3-2

 ざくり、ざくりとショベルが瘠土せきどを掘り起こす音が繰り返される。土を掬い上げては後方に積み上げて、また切っ先を突き刺して掘り起こして。極めて機械的な動作を、ソラはひたすらに続ける。


「……昨日、あなたがこの子の死体をそのままにしておけと言った時から、ずっと気になっていたの。どうしてそんなことを言うのか、って」


 掘削音を遮るように、正面からアマネの声が挟み込まれる。軒下にしつらえられたベンチに座り、まるで演奏会コンサートの幕開けを待つようにぴんと背筋を伸ばす、凛とした姿勢。


「それは、このためだったのね」


 作業の手は止めず、ソラは睫毛の先を少しばかり持ち上げてアマネを見遣った。彼女の白茶色の双眸は無惨に欠け落ちた友人の亡骸ではなく、これから友人が横たわる作りかけの寝台へと向けられている。

 先日、奈落に落ちてきたばかりの——あとでエンジュから名を知らされたユウという男性に遭遇する前、公園に放置されていた死体は体格から推察するに成人男性のものだった。そのぶん墓穴は肢体が収まるように相応に大きいものにしなければならなくて、それと比較すると今回は労力的に少なくて済む。

 両腕の欠損こそ凄惨なものの、直接の死因となったであろう傷は心臓にある刺創ひとつだけで、それ以外はほとんど綺麗なままだった。血色を失って青褪めた頬に微笑はなく、閉ざした瞼の奥に隠された瞳は二度と光を宿すことはない。

 アマネが友人と呼んでいたため勝手に同年代かと思い込んでいたのだけれど、よく見てみれば彼女よりも若干歳下の一五、六歳あたりのいとけなさの残る顔貌をしている。


「ここに連れて来られた時は、なにをするつもりなのかと思ったわ。ショベルを持っていたからなおさらにね」

「たかがショベルで物騒なことできるかよ」

「ショベルで粉々になるまで叩き潰す人がいるかもしれないじゃない?」

「いやこえぇよ、どんなサイコパス野郎だそいつ。つか、俺がそれをやると思ってたのかよ」

「可能性はゼロじゃなかったもの」

「ふざけんな、ゼロに決まってんだろ」


 軽口と呼ぶにはあまりに平坦な口調で会話を交わす。単なる雑談でしかなく、相手の腹の底を探り合う意図も孕んでいないためにどちらも声色に感情が乗っていない。

 墓穴を掘り始めて五分は経過しただろうか。低身長かつ痩躯の死体が収まるほどの大きさまで掘り終え、休憩がてらに屈めていた上半身を起こしてぐっと伸びをする。凝り固まった筋肉が伸縮し、ぼきぼきと鈍い音を立てて骨が鳴った。

 さて、とひと息ついてから、次の工程である死体の移動に取り掛かろうとした、その時だった。


「ねえ、」


 一度締めくくられたかと思われた会話を、不意にアマネが繋いだ。

 呼び止められて見返した先、彼女はじっとソラを見つめていた。


「どうしてあなたは、名も顔も知らない人の遺体を埋めるの?」


 差し向けられた視線に縫い止められてしまったかのように、ソラは目を瞠って硬直する。

 彼女の声色の陰に隠れるように、別の誰かの声が聞こえたような気がした。自分によく似た、けれど今よりも随分と高い、変声期を迎える手前の少年の声。


『なんで、知らない人を埋めてあげるの?』


 在りし日、父親に向けて投げかけた問い。文辞こそ違うものの、主旨自体は全く同じだ。

 ソラは無意識に詰めていた息を細く吐き出してから、低く唸るように発声する。経験上、この手の質問を掲げてくる輩にろくな奴はいない。


「……どこの誰かも知らねぇ人間を埋めんのはおかしいって、そう言いたいのか?」

「いいえ。ただの純粋な疑問よ」


 再び押し黙る。どうやら、彼女は数少ない常人のようだ。

 だからこそ、ソラは返答に窮する。嘲罵のために問いただそうとする連中は適当にいなすことはできても、彼女のように真っ当な理由をもって質問する者への適切な回答を、現状持ち合わせていないのだ。

 なぜ、と問われたところで、今のソラが返せる回答は酷く曖昧で、果たして答えと呼んでいいものかすらもわからない。


「……別に、大した理由はねぇよ」


 されども、紛れもない本音だった。

 大した理由など、なにひとつもない。


「父親の真似事をしてるだけだ」


 今のソラにとっては、本当にただそれだけだった。

 ざあ、と砂埃を運んでざらついた颯声さっせいが耳朶を撫ぜる。しばらく待てどアマネからの返事はなく、このまま見つめ合っているのも落ち着かないので一方的に視線を外し、作業の再開に移った。

 横たわる死体のそばにしゃがみ、目視で状態を再確認する。やはり損傷は少ない。手荒であることは承知のうえだけれど、いつものように慎重に押していけば問題なく墓穴に収められるだろう。


