2-1

 ソラが公園で死体を埋葬している一方で、ショウは『来客』を迎える準備を整えていた。


 建てつけの悪いドアに鍵をかけ、店内の照明を落とす。貨幣を収めた金庫にも鍵をかけ、さらに錠つきの戸棚にしまい込む。

 奈落に設けられている換金屋を含む店舗は、年中無休で開店することを義務づけられている。理由はひとえに、それぞれの店が奈落に一店舗しか存在しないからであって、無休営業の代価に貨幣を支給されることによってなんとか釣り合いが取れているような状態である。

 その仕組みを知ってか知らずか、店主の不在を狙って押し入ろうとする輩が少数ではあるが存在する。奈落で唯一の資金源である換金屋はとりわけ標的となりやすいため、厳重に鍵をかける癖がショウの身に染みついている。


 戸棚の施錠をする前に、物で隠すようにして棚奥で保管していた麻袋を掴み取った。容量の半分以上は満たされているとおぼしき外見の割に、持ち上げると戸棚の鍵と大差ないほどに軽い。

 鍵をかけてスラックスのポケットにしまい、麻袋を右手に携えてカウンターをあとにする。向かう先は暖簾のれんをくぐった先にある裏口。月に数度しか開閉しない裏口のドアは常時施錠されていて、けれど『来客』と逢うためにあらかじめ開錠していたそれは、ドアノブを押し下げると軋みを鳴らして外の世界へと繋ぐ道をひらいた。


 もとは住宅街だったのだろう、真っ先に視界に飛び込んだ狭い道路と、その向こう側に並ぶ倒壊した家屋の残骸。見慣れた頽廃たいはいの街並み。

 舞い上がる砂塵にけぶる景色をなんとはなしに眺めながら、ショウは待ち人の到着を待つ。頭上には分厚い雲に覆い尽くされた空が広がり、今にも雨が降り出しそうな天候だ。

 ぼうと佇むこと三分少々。こつり、こつり、と石畳の歩道を叩く軽やかな跫音きょうおんショウの右耳の縁を掠めた。


「——やあ、ショウ。ここは寒いね。もっと厚着してくるべきだったな」


 首を巡らせた先、ひとりの女性が両腕で体を掻き抱くようにしてこちらへ歩いてくる姿があった。

 爪先を彼女のほうへと向け、ショウは少しばかり声を張って応じる。


「ジャケットを着ているなら充分では?」

「いいや、それでも寒い。月祈月オラドルナムだからって舐めてたよ」

「秋の始まりの月だとはいえもう月末なんですから、寒いのは当然でしょう」

「正論を言ってくれるなよ。むしろ、よくお前はそんな薄着で生きていけるなぁ」

「気候の変化なんて慣れですよ」


 ショウの前で女性が足を止める。

 黒のパンツスーツに黒のネクタイ、踵の低い黒のパンプスという見事な全身黒ずくめの正装ですらりと細い体を包み、束ねずにひとまとめにして左肩に流れる艶のある黒髪。月に一度だけ来訪する彼女はいつも同じ身なりをしている。

 微笑みに緩やかな弧を描く、鮮々あざあざとした深紅の双眸と視線が絡む。


「こんにちは、ウルハさん。相変わらずお暇なようで」

「随分と酷いことを言ってくれるじゃないか。それじゃあ女の子にモテないよ?」

「ご心配なく。生涯独り身を貫くことは確定事項なので」

「はは、お得意の奈落冗句ジョークかい? 悪いけど、それじゃあ私は笑えないかな」


 洗練された麗人と呼ぶにふさわしい彼女は、しばしば男性らしい口調で語る。それが職業柄ゆえか否か、直接問いただしたことがないショウにはわからない。中性的な声質もあいって、見目麗しい男性と勘違いされても責められまい。

 よほど寒いのか、二の腕をさすって摩擦熱で暖をとろうとするウルハ他所よそに、ショウは右手に持っていた麻袋を突き出す。


「どうぞ。今月分の認識票タグです」

「ありがたく頂戴するよ。では、私からはこれを」


 彼女は受け取った麻袋をジャケットのポケットに入れ、流れるような動作で内ポケットから四つ折りの紙を取り出した。陽に焼けた古本のページのようなそれは、事実、古紙を再利用したものである。彼女曰く、奈落のために新品の紙を使う贅沢は許さないと楽園のお偉いさんがたがいらついている、とのことらしい。

 紙の束を受け取ったショウは、予想以上の厚みに瞳をまばたかせた。


「……いつもより多くないですか?」

「今月はな。まあ、色々とあったんだよ。理由は訊いてくれるな」

「ご心配なく。余計な詮索はしませんから」


 興味もないですしね、と明け透けな悪意を混ぜて言い足すと、彼女の笑みが僅かに曇ったのが見てとれた。付き合いが長いからこそ交わせる軽口は、相手が彼女ではない楽園の住人ならば、即座に射殺されていてもおかしくない。

 かさりと乾いた音を立てて開いた古紙は、細やかな文字の羅列に一面埋め尽くされていた。紙面の左上に貼付されている色褪せた顔写真は、果たしていつ撮影されたものだろうか。裏を見れば、また別の顔写真と文字列が並んでいる。

