第2話
今日は久しぶりに、ボーダー公爵家で家族五人が全員揃った楽しい食事だ。
本当ならばこのまま何事もなくこの素晴らしい時間を堪能したいところなのだが……私は一度フォークをテーブルに置くと、先程から様子のおかしい父、ガリアに話しかけた。
「お父様、何か隠していることでもあるんですか?」
「ぐふっ!」
「水飲んでください」
普段は厳格な父も家庭では抜けてるところが結構ある。
公爵家当主としての激務を家の中で癒せていることは娘としても嬉しいが、そのせいでポーカーフェイスもお粗末で何かあるのは容易に察せてしまう。
「ああいや……実はな、お前の耳に入れておきたいことがある」
「聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちがせめぎ合っていますが……わかりました、聞かせてください」
父の表情からもあまり良いニュースは聞かせてもらえそうにないが、何も知らないでいると更に悪いことが起こりそうだ。
「実は翌日、急遽パーティーが開かれるそうだ」
「翌日ですか、しかし私に招待状は来ていませんし、関係のない話では?」
「……主催者はコナー様だ」
「はぁ!?」
父の言葉に真っ先に反応したのは私ではなく、隣に座っていた妹のアルスだ。
テーブルを叩いて立ち上がると、どういうことだと父に詰め寄る。
「やっぱあの男舐めてるよ! お姉様のことをどれだけ馬鹿にする気!?」
「やめろアルス、父さんに言ってどうこうなることじゃない」
暴走したアルスを止めたのは私の兄であるロイスだ。
「だが黙って見ているというのも俺は反対だ。これはボーダー家に泥を塗るような行為と捉えられても仕方のないことだからな」
「私としてはあまり事を大きくしたくないのですが……」
「お前がそういう甘い態度を取るからつけあがるのだ。婚約者がいながら他の女に
「いや思いますけど……」
私はそこで口をつぐんだが、言わなくとも伝わっただろう。家族全員の認識として、できることならあんな男と婚約なんてしたくなかったというのが本音だ。
「すまないマーガレット、本当はお前には自由に相手を選んでほしかった」
「いいんですよお父様、色々理由はあったんでしょうし。それに国王様もあれから改善しないとは思ってもいなかったでしょうね」
出来るだけ覚えておきたくなかった、コナーと初めて会った記憶が呼び起こされる。
第一印象は最悪も最悪で、顔面に投げつけられた虫の感触は忘れようとしても忘れることができない。
まだ幼いが故に不問とされた、いやするしかなかったが、あの時から知能に大した向上が見られないのだから驚くべきことだろう。
いや、今は流石にあんな下品なことはしないだろうが、相手の気持ちを考えたり自分を客観視できないところは何一つ変わってない。
「……マーガレット」
コナーの話で沈んでしまった空気を切り裂くように、今まで沈黙を貫いていた母のマリアが私の名前を呼んだ。
「なんでしょうか?」
母は使用人に目配せをして手紙のようなものを持たせると、私のところに持ってこさせた。
開けてみろ。
そう視線で促されたので私は恐る恐る封を切って中身を読んだ。
「これは━━」
「どうするかは貴方が決めなさい」
「……わかりました」
ソフィア=カルデリア。
手紙の差出人を見て、私は覚悟を決めた。
♢
「リリー手を」
「はい、コナー様」
「ふっ、今日はこの俺に任せておけ」
服装を整え自身ありげに手を差し出すコナーに表面上は笑顔で接しながらも、リリーは心の中で蔑んでいた。
リリーの口車にまんまと騙され、婚約者を差し置いてパーティーを開く。それがどういうことなのかコナーは理解していない。
いや、良くないことだとはわかっているのだろう。しかしそれでもリリーを優先するあたり、事の重大さまでは頭が回っていないのは明らかだ。
(マーガレット様が嫌う理由もよくわかりますね。まっ、そのおかげで近づくことができたんですけど)
リリーは別にマーガレットが嫌いなわけではない。
友達を一切作らずに一人でいるのは学生としてどうかと思うが、彼女の堂々とした立ち振る舞いは孤独よりも『孤高』という言葉を思わせる。
