衛生庁という役所に所属しているが、エリートと呼べるほど華やかでも、そして給料もいい職業ではない。
ただ、夜空を思わせる深い青の瞳には知性と教養を、穏やかな笑みはどこか秘めた情熱を感じさせ、十分すぎるほど見る者を惹きつける力があった。誰に対しても優しく、礼儀正しくふるまい、その上品さを感じる態度から、実はとある貴族の落胤なんじゃないか、なんて噂が立ったこともあった程だ。
もちろん職場でも数多くの女性から好意を持たれることが多く、ガートルードも何度か言い寄られている場面を目撃したことがある。
(まあ、実際は────)
「帰れ!!」
その思考は突然の怒鳴り声にさえぎられた。
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