異世界工場監督官

鵜久森ざっぱ

プロローグ

 南北を山に挟まれているこの町は、朝がいつまでも薄暗い。

 山影から太陽が顔を出す頃には、人々はもうすっかり起きだしていて、あちこちから朝の支度を始める音が聞こえ始めている。


 この町の中心には、周囲の山々から流れてきた水が集まってできた川が流れている。

 この川に沿うように砂じゃりで舗装された街道が伸びていて、道沿いには古びた建物や安宿が立ち並んでいる。

 その中の一軒、看板に染織物をあしらった商家の軒先に、荷車が止まっていた。


「どうです?いい生地でしょう?」


 織布を広げて見せながらにこやかに語っているのは、行商の青年。店から出てきた商人の男は興味の薄そうな表情でそれを聞いている。


「魔法使いが1本1本糸をつむぐ昔ながらの方法で丁寧に織りあげた、ウチの村の自慢の品なんですよ」

「ふむ……」


 青年に押し付けられるように渡された織物を、商人は渋々と言った感じで広げ、手触りを確かめる。


「……そうだな」


 商人のつぶやきに、青年の顔はパッと明るくなる。


「手触りもいい。とても丁寧に織られている」

「でしょう?」


 青年は嬉しそうに笑って、さらに布地のすばらしさを語ろうとする。

 それを商人は、手を上げて制止する。


「でもなあ」

「……?」


 織布をそっと畳んで、商人は青年の手に返した。

 戸惑いながら受け取る青年に、商人はそっと目を閉じて、ゆっくりとため息をつく。


「品質とか昔ながらとか、今はそういう時代じゃねえんだよ」


 商人は顔を上げて、つまらなそうに遠くに目をやった。青年は気づいて、その視線を追った。

 その先には、レンガ造りの建物が立ち並んでいた。




※※※※※

 その昔。

 この世界は危険な魔物が跋扈し、人々は剣と魔法の力で身を守ってきた。

 幾度もの冒険と戦いの果てに、どうにか魔物を僻地に追いやった人類は、土地を開拓し、次第に自分たちのエリアを拡大し、発展していった。


 やがて、人々は魔法を解析して生活に役立てるようになった。


 それまで、魔法を使える者は限られていた。

 魔法を発動するためには術式と、術式を発動するための『クオリア』と呼ばれるエネルギーが必要だった。『クオリア』を扱えるかどうかは生まれながらの素質であり、後天的に変化することはほとんどないとされていたからだ。


 あるとき、魔法術式をいつでも同じように発動できる『魔法道具』が発明された。

 魔法道具さえあれば、『クオリア』の強さによって効果は変わるものの、魔法使いならだれでも同じ魔法を使うことができた。


 そしてあるとき、『魔法鉱石』が発見された。

 魔法鉱石は『クオリア』と同じように魔法を発動できるエネルギーを持っていて、魔法道具と組み合わせることで『クオリア』を持たない者でも、誰でも魔法を扱えるようになった。


 魔法は、一般的なものになった。


 とはいえ、最初のうちは魔法は高価だった。

 魔法術式の解読には多くの時間と人手が必要だったし、解読できた魔法の魔法道具を作るまでには長い時間と大量の資金が必要だった。

 それに、魔法鉱石は発掘してから使えるようになるまでには複雑な工程が必要だったからだ。


 あるとき、『魔法鉱石』を精製するために必要な薬を手軽に生み出す『魔法道具』が発明された。

 これによって『魔法鉱石』は容易く手に入るものとなった。


 またあるとき、やせた土地を蘇らせる『魔法道具』が発明された。

 これによって小麦などの穀物の生産量が大幅に増え、人々は食料に困らなくなった。


 そしてさらに、より良い鉄を作り出す『魔法道具』が発明された。

 これによって質のいい金属が容易に手に入るようになり、人々はさらに大きく便利な機械を作り出せるようになった。


 ────のちに、『産業革命』と呼ばれる技術革新の時代の始まりである。



 魔法はもはや特別なものではなく、冒険は過去の物語となった。

 剣は銃と大砲に代わり、馬や風に代わって蒸気機関が車や船を動かすようになった。

 大量の紙に日々のニュースが印刷され、建物にはセメントが使われるようになった。

 糸を紡ぎ、布を織っていた手は、機械を動かすようになった。

 糸や布、鉄やガラス、色々な物を作る工場が次々に建てられ、農地を耕していた人々は工場で働いて日銭を稼ぐようになった。

 工場は大量の労働者を必要とした。

 子供や女性、遠くの土地に暮らしていた者たちまでもが、その賃金を目当てに集まってきた。

 工場で大量に安く作られた品物で利益を上げた者はたちまち成功者になり、国はどんどん豊かになっていった。



 あるとき、人々は気が付いた。

 まともな教育を受けられない子供たちに。劣悪な環境で体調を崩し無くなる若い女性たちに。そして貧民街にあふれる工場でケガや病気になってしまった者たちに。

 ────新しく登場した工場、そこで働く労働者たちが、どのような境遇に置かれているのか、に。


 この国の議会は、建前のため、あるいは政治的取引のために、工場労働者を保護するための法律────『工場法』を成立させた。

 そして、各地に建てられた工場を巡り監督するための役職を作った。

 それが『工場監督官』である。




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