リリーもそんな彼女のことに憧れのような気持ちを抱いたこともあるが、それとこれは話が別。彼女の態度はリリーにとって都合のいいものだった。
「ご機嫌ようコナー様」
「ああ、今日は来てくれて感謝する」
会場に入って早々に話しかけてきた令嬢はリリーにとっても馴染みのある顔だ。
それから続々と見知った顔が近づいてくる。
それも当たり前で、今回のパーティーはリリーとコナーの友人だけで開催されている。
理由はもちろん余計なトラブルを避けるためであり、学生たちの交流という名目で出来るだけ大人を関わらせないようになっている。
リリーが求めるのはコナーが婚約者よりも男爵令嬢を優先したという事実だけだ。
外堀を埋める、というよりはコナーを後戻りさせないようにするのが目的であり、リリーたちの関係を今以上に周知の事実として知らしめる効果がある。
急ぐ必要はない。着実に、コナーがマーガレットとの婚約を破棄するように、するしかないように動いていく。
「おや、何かあったのでしょうか?」
リリーたちが会場に入ってからしばらく経った頃、入り口付近でどよめきが広がっているのに気がついた。
リリーはコナーに断りを入れてから様子を見にいくと、騒ぎの中心にいる人物を見て体が硬直した。
マーガレット=ボーダー。
ソフィア=カルデリア。
その二人が威風堂々とした姿で立っていたのだ。
予想外の来客に硬直していた場だが、リリーはすぐに思考を切り替えて二人に近づいていく。
「ご機嫌ソフィア様、招待状はお持ちですか?」
「はい、これですよね」
「失礼ですが、確認してもよろしいですか?」
「ええもちろん、喜んで」
ソフィアは招待状を手渡す。
リリーは動揺を見せないようゆっくりと封を開き、中身に目を通す。
しかし実際に見たいのはとある箇所だけだ。
それは文末に刻まれている2本の剣が交差する紋章━━王家の紋章である。
招待状自体の偽造は容易くとも、この紋章だけは偽造する勇気を持つ者はいない。
万が一バレた場合、それは国家に反逆したともされる重罪として判断されるからだ。
だが、神に誓って
だからこの招待状は間違いなく偽造、しかし王女であるソフィアならばこの紋章を使うことを許される数少ない存在だ。
━━やられた。
もちろん存在は認知していた。
しかし、マーガレットとの面識があるというのは初めて知ったことだ。
コナーの妹という事を考えれば不思議なことでもないが、そもそもマーガレットとコナーの関係が険悪と呼べるほどであるためその妹と仲が良いとは考えにくかったのだ。
そもそもコナーとの婚約破棄を望んでいた節があるマーガレットが動くとは思っていなかったからこその行動だったが……ソフィアが介入するメリットは何か、リリーは考える。
いや、それは後だ。人目が多い中で追い返してしまっては、瞬く間に噂は広がってしまうだろう。
恐らく、それも織り込み済みでの行動のはずだが。
リリーは招待状を背中で隠して握り潰す。
「今日は楽しみましょうね、リリーさん?」
「ええ、もちろん歓迎しますよソフィア様」
作り笑顔を浮かべながら、両者は握手を交わした。
♢
━━すっごい胃が痛い。
私は舌戦を繰り広げる二人の横でポーカーフェイスを保ちながら、早く時間よ過ぎてくれと願っていた。
しかし残酷なことに時計は一定のリズムを刻むだけで、むしろ意識したことで時間の進みが遅く感じてしまう。
こういう、本音を隠して遠回しに相手を攻撃する場は苦手だ。公爵令嬢としてそれはどうなんだとは自分でも思っているが、好き嫌いの問題は直しようがない。
「それではマーガレット様、手を」
「はい、ソフィア様」
やっとコナーのところに戻っていったリリーを見届けた後、諦めて手を置くと、周囲から突き刺される無数の視線を受けながら歩いていく。
あまり視線を向けられることに慣れていないせいか、これは……結構なストレスを感じる。
そもそもエスコートをするのは婚約者か家族の男性の誰かと相場が決まっているのだが、ソフィア様はそのどちらにも当てはまらないどころか女性だ。
━━私と一緒に乗り込んでみませんか?
