2-3

 奈落自体は広大な土地であるものの、それぞれの店舗間にさほど距離はない。武器屋から五分程度歩くと、次の目的地である雑貨屋が見えてきた。一軒家ほどの面積の小規模な店舗に木板に手書きされた『雑貨屋エンプティオ』の看板が取りつけられている外装は、他店舗同様にすぼらしい。


 総硝子の扉を押し開けると、雑音ノイズ混じりのメロディが流れ出した。その音に反応して店内にいた女性が振り返る。

 毛先が肩に触れない長さに切り揃えられた灰青シャドウブルーの髪がふわりと揺れて、彼女の顔に簾がかる。視界を覆うそれを指先で掬い取ってついと耳にかけ、ひとつまばたいた女性は笑みを咲かせた。


ソラ! 久しぶりだね、元気にしてた?」

「いや、二週間前にも逢っただろ」

「そうだっけ?」


 こてん、と小首を傾げる仕草は幼い子供のようで、実際に彼女はソラよりも幾分か若い。

 いとけなさの残る顔立ちは女性というよりも少女に近く、背丈もソラと頭ふたつ分ほど低い小柄な容姿。薄雲がたなびく空を思わせる髪色もあいって、屈託なく笑う姿は時折目を覆い隠したくなるほど眩しい。

 とぼけてみせる店主の少女、もといヨリに構わず、ソラは歩を進める。砂塵がまぶされた床上に整然と並ぶ金属製の棚には所狭しと商品が陳列しており、食糧と武器、衣服以外の全てがこの店内に揃っているという。

 品出しをしていた最中だったらしいヨリは抱えていた木箱を足元に置き、服に付着したちりを手のひらで払い落としながら言う。


「ていうか、ソラだけ? ショウは?」

「あいつは留守番。用があんなら自分で行けって言ったのに嫌だとよ」

「えぇ? なんで? あたしに逢いたくないってこと?」

「知るか、あいつに訊けよ」


 断られた張本人に理由を教えろ、と訊かれても無茶な話だ。雑貨屋に用があるのはショウだけなのだから、ソラとしてはなおさら自分で行ってほしかったのに。外出を勧めるたびに頑なに拒否されて、これで何度目かももはや覚えていない。


 ——昔は、よく一緒に外で遊んでたのにな。


 昔と言えど、奈落に越してくる以前の話だ。陽が暮れるまでふたり並んで外を駆け回って、秘密基地なんかも作ったりして、疲れ果ててすぐ眠りにつく日々を送っていたのに。

 なぜ、いつから、外に出ることを拒み始めたのか。店主が易々と店を留守にしてはならないという意思もあるのだろうが、それとはまた別の理由が存在するに違いない。同じ血を分け、同じ時間を隣で生きながらえてきた実の兄だとしても、所詮は他人だ。思考の全てを理解することはできない。


 ——可能性があるとしたら、あれか。


 双子にとって忘れ難い、一夜の記憶。三年が経過した今もなお、あの夜に囚われて続けているのだとしたら。


ショウだってたまには外に出ればいいのに。店から離れようとしないんでしょ?」


 ヨリに問われ、はっと思考の底から意識を戻した。知らぬ間に喉が渇ききっていて、唾を飲み込んでから口を開く。


「……ああ、まあ」

「なによその煮えきらない返事は。……まあいいわ、逢いたくなったらあたしが勝手に逢いに行けばいいだけだし」


 ヨリが身を翻して、陳列棚の前からカウンターへと移動する。

 彼女が背を向けている隙に、もう一度こくりと唾を飲み下す。それでもまだ渇いたままなのは単なる水分不足か、あるいは動揺の表れか。


「それで? 今日はなんのご用?」

「新しい本が欲しいんだとよ。なんだったかな……そうだ、語学系だとかなんとか」

「本? あぁ、ショウね! ちょっと待ってね〜……」


 事務的な口調から一転、ヨリのひときわ高らかな声色が店内に朗々と響いた。

 彼女は良く言えば裏表がなく、悪く言えば起伏が激しい。喜怒哀楽が忙しなく移り変わるさまは、なんの前触れもなく晴天を覆い尽くして短時間に強烈な雨を降らせる驟雨のようだ。

 積み上げた木箱を下ろしてはがさごそと中身を漁り、蓋を閉じてはまた下ろしを何度か繰り返すこと一分少々。こちらに背を向けているから、肉体労働をしてまで必死になにを探しているのかはソラにはわからない。


「……あった! これとかいいんじゃない? 楽園の公用語と外来語との関係性とか!」

「あぁ、いいんじゃないか。知らねぇけど」

「あーあー、これだから知識に興味のない奴はなのよ。会話がつまんないったらありゃしないわ」

「別にいいだろ、ほっとけよ」


 興味がないのだろうと言われてしまえばそれまでだけれど、ソラは別に頭が悪いわけではない。奈落に来て早々に『学校に通わないなら勉強しても意味がない』ことを悟り、真面目に母親から模擬授業を受けていたショウを放って頻繁に外出する父親の背を追いかけていたため、一定のところで勉学に関わる知能が停止しているのだ。

 一方で、ショウヨリは生粋の読書家。年間で二百冊以上にも及ぶ読書量を誇る彼らの知識レベルにソラがついていけるわけがない。

 苦々しく眉をひそめるソラ他所よそに、ヨリは次々とカウンター上に分厚い本を重ねていく。


「あとこれと、これもあげる。きっとショウなら気に入ってくれると思うんだよね」

「わざわざどうも。代金はいつも同じでいいか?」

「うん。毎度あり〜」


 懐から取り出した、金貨十枚を入れた巾着袋をカウンターに置き、代わりに宝物をしまうような手つきで麻袋にしまわれた書籍を受け取った。両腕で抱えた麻袋はずっしりと重く、下手に口を締める紐を持つと千切れてしまいそうだ。

