2-2

「あ、そうだソラ。ちょっとお願いがあるんだけど」


 『散歩』の先で奈落に堕とされたばかりの男に出逢った翌日。来客がひとりも来ない閑散とした換金屋で読書に興じていたショウに、ふと声をかけられた。

 ソラは朝食兼昼食の缶詰パンの成分表から目を上げて先を促す。


「もし次雑貨屋に行く機会があったら、新しい本を買ってきてくれないかな?」

「本? お前、二週間ぐらい前にも買ってなかったか?」

「そうだけど、暇だからすぐに読み終わっちゃうんだよ。別に急ぎじゃないから、ね?」

「あー……まあ、俺が覚えてられたらな」

「大丈夫、ソラが忘れても何回だって言ってあげるから」


 ひと口大に千切って口に放り込んだパンを咀嚼しつつ、ソラは睨むように目を細める。

 お願いと言ってはいるものの、その実、否と言わせる気が更々さらさらない。最後のひと言もまごうことなく本気だ。こちらが何度しらを切ったとしても、呆れてみせてから同じ要望を口にするのだろう。

 この血の繋がった兄には、頭の良さゆえの狡猾さがあるのだ。

 ごくりとパンを飲み下してから、彼にも聞こえるようにわざとらしく嘆息する。


「わかったよ。いつもどおりジャンルはなんでもいいんだろ?」

「あ、できれば語学系の本がいいな」

「は? 語学?」

「そう、語学。ちょっと勉強したいことがあってね」

「いやわかんねぇよ、そういう小難しいのは。俺が店番してやるから自分で行ってこいよ」


 俺には無理、と首を横に振る動作に合わせて、後頭部の真ん中あたりで結えた長髪がばさばさと揺れる。

 勉学に興味を示すショウとは対極に、ソラは奈落に住み始めてからこのかたろくに勉強をしていない。両親が教師役を担っていた授業もどきは週に何度かあったけれど、いかに両親にバレないように手を抜くかを極めていたせいでほとんど記憶に残っていないのだ。ショウが好む歴史や語学系は特に駄目。

 だからショウ自身で選ぶのが最適なのでは、という提案もとい誘導だったが、彼の了は下りなかった。ソラを真似てゆるりと首を振る。


「僕は店から離れられないって、ソラも知ってるでしょ。わからなかったら彼女に訊いてくれればいいからさ」

「いや、そりゃ訊くけどよ……あいつ、たまになに言ってるかわかんねぇ時あるから嫌なんだよな……」


 脳裏に旧知の友人の顔を思い浮かべながら唸っていると、突如、ぎぃとちょうつがいが軋みを上げて来客の訪れをしらせた。

 ドアをくぐり抜けて姿を見せたのは、オリーブ色のつなぎ服を着た男性だった。毛先が揃っていないアッシュブロンドの髪も露出している肌も、纏う衣服も砂埃で薄茶に汚れている。盛大に転んだか、あるいはなにかの作業をしていたかのような風貌。やや幼さの残る童顔のせいで若く見えるけれど、確か年齢は二十代後半だった気がする。

 男性は眠たげな二重瞼の瞳で店内を見回している。来客の有無を確認しているような仕草だ。


「こんにちは、エンジュさん。うちに来るなんて珍しいですね」

「うん、久しぶり。ユウさんのこと、一応伝えておこうと思って」

「……誰だ?」

「あ、昨日の人じゃない?」

「そう、その人」


 緩慢に前進しながら、エンジュが頷く。上背もありがっちりとした体格とは裏腹に、のんびりとした動作や口調には本人の性分が如実に表れている。

 あのおっさんそんな名前だったのか、とついぞ尋ねず名乗らずのままだった男性との会話を呼び起こす。理不尽に奈落へ堕とされたことに相当憤っていたけれど、最終的に胸中に残ったのは怒りや憎しみよりも絶望だったようだ。別れ際の、全てを諦めたような暗く濁った瞳は今でも鮮明に思い出せる。


「彼、ちゃんと奈落でやっていけそうでした?」

「うん、大丈夫そう。さすがに銃口を向けられた時は、どうしようかと思ったけど」

「は? あのおっさんに銃向けられたのか?」

「大丈夫だよ、撃たれてないから。今ここできみを撃ったらどうする? って訊かれただけ」


「それで、エンジュさんはなんて?」


 エンジュはセピア色の双眸で虚空を見つめ、一拍置いてから開口した。


「その引き金を引くよりも先に僕はあなたを殺せますけど、それでもいいならどうぞ、って」

「「うわぁ……」」


 どちらともなくこぼれた双子の声が重なる。白けるというよりも、同情や憐憫に近い。


「さすが、長年武器屋の店主をしてる奴は血の気が多いな」

「それ、ソラには言われたくないかな。僕はいつでも殺せるってだけで、実際はなにもしてないし」

「俺だって無差別殺人なんかしちゃいねぇっての」


 不名誉ないわれに、ソラは唇を曲げる。

 容姿こそ武器屋の店主と名乗るにふさわしいものの、エンジュ自身は生来の平和主義者だ。事実、十年前後の長い付き合いのなかで彼が認識票タグを携えてこの店を訪れた姿を見たことは一度もない。殺せる云々うんぬんの話は、彼が楽園に暮らしていた時は多種多様の格闘技に熱中していた過去が由来となっている。

