3-2
ざくり、ざくりとショベルが
「……昨日、あなたがこの子の死体をそのままにしておけと言った時から、ずっと気になっていたの。どうしてそんなことを言うのか、って」
掘削音を遮るように、正面から
「それは、このためだったのね」
作業の手は止めず、
先日、奈落に落ちてきたばかりの——あとで
両腕の欠損こそ凄惨なものの、直接の死因となったであろう傷は心臓にある刺創ひとつだけで、それ以外はほとんど綺麗なままだった。血色を失って青褪めた頬に微笑はなく、閉ざした瞼の奥に隠された瞳は二度と光を宿すことはない。
「ここに連れて来られた時は、なにをするつもりなのかと思ったわ。ショベルを持っていたからなおさらにね」
「たかがショベルで物騒なことできるかよ」
「ショベルで粉々になるまで叩き潰す人がいるかもしれないじゃない?」
「いや
「可能性はゼロじゃなかったもの」
「ふざけんな、ゼロに決まってんだろ」
軽口と呼ぶにはあまりに平坦な口調で会話を交わす。単なる雑談でしかなく、相手の腹の底を探り合う意図も孕んでいないためにどちらも声色に感情が乗っていない。
墓穴を掘り始めて五分は経過しただろうか。低身長かつ痩躯の死体が収まるほどの大きさまで掘り終え、休憩がてらに屈めていた上半身を起こしてぐっと伸びをする。凝り固まった筋肉が伸縮し、ぼきぼきと鈍い音を立てて骨が鳴った。
さて、とひと息ついてから、次の工程である死体の移動に取り掛かろうとした、その時だった。
「ねえ、」
一度締めくくられたかと思われた会話を、不意に
呼び止められて見返した先、彼女はじっと
「どうしてあなたは、名も顔も知らない人の遺体を埋めるの?」
差し向けられた視線に縫い止められてしまったかのように、
彼女の声色の陰に隠れるように、別の誰かの声が聞こえたような気がした。自分によく似た、けれど今よりも随分と高い、変声期を迎える手前の少年の声。
『なんで、知らない人を埋めてあげるの?』
在りし日、父親に向けて投げかけた問い。文辞こそ違うものの、主旨自体は全く同じだ。
「……どこの誰かも知らねぇ人間を埋めんのはおかしいって、そう言いたいのか?」
「いいえ。ただの純粋な疑問よ」
再び押し黙る。どうやら、彼女は数少ない常人のようだ。
だからこそ、
なぜ、と問われたところで、今の
「……別に、大した理由はねぇよ」
されども、紛れもない本音だった。
大した理由など、なにひとつもない。
「父親の真似事をしてるだけだ」
今の
ざあ、と砂埃を運んでざらついた
横たわる死体のそばにしゃがみ、目視で状態を再確認する。やはり損傷は少ない。手荒であることは承知のうえだけれど、いつものように慎重に押していけば問題なく墓穴に収められるだろう。
「……あなたのお父様と、お母様は……」
立ち上がり、ショベルの切っ先を死体の右肩に触れさせると同時に、ようやく
「もういねぇよ。四年前、店に押し入ってきた強盗に殺されたからな」
「え……」
「別に驚くもんでもねぇだろ。人死になんざ日常茶飯事なんだから」
「……え、えぇ、そうね。ごめんなさい」
常に凛然としている彼女にしては珍しく動揺の滲んだ調子に、
——意外と変なところで気ぃ遣うんだな。
口にすれば、既に慣れつつある絶対零度の皮肉が飛んでくるだろうと推察して、胸の底に留めたまま死体の足元に移動する。足を通したままの
「父親は、血が繋がってる俺でも理解できない人間だった。知らない人間の死体を埋めて、なんになるんだってずっと思ってた。……ひとりぼっちはさみしいから死体を埋めてやる、っていう回答は一応教えてもらったけど、それだっていまだに意味がわかってない」
『ひとりぼっちは、さみしいからね』
父親へ向けた疑問への回答は、既に受け取っている。けれどそれは、あくまで父親の答えにすぎず、
たとえ両親を失ったとしても、
その一方で、孤独を知らずにいたいと願う気持ちが存在していることも、また事実だった。
——孤独なんて一生知らないままでいい。俺も、
父親とて、祖父母やその他親族との死別を経験していても実際には完全な孤独ではなかったはずだ。それでも孤独のさみしさを我が感情のように汲み取って悼んでいた。父親にできたことが
「だからまあ、その意味を知るためってことになるんじゃねぇの? 意味が理解できたところで、じゃあこれからも同じように死体を埋めるかって訊かれたら『はい』とは言えないかもしれねぇけど」
「それは私に訊かれても困るわ。私の質問への答えは、あなただけしか知らないもの」
「……それもそうだな」
会話が途切れた隙に、
再び頭部のほうへと戻り、地面と肩甲骨あたりの隙間にショベルを差し込んで掬い上げ、まずは上半身からゆっくりと墓穴に下ろしていく。後頭部だけが接地し、下半身のほとんどを地表に取り残したままの不安定な状態にして、急いで足元に移動して同じ動作を繰り返す。体重が軽い小柄な女性だったのが功を奏したのか、無事にもとの状態を保ったまま横たわった亡骸を見下ろして、無意識に安堵の息が洩れた。
すぐ近くで立ち止まる気配がして、顔を上げればいつの間にやら近寄っていたのか、
友人との最後の別れを邪魔するべきではないと知りつつも、
「なあ、俺からもひとつ訊いていいか」
「……ええ、どうぞ」
「遺品は見つかったのか?」
「え?」
「遺品。昨日、探してるって言ってたろ」
「ああ……」
開かれた手のひらには、小さな白い花の意匠のピアスがひとつ。
「いつもあの子が身につけていたの。でももう片方はずっと前になくしてしまったらしいから、ひとつしかないのだけれど」
「遺ってるのはそれしかなかったのか?」
「ええ。もともと所持品が少ない子だったから。……でも、これだけで充分。これでちゃんとお別れできるわ」
「私と友達になってくれて、仲良くしてくれて、そばにいてくれて、ありがとう。……助けてあげられなくて、ごめんなさい」
どうか、安らかな眠りを。囁くように、呟くように永別を告げる。涙に潤んでこそいないものの、その声色からは友人の死を悼む悲痛がひしひしと伝わってきた。
その姿はまるで、神像の前で祈りを捧げる聖女のようで。
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