 ソラが読了するには数ヶ月は要するであろう難読書も、ショウにかかれば二、三週間程度で読み終えてしまうのだろう。いくら時間があるとはいえ、何時間も微動だにせず黙々と読書を続けられる神経が霄には理解できない。

 彼女が金貨が入った巾着袋を引き出しにしまう、ちゃりん、という小さな音が耳朶に触れる。それから、ふと思い出したというふうに口火が切られた。


「そういえばソラ、あの噂って知ってる?」

「あの噂?」

屍肉漁りスカベンジャーが現れたってやつ」


 彼女の声で紡がれた単語は初めて耳にするものだった。即座に意味を推測できずに硬直していると、その様子だと知らないみたいね、と呟いてヨリが頬杖をついた。


「まあ、あたしもひとてに聞いただけだから詳しいことは知らないんだけどね。なんでも最近、体の一部を意図的に切断されている死体が発見されてるらしいの」

「切断? なにが目的で?」

「さあね、動機はわからないわ。……わかりたくもない。死体だとはいえ人の体を弄ぶなんて、クズみたいなこと」


 ヨリの表情が冷ややかに研がれていく。怒りをこらえるように伏せられた睫毛の奥、烈日のような金の双眸に抑えきれない激情が滲んでいる。

 死体を切断するということは、犯人は切り落とした部位を持ち帰っているのだろう。奈落では人間の命が金銭に等しいとはいえ、価値が付されているのはあくまで認識票タグのみだ。人体そのものを奪取する必要はない。

 明確な動機があるようにも思えないが、動機がなければ異常な性的倒錯の持ち主としか言いようがない。どちらにせよ、その猟奇的な行為に理解を示すことはできない。

 途切れた会話を繋ぐように、ヨリが長く息をついた。


ソラはよく出歩くって聞いてたから、もしかしたら屍肉漁りスカベンジャーに逢ったことがあるんじゃないかって思って……」

「いや、その話は初めて知った。切断されてる死体も見たことないな」

「そっか。なら、気をつけたほうがいいわ。いつくわすかわからないもの」

「一応頭んなかには入れとく。まあ、標的が死体だけなら襲われないような気もするけどな」

「ちょっと、そうやって余裕ぶっこいといてあっさり殺されたりなんかしたら許さないんだからね」

「なんでお前が許さねぇんだよ」

「なんでって……」


 持ち上げられたヨリの表情にはあからさまな怪訝が浮かんでいた。まなじりを細めた瞳は、どうしてわからないんだとなじるような鋭さを覗かせている。


ソラが死んだら、ショウが悲しむでしょ」


 だから、絶対死なないでよ。そう言い添えたきり彼女は唇を引き結んで、再び顔を俯けた。対するソラは目を瞠って、柔らかな灰青の旋毛つむじを見下ろす。

 自分を除く全員が敵と言っても過言ではないこの奈落で、殺し殺されることが全ての絶望の底で、それでも彼女は死んでくれるなと告げる。それがどれだけの困難を極めているのか、おそらく本人も理解しているうえで、祈りを紡ぐ。

 幼くして孤独を知ってしまった悲痛がそう願わせてしまうのだろう、とソラは思い至る。


 ソラの三つ年下である彼女が両親から雑貨屋を引き継いだ時期は、双子が換金屋を継ぐよりも早い。そして早くに両親を失ったぶん、店主同士の交流によって生まれた縁のなかで彼女は生きながらえてきた。血の繋がりもない赤の他人に、まるで家族同然の優しさと愛情を注がれて。


 だからこそ、家族と同等の存在であるソラの死を拒み、ショウの悲泣を望まない。たとえ他人の生を願うことが、奈落で生き残るには誤った思想であるとしても。


 差し向けられた思いの目映まばゆさに、ソラは僅かに目を細めた。同時にこそばゆさも胸の内側を掠めて、紛らわすようにヨリの頭頂に手を乗せてわしゃわしゃと乱雑に撫で回す。


「わっ! ちょっと、なにすんのよ急に……」

「そんな心配されなくても、俺はそう簡単に死なねぇよ。何年ここで生き延びてると思ってんだ」

「で、でも……」

「つーか、俺よりも弱い奴に心配されてもな。まずは手前テメェの身を守れるようになってから生意気言えって話だろ」

「弱っちくて悪かったわね! なによもう、心配して損した!」


 きっと目尻を尖らせたヨリが、身を起こして頭に乗せられたままのソラの手を払いける。骨同士が衝突して走った鈍痛を逃すようにひらひらと手を振りつつ、ソラは唇の端を少しばかり吊り上げて笑った。


「そうやって騒がしくしてろ。お前が静かだと調子が狂う」

「あーもう、うるさいうるさい! 用事は済んだんでしょ、ショウが待ってるんだからさっさと帰りなさいよ!」

「言われなくても帰るっての。じゃあな、今度はお前が来いよ」

「気が向いたらね! お買い上げありがとうございましたっ!」


 憤りながらも退店の挨拶を欠かさない店主らしい振る舞いと、そのちぐはぐさにソラはこぼれそうになる笑みをこらえつつ、硝子戸をくぐり抜けた。

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