3-3
他者の命を
だから、
栄養が尽き果てて
その点、
細やかな砂塵を攫いながら頬を掠める風の声だけが
「……なあ、」
喉に力を入れて押さえつけ、敢えて低い声を作る。
「あんた、俺の前か隣歩いてくれないか?」
顔は進行方向を向けたまま、けれど問いかけた相手は
「……それは、どうして?」
「後ろに誰かにいられると落ち着かない」
正確には、腕を伸ばせば触れられる距離に他人がいることが、だけれど。細かく指摘するとまた皮肉が飛んできそうだったから、敢えて控えめにした。
後ろをついてくる
「もしかして、私に殺されることを警戒してるの?」
「まあ、それもなくはねぇけど……妙に足音が気になるっつうか、気ぃ抜いたら敵と勘違いしちまいそうっつうか……」
「普段はひとりでいるから違和感がある、ということ?」
「そう、だな。そんな感じ」
ふうん、と含みのある声韻の相槌が返る。彼女の歩く速度がさらに早まり、
「わかったわ。でも、あなたの前は嫌。私だって殺されたくないもの」
「誰が——」
殺すかよ、と言いさして、口を
不自然な区切りかたをして黙してしまった
日によっては死体がひとつも見つからないことがあったり、一度に複数人を発見することもある。
次なる死体を探すふたりが歩いているのは、初めて彼女と対面した民家から一直線に伸びる遊歩道である。大通りから道路三本ぶん離れた区画に立ち並ぶのは大半が一軒家で、どれも当時の面影を失って瓦礫ばかりが
隣に並ぶ
「……そういえば、言い忘れていたわ」
ふと思い出したように、彼女が口を開いた。こっそり様子を窺っていたことを咎められると思い、ぎくりと肩を強張らせる。
しかし次の時、彼女の桜唇から紡がれた言葉に
「あの子を埋葬してくれて、ありがとう」
真直ぐに見上げてくる、白茶の瞳。心の奥底まで暴かれてしまいそうなほどに、清麗に透きとおった色彩の。
思考が滞って、耳朶を震わせた音だけが脳内を巡る。まるで彼女に停止を命じられたかのようにぴたりと足を止め、その場に立ち尽くす。唐突に立ち止まった
——なんで、俺が礼を言われてんだ?
少し先で遅れて歩を止めた彼女が振り返り、色素の薄い白茶の髪があえかに降り注ぐ陽光を
ありがとうとは、感謝を告げる言葉だ。親切にしてもらった時、なにかを手伝ってもらった時、喜ばせてもらった時などに、音を乗せて相手に伝えるための。
——別に、礼を言われるようなことしてないよな?
確かに、彼女の友人の亡骸は埋葬した。けれどそれは、あくまで
だったらなんで、とどれだけ思案を巡らせたところで、答えはいっこうに見つからない。代わりに口を
「あんた、なに企んでる?」
「……は?」
ぴりっと柳眉を吊り上げ、彼女が双眸に鋭利な光を宿して睨まれる。もともと口数が多いほうではないことは知っていたけれど、そのたったひと言に込められた感情は、これまで浴びせられてきた数々の皮肉を遥かに凌ぐほどの凄みを孕んでいた。
思わずたじろいで、
「だっておかしいだろ、なんであんたが俺に礼を言うんだよ? 感謝されることなんてなんもしてないのに……」
「……あなた、本気で言っているの?」
呆れたわ、と彼女も取り繕うことなく本音を呟いて、溜め息を落とした。ゆとりのある白い外套に覆われた華奢な肩をこれ見よがしに上下させて、いかにも皮肉げに。
「自分以外にも友人を想ってくれる人がいることを知って、嬉しいと思わないわけがないでしょう?」
はっと
心情を丁寧にほどいて適切な形に
父親の『散歩』に同行していた頃も、現在も、他に居合わせるのは死体ばかりだった。死体は喋らない。
だから、これが初めてだった。
埋葬された側の心根に触れたのは。
「その様子だと、本当にわかっていなかったみたいね」
再び、彼女が嘆息する。
「そこまで驚くことでもないでしょう。それとも、私の言ったことが信じられないとでも?」
「……だ、だって、普通は気持ち
「それは私も、初めはなんてことをしているのかしらとは思ったけれど」
「思ってたのかよ」
「でも、それ以上に嬉しかったのよ。大事に弔ってもらえて。……奈落では、あまりにも死が身近にありすぎるから」
「命あるかぎり、死は平等に巡るものよ。人間にも動物にも、植物にも等しく。だけど、常に死が隣り合わせに
私は、と言葉が繋がれる。彼女の声色は
「死が当たり前ではないことを、忘れずにいたい。死に慣れきって無感情な人間にはなりたくない。愛する人の死から生まれた感情を、大切に、丁寧に、心に刻み続けていたいの」
「だから、遺品を探してたのか?」
「ええ、そうよ。……どう? 気持ち悪いと思った?」
「……誰がんなこと思うかよ」
「そう。あなたが死体と向き合う姿を見て私が感じているものは、あなたが今
遠回しに、気持ち悪いだなんて思っていないと彼女が否定する。
会話が締めくくられて、しばしの間沈黙が降りる。立ち並ぶ廃屋のあわいを吹き抜ける風がふたりの体を撫ぜるなか、先に動き出したのは彼女のほうだった。
「さあ、先を急ぎましょう。早くしないと陽が沈んでしまうわ」
「あ、おい待て、勝手に行くな!」
優雅にターンを決めた
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