「……あなたのお父様と、お母様は……」


 立ち上がり、ショベルの切っ先を死体の右肩に触れさせると同時に、ようやくアマネが口を開いた。内容のせいか、微かに震えた声色。


「もういねぇよ。四年前、店に押し入ってきた強盗に殺されたからな」

「え……」

「別に驚くもんでもねぇだろ。人死になんざ日常茶飯事なんだから」

「……え、えぇ、そうね。ごめんなさい」


 常に凛然としている彼女にしては珍しく動揺の滲んだ調子に、ソラは思わず手前に死体を押す動作を止めて彼女を一瞥した。ソラがいるほうとは真逆の方向を向いて俯いている姿は、触れてはいけない部分に触れてしまったと後悔しているように見える。


 ——意外と変なところで気ぃ遣うんだな。


 口にすれば、既に慣れつつある絶対零度の皮肉が飛んでくるだろうと推察して、胸の底に留めたまま死体の足元に移動する。足を通したままの草臥くたびれたスニーカーはもともと白色だったのだろうけれど、砂埃と血潮で汚れて本来の色彩がほとんど見えなくなっている。


「父親は、血が繋がってる俺でも理解できない人間だった。知らない人間の死体を埋めて、なんになるんだってずっと思ってた。……ひとりぼっちはさみしいから死体を埋めてやる、っていう回答は一応教えてもらったけど、それだっていまだに意味がわかってない」


『ひとりぼっちは、さみしいからね』


 父親へ向けた疑問への回答は、既に受け取っている。けれどそれは、あくまで父親の答えにすぎず、ソラ自身が導き出したものではない。

 たとえ両親を失ったとしても、ソラにはショウがいる。ふたりが共に生きながらえるかぎり、どちらかが先に息絶えるまで、互いに孤独を知ることはない。孤独を知らないままだから、父親の言葉の真意を汲み取ることができない。

 その一方で、孤独を知らずにいたいと願う気持ちが存在していることも、また事実だった。


 ——孤独なんて一生知らないままでいい。俺も、ショウも。


 父親とて、祖父母やその他親族との死別を経験していても実際には完全な孤独ではなかったはずだ。それでも孤独のさみしさを我が感情のように汲み取って悼んでいた。父親にできたことがソラにはできないという道理はない。


「だからまあ、その意味を知るためってことになるんじゃねぇの? 意味が理解できたところで、じゃあこれからも同じように死体を埋めるかって訊かれたら『はい』とは言えないかもしれねぇけど」

「それは私に訊かれても困るわ。私の質問への答えは、あなただけしか知らないもの」

「……それもそうだな」


 会話が途切れた隙に、ソラは最後のひと押しに全神経を張り詰める。死体は墓穴の縁に添い、ほんの少しでも押しやれば転がり落ちてしまう位置にある。ここで力加減を間違えてしまえば死体は俯せになるどころか、腐敗の進んでいるものであればさらに欠損してしまう。

 再び頭部のほうへと戻り、地面と肩甲骨あたりの隙間にショベルを差し込んで掬い上げ、まずは上半身からゆっくりと墓穴に下ろしていく。後頭部だけが接地し、下半身のほとんどを地表に取り残したままの不安定な状態にして、急いで足元に移動して同じ動作を繰り返す。体重が軽い小柄な女性だったのが功を奏したのか、無事にもとの状態を保ったまま横たわった亡骸を見下ろして、無意識に安堵の息が洩れた。


 すぐ近くで立ち止まる気配がして、顔を上げればいつの間にやら近寄っていたのか、アマネが墓穴を覗き込むように首を伸ばして俯いていた。重力に従って垂れ下がる髪に隠されて表情は窺えない。

 友人との最後の別れを邪魔するべきではないと知りつつも、ソラはふと胸中を掠めた疑問を音にすべく唇を動かした。


「なあ、俺からもひとつ訊いていいか」

「……ええ、どうぞ」

「遺品は見つかったのか?」

「え?」

「遺品。昨日、探してるって言ってたろ」

「ああ……」


 アマネは生返事をして、顔は俯けたまま自身の白い外套のポケットに右手を差し入れた。引き抜かれた時には拳が作られており、彼女はそれをソラに向けて突き出すと花が綻ぶように指を広げた。

 開かれた手のひらには、小さな白い花の意匠のピアスがひとつ。


「いつもあの子が身につけていたの。でももう片方はずっと前になくしてしまったらしいから、ひとつしかないのだけれど」

「遺ってるのはそれしかなかったのか?」

「ええ。もともと所持品が少ない子だったから。……でも、これだけで充分。これでちゃんとお別れできるわ」


 アマネは膝を折ってその場にしゃがみ込むと、左右の指を交互に組み合わせるようにして胸の前で握り締めた。唯一の遺品であり形見でもあるピアスは、彼女の手のなかに固くとざされている。

 ソラは彼女達の出逢いも、これまでの歩みもなにひとつ知り得ない。それでもきっと、かけがえのない友情で結ばれていたのだろうと、心のなかで思う。


「私と友達になってくれて、仲良くしてくれて、そばにいてくれて、ありがとう。……助けてあげられなくて、ごめんなさい」


 どうか、安らかな眠りを。囁くように、呟くように永別を告げる。涙に潤んでこそいないものの、その声色からは友人の死を悼む悲痛がひしひしと伝わってきた。

 その姿はまるで、神像の前で祈りを捧げる聖女のようで。

 ソラはこの時初めて、彼女のことを美しいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る