ソフィア様から送られてきた手紙にはそう書いてあったが、いざ実際に来ると場違い感が半端ではない。
周りには学生しかいないがほとんどは異性と組んでいるし、多分このパーティーを開催した理由にもそう言った交流が含まれているだろうというのは想像に難くない。
「私こういったパーティーはあまり参加したことなくて、ちょっと楽しいです」
「それは羨ましいですね。私は……素直に楽しめそうにないので」
先ほどからチラチラとコナーがこっちを見てくるが、リリーに何か言われたのかそれ以上はこちらに干渉してくる様子はない。
「しかし来たはいいのですが、何をするおつもりですか?」
「ふふっ、何もする気はありませんよ。ただ、私たちがこの場にいるだけで下手には動けないでしょうから」
「まあ、確かにそうですね」
リリーとしては今回のパーティー、何か話題になるようなことでもしようとしていたのかもしれない。
例えばお互いに愛し合っていると周りに認知させたり、接吻とかするつもりだった可能性もある。いや、流石にこれは言い過ぎか。
いくら学園内で厚顔無恥なことをしていると言っても、パーティーの場で婚約者を目の前にして堂々と浮気みたいなことはできないはずだ。私に招待状を送っていない時点でどうかと思うが。
しかし、ソフィア様にどんな考えがあるのかわからない以上は、私から何か大きな行動を起こすつもりは今のところない。
「それよりもマーガレット様のドレス、素敵ですね」
「妹が選んでくれたんです。ソフィア様もお似合いですよ」
シンプルな真っ白なドレスは清純なソフィア様のためにあるようなものにも思え、艶やかな金髪にも非常に合っている。
私のものは黒を基調として金色の装飾が入っていて、背中が大きく開いている。
正直言ってこれを着るのはかなり勇気がいるが、妹が言うには「お姉様の長い赤髪と相まって色気が出てる」らしく、強い押しもあってか断れなかった。学生に色気は要らないと個人的に思う。
しばらく話していると、音楽が奏でられ始め、各々が相手を見つけてダンスを踊り始める。
「私たちも踊りましょうか」
「ええ、ソフィア様」
音楽に合わせ、相反する色のドレスが舞う。
「お上手ですね」
「はい、昔からダンスは好きなんです」
お世辞ではなく本心からそう思った。
ダンスは昔叩き込まれたが、相手に恵まれなかったせいかあまり好きになれないでいた。
しかしソフィア様はタイミングも完璧で、合わせているという感覚がほとんど無い。
むしろ踊っていくにつれて息が合っていき、自然とお互いのスピードも上がっていく。
音楽が止まった時、私たちはさっきよりも随分と多くの人から好奇の視線を向けられていたことにやっと気がついた。
少し気恥ずかしい気持ちになりながらも、ソフィア様に感謝を述べる。
「ありがとうございます、初めてこんなに楽しく踊れました」
「なら良かったです。私もとても楽しかったですから」
遠くでコナーが恨めしそうにこちらを見てくるが、私はそれに気付きながらもあえて視線を送らず無視することにした。
プライドの高い彼のことだ、自分よりも目立っていることが気に食わなかったのだろう。だから歯牙にも掛けないというような態度を取ってあげる。ささやかな仕返しというやつだ。
「では次もお願いできますか、お嬢さん?」
「ふふっ、ええもちろん」
私はソフィア様の手を取った。
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