 たった一ページに、ひとりぶんの人生。楽園を追放された『人ならざる者』の烙印を押された新たな人々の情報が、ショウの手中に収まった。

 ぱらぱらとめくって流し見をしつつ、ふと脳内に浮かんだ疑問を口にする。


「ずっと前から気になっていたんですけど」

「ん?」

審判所ユーディキウム換金屋コムタティオ、あと暦には似通った言語が使われていますよね」

「ああ、そうだな」

「なのに、どうして人名だけ明らかに別の言語が使われているんですか?」


 問いを投げると同時に手元から顔を上げると、彼女は意表を突かれたように目をしばたたいていた。ショウとしては雑談の延長線だったのだけれど、彼女には完全な不意打ちとなったようだ。


「それは確かあれだ、もともと使われていた言語は人名のほうだが、時代が進んで外国との交流が増えていくにつれて外来語が至るところで使われるようになったからだ」

「ああ、ちゃんと理由があったんですね。奈落ではそのまま換金屋と呼んでいるのに、上ではコムタティオと呼んでいるのも似たような理由ですか?」

「それは知らないな。店主が代替わりするうちに変わっていったんじゃないか?」

「若干こじつけじみた感じはしますけど。まあ、所詮はそんなものですよね」


 ひとつ頷いて納得を示し、再び視線を手元に落とす。紙面で最も大きく目立つように記載された名前は、全員が一文字で記されている。その上に小さく添えられた読みは音にすれば特段違和感はないのに、このように文字で表されると途端に異質を纏うから不思議だ。


 ——今度、ソラに外来語の本を買ってきてもらおうかな。


 初等学校に入学する前に楽園を離れたショウの学力は、同年代と比べて遥かに劣っている。奈落に教育機関があるはずもなく、仕事の合間を縫って両親が教えてくれた、文字の読み書きや簡単な計算程度しか勉強と呼べるほどのものはしたことがない。

 それでも、店主として換金屋を離れられないショウの唯一の趣味である読書は、たったそれだけの学力でも充分楽しめる。本と辞書と、何者にも邪魔されない自由な時間さえあれば、現実とはかけ離れた世界を旅することができる。


「……なあショウ、今の会話になんの意味があったんだ……?」


 紙束を折り畳みながら今度はどんな本にしようかと思案を巡らせていると、しばらく口を閉ざしていたウルハに問いかけられた。


「え、ただの雑談ですよ。気に障ったなら謝罪しますが」

「い、いや、そんなことはないさ。ただ調子が狂うなと思っただけで……」


 そう告げる彼女と目を合わせようとして、けれど忌避するように逸らされた視線が交差せずに宙を漂う。

 威圧すらも感じられる振る舞いから一転、居心地の悪さに耐えかねているかのように佇まいが洗練から遠ざかっている。


「……なあ、ショウ


 沈黙の代わりに、ふたりの間を吹き抜ける風が砂埃を巻き上げてさざめく。


「お前は——お前達は、本当に私を恨んでいないのか?」


 縋りつくような、あるいは赦しを乞うような、微かに震えた声が問う。


 ——ああ、


 目の前のにいる、十は歳が離れている大人の女性は睫毛を伏せて、ショウの返答を待っている。


 ——この人は、本当に。


 先ほどの彼女の発言がなにを意味しているのか、語られずともショウは知っている。

 交わす必要のない会話を、気を許すべきではない相手との雑談を、奈落に堕とされたショウが率先して楽しむ道理はない。

 奈落に住まう者にとって楽園に暮らす者とは、怨恨と憎悪をいだくべき存在に他ならないのだから。

 実のところ、彼女がこうして尋ねてくるのは今回が初めてではない。先月も、先々月も、そのまた前も、幾度となく問いただされている。一語一句そのままに、声色だけを僅かに変えて。

 そのたびにショウも、同じ言葉を同じ声色で返す。何度も繰り返し伝えているはずなのに全く届いていない本心が、今日こそは届くようにと望みを懸けて。


「……もう気にしなくていいのに、そんなもの。罪人を奈落に堕とすことこそが、最高審判官であるウルハさんの仕事でしょう」


 でも、と。声にならない吐息のような彼女の反駁を上書きするように、ショウは二の句を継いだ。


「恨んでいません。……だって、恨んだところでなにも変わりませんから」

 負の感情が具現化される世界だったならば、世界の全てを呪い続けていただろう。たとえ相手が両親の知人で、幼時から親しくしてくれた人であったとしても、よくもこんな目に遭わせてくれたなと罵詈雑言を吐き捨てられた。

 けれど、現実はなにも変わらない。負の感情は心底に沈澱し、口にした恨み言で救われもしない。


 ——また、今日も伝わらなかった。


 突如左手に鋭い痛みが走り、見下ろして確認すると無意識に強く拳を握り締めていたようだった。開いた手のひらにはくっきりと爪が食い込んだ跡が残っている。

 痛みを紛らわせるように手を軽く振って、いまだ無言を貫くウルハと改めて対峙する。


「……今日はもうお帰りください。また来月、よろしくお願いします」


 敢えて事務的な口調で突き放すと、彼女の瞼がのろのろと持ち上がってショウを見た。今にも泣き出しそうに震えていた声でもしやと思っていたけれど、彼女の瞳は涙に濡れていなかった。まばたきもせずに茫然と見開かれた深緋こきひはきっと、自分ではない別の誰かを見ているのだろうなと、ふと思う。


 数秒ののち、挨拶代わりの一礼をして去っていく彼女の姿が建物の陰に隠れるまで見守ってから、ショウきびすを返した。

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