 人体の急所もすべも熟知しているけれど、有事以外には絶対に行使しない。その理論は納得できるし、ソラも全く同じ思想である。

 しかし、それはそれとして。別にソラとて、他者を傷つけることに快楽をいだしているわけではないのだから、彼の反論には不満しかない。


 ——人のこと殺人鬼みたいに言いやがって。


 心のなかだけで悪態をついて睨めつけるも、向けられている本人は全く気づいていない。それどころか、なにかを思い出したように、拳を作った右手を左の手のひらに打ちつけるという気の抜けた仕草を見せつけられてしまった。


「そうだ。ついでに、ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「うちの店に物資が大量に届いたから、搬入を手伝ってほしくて」


 楽園からの物資が貨幣と追放者名簿の追加ページのみの換金屋とは異なり、貨幣と交換するための商品を取り扱う店は一度に届く物資は大量である。なかでも、食糧品のように賞味期限がなく、破損や故障のたびに買い替えの必要が生じる武器類は重量もあって数も多い。

 いかな鍛えられた肉体を持つエンジュといえど作業負担がかなり大きいため、他の店主の手を借りに来ることがままある。今回選ばれたのは換金屋うちだったようだ。

 彼の依頼を聞いたショウは、なぜか即座に表情を明るくした。まるで照明のスイッチをオンにしたような変わりようだ。


「ああ、ならちょうどよかったね、ソラ

「なにが?」

「僕からのお遣い、ついでに行ってくれるよね?」


 ショウはにっこりと、有無を言わさぬ圧すらも感じられる笑顔を咲かせた。ぐ、と反駁が途中でつかえた喉が低く鳴る。

 眼前をエンジュ、背後をショウに挟まれて退路はどこにもない。ソラに許された行動はただひとつ、頷くことだけだ。

 渋々首を前に傾けると、ふたりの嬉しそうな声が上がった。次いで近況報告を始めたのを他所よそに、支度のためソラは一度暖簾のれんの奥に下がった。

 とはいえ、『散歩』以外の外出で持参すべき物はさほど多くない。最低限の貨幣と、自らの命を守るに足りる武器さえあればいいのだから。


 黒のワイシャツの上に、生地の薄い羽織を重ねる。普段着のままではスラックスのポケットしか武器をしまう場所がなく、それを補うための衣服。両腕を広げると後ろから見たシルエットが黒い蝶のようだと、以前ショウが口にしていたのをふと思い出した。

 ピスポケットに拳銃ハンドガン一挺、羽織の内側に小ぶりのナイフ数本を収め、再び店内に戻る。和気藹々と会話を続けていたふたりがソラの帰りを待っていたかのように、ぴたりと中断して別れの挨拶を交わした。


「いってらっしゃい、気をつけてね」


 カウンターを挟んだ向こう側で呑気に手を振って見送る兄に、ドアが閉まる直前でべっと舌を出してせめてもの反抗をした。




「……そういや、店は無人にして大丈夫なのか?」


 武器屋へと向かう道すがら、ソラは隣を歩くエンジュ流眄ながしめに見ながら問う。


「うん。盗まれて困るような物は置いてないし、きみ達のところみたいに定期的に上の人間が来るわけでもないから」


 そういうもんか、と相槌を打つよりも早く、彼が言葉の端を繋いだ。


「それと、一応警備は設置してるから。……帰ったら死体が転がってるかもね」


 そう言って微笑む彼は、年齢にそぐわぬ余裕に満ちあふれているようにも、幼い子供の無邪気さを湛えているようにも見える。

 決して、殺しを是としているつもりも、無様に息絶えた強盗をわらうつもりも、彼にはないのだろうけれど。


 ——平和主義者のくせに、死体の有無を話題にして笑うのかよ。


 ぞくりと背筋を這い上がった怖気に、ソラは頬を引き攣らせて不恰好に笑った。


「……笑えねぇ冗談だなぁ、おい」




 エンジュの依頼は、ソラが想像していたよりも短時間で終了した。というのも、あくまでソラが手を貸せるのは物資が詰められた段ボールを店内の保管庫に運び込むだけで、選別や陳列といった作業は店主しかできないからだ。

 約十数個の段ボール全ての搬入を終え、ソラは両腕を頭上に持ち上げて伸びをする。死体の埋葬で筋力はある程度鍛えられているとはいえ、墓穴を掘るのとはまた別の筋肉を使ったせいか、全身が弱く痺れているような感覚がある。筋肉痛にはならないとしても、今日一日は若干体が重く感じられるだろう。

 店の奥からボトル飲料を携えて戻ってきたエンジュから片方を受け取り、すぐさまキャップをひねって流し込む。生ぬるい常温でも、疲れた体にはよく沁みる。


「手伝ってくれてありがとう。なにか欲しい武器があれば格安にしてあげるね」

「そこは無料タダじゃねぇのかよ」

「残念。こっちも商売だから」

「現金な奴」


 軽口を叩くと、彼は道中に見せたものと同じ微笑みを唇に乗せた。

 水を半分ほど飲んだ頃にそろそろ出発することを告げると、わざわざ軒先まで出てきたエンジュが、顔の横で手を降りながら見送ってくれた。


「道中気をつけて。ヨリによろしく」

「ああ」

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