第3話

「えーっと、野菜マシ、アブラ、カラメ、ニンニクはマシマシ。隣の子も同じで」

 デカ盛りが有名なラーメン店に着くなり、千尋は平然と注文した。

「ちょ、私そんな食べられないし……それにニンニクマシマシって……」

 美空は不安気な声を上げたが、時既に遅く、彼女の前には山のように盛られたラーメンが配膳された。

「食べたほうがええ」

 千尋は卓上に置かれた醤油を山盛りのもやしにこれでもかとかける。

「このあと、よーないもんを追っ払うんやから腹満たしとかんと。腹が減ってはなんとやら、や」

「でも……」

 美空は割り箸を割った切り、大盛りのラーメンを前に戸惑っていた。


「本題に移る前に、最初に話を整理しとこか」

 千尋は困惑した美空を尻目に、もやしを食べながら話し始めた。

「まずそのストーカー、最初はたしか、後を付けてきたり、ポストにラブレターぶち込んだりしてたんやろ?」

「う、うん、家も部屋番号もバレてたみたいだし。だから、引っ越した」

「引っ越した先は、オートロックマンションやっけ?」

「そう。エントランスで暗証番号を入れないと入れないとこ。部屋も外からは見えないから、私がどこの部屋に住んでいるのかは分からないはず。それまでポストに入ってた手紙とかビラもぱったり来なくなったし」

「で、そっから変なことが連発したってわけやな」

「そう。部屋には私しかいないはずなのに、なんか人の気配がしたり、見つめられてる感覚っていうか……それだけだったらまだいいんだけど、匂いが……」

「そいつの匂いか、」

 美空は大量のもやしを必死に咀嚼し、頷く。

「シンナーっていうのかな。接着剤の匂い? それと汗が混じった様な。最初は気のせいかなって思ってたんだけど、それがあまりにも酷くて……」

「問題はその先やな」

「うん。匂いと気配だけなら、まだ気のせいかなって我慢できてたんだけど、夢、見て」

「どんな夢や」

 やっともやしを消化した千尋は麺をすすり始めた。

「あの男が立ってるの。部屋の中に。部屋は真っ暗で、私は動けなくて……ジッと見つめてるの。でも、次の瞬間、男が掴みかかってきて、」

「んで、出来たんが、その痣か」

 美空は最前見せた腕をさすった。

「実はこれだけじゃなくて、背中とか、足とかにもひっかいたような跡がミミズ腫れになってて」

「そこやな、ウチが解せんのは」

 千尋は自販機で買った烏龍茶を飲む。

「最初あんたに話聞いた時は、呪いの類やろなって思ったんやけど、痣とか傷とか、直接攻撃を仕掛けて来とんのがどうにも腑に落ちん……ニンニク、食べたほうがええで」

 千尋は顎をしゃくって、美空が意図して避けたニンニクの塊を指した。

 美空は苦笑いをして、刻んだそのニンニクの塊を口に運ぶ。口に入れた瞬間、強烈な臭気と辛味が鼻を突き抜けていく。大きくむせた美空に千尋は笑って水を差しだした。

「呪いにしては、あまりに露骨すぎるし……おおよそ、あんたの匂いを付けて来た式神か使い魔ってとこやろな」

「式神? 使い魔?」

「ま、何にしても腹ごしらえに越したことはない。ほら、はよ食べ食べ」

 美空は慌ててまだたんまり残ったラーメンに取り掛かった。


「九条さん、言われた通りやってみたけど……これでいい?」

 2人で自宅へ戻ってきた美空は、自分の寝室のドアを開け、リビングにいた千尋に声を掛けた。

「お、ええ感じやん」

 寝室には美空の私服やタオルを一纏めにした塊が置かれてある。すべて、千尋に指示されたことだった。よく着ている服、最近使ったバスタオル。その他私物を全て寝室に集めるようにと言われた。

「あ、今着てる服も脱いでな」

 ため息を吐き、美空は服を脱いで、塊の上へ被せた。

「下着もな」

 千尋はよこせと言わんばかりに手を差し出す。

「え……これも?」

 渋っていると千尋は腕を組んで無言の圧をかけてくる。美空は顔を真っ赤にして全裸になった。

 千尋はそんな美空に一瞥もくれず、受け取った下着に何かを振り掛け始めた。

 よく分からない容器に入った水と塩に似た白い粉。それを下着、そして服の塊にまんべんなく振り掛けていった。

 部屋のドアには赤く細い糸のようなものをぐるぐると巻き付け、奇妙な結び方をして、ぶつぶつと何かを呟いた。

「これで、いいの?」

「ま、こんぐらいしたらダイジョブやろ。知らんけど」

 千尋は笑っていた。


 やがて日が暮れ、夜がやって来た。美空は帰りに買ってきたジャージに着替え、コンビニで買った総菜を千尋と食べた。

 千尋はどうでもいい話を延々と繰り広げた後、映画を一晩中見続けた。

 彼女は一切気にしている素振りも見せなかったが、隣の寝室からはひっきりなしに何かが歩き回り、暴れ、そして這いずる様な音が一晩中聞こえ続けていた。

 恐怖でとても寝る気にはなれなかったが、徹底的に無関心を装い、怯えている素振りをおくびにも出さない彼女の姿に、美空は次第に安心感を覚え、いつの間にか眠ってしまっていた。


「終わったで」

 声を掛けられ、目を覚ます。部屋には朝日が差し込んでいた。

 朝の6時前だった。

「ずっと起きてたの?」

「まあな」

「ありがとう」

 洗面台で顔を洗い、2人で寝室の前へ行った。

 昨夜ぐるぐるに巻き付けた糸はそのまま残っており、ドアを見るだけでは何の変哲もなかった。

 千尋は両手の人差し指で糸をちぎり、ドアを開けた。

 恐る恐る中を覗き込むと、部屋は泥棒が入った後のように荒らされ回っていた。ベッドは部屋の隅へ跳ね飛ばされ、クローゼットは斜めになって倒れ掛かっている。

 しかしそれよりも目を引いたのは、部屋の中央にあった黒い塊だった。一瞬何かが分からなかったが、近づいて見てみると、それは美空の服だった。昨夜脱ぎ捨て、一塊にした衣服やタオルの塊が、火を付けて燃やされたように真っ黒こげになっていた。

 手で触れると、炭化した煤が指を黒く染めた。余程大きな炎で丹念に燃やさなければ、こうはならない。しかし、部屋を見回してみても火を使った形跡はどこにもなかった。

 代わりに部屋には何かの毛が散乱していた。

 赤茶けたその毛を千尋が興味深そうに拾い上げて笑う。

「こりゃ日本のやないなぁ……地味ぃな日本の呪いと違ごうて、こーゆー舶来品は派手で暴力的や。よくあるやろ? こうやって動物の使い魔飛ばしたり、呪いを込めた人形を動かして襲わせたり」

「よ、よくあるかは分かんなけど……これで終わったの?」

「ま、人を呪わば穴二つ。剣を使うものは剣で死ぬ。これだけは全世界共通や。全部自分に返ってくる。これで、その男も凝りたやろうな」

 美空は大きな安堵のため息を吐いた。

「よかった……」

「ただ一つ……」

「え?」

「あんた、部屋の鍵はしといたほうがええな。いくらオートロックやからって不用心が過ぎるわ」



つづく

 


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