1-3
がりがりと、右手に携えたショベルが地面を削って薄らと線を引く音が足元に落ちる影のように並び歩く。地表に触れている先から伝わる振動は石や瓦礫に衝突するたびに大きく揺らいで、けれど取っ手を
かん、となにか硬いものにぶつかったような甲高い打音が鳴り、そのはずみでショベルの刃先がわずかに浮かび上がる。自宅を
迷いなく前進を続ける、履き潰してすっかり
砂埃を巻き上げながら吹き
念には念を、とその一軒家の周囲に警戒の眼差しを巡らせる。瓦礫の陰にひそむ姿はないか、
ショベルの取っ手を握る右手に、力を入れ直す。ひとまず人影はなかったけれど、ここで気を緩めてはならない。
ナイフなどの近距離武器であれば接近の気配にさえ気づければ返り討ちにできるけれど、銃火器の照準を合わせられているならばそうもいかない。黒地のワイシャツの下に着込んだ防弾チョッキに護られた心臓以外の急所を狙われた場合、即死は免れられないだろう。
幸運が微笑むか、はたまた兇弾が嘲笑うか。幾度となく経験してきた刹那の生殺の行く末は、数秒ののちに
蝋燭の火が消えるように消失した危険から意識を逸らして歩を進める。右手側に見えた、一階だけを残して倒壊した高層ビル同士に生まれた細道を曲がり、そこから手当たり次第に道を右へ左へと無作為に曲がり続ける。遮蔽物は隠密に最適である同時に狙撃されやすくなるリスクも孕んでいるけれど、命を狙われる可能性は一旦懸念から除いておくことにした。
そもそも、他者を恐れているようでは『奈落』では生きていけない。
植物を育てるだけの栄養を失い
賃金を得るための仕事も、健康的な生活の基盤を形成するための物品も存在しない。誰も彼もが生きていくために生きる、それがこの『奈落』の常だ。
当て
鉄パイプをそのまま捩じ曲げて形成したような背の低いフェンスに囲われた、その四隅を埋めるように遊具が設置されている公園だ。ブランコに滑り台、シーソーと砂場。あとは辺に沿って並んだベンチがふたつ。
爪先の向きを公園へと向け直して、颯爽と歩み寄る。無意識のうちに癖になっていた鳴らないはずの
フェンスをひとつぶん取り除いただけの適当な入口を跨ぎ、園内に足を踏み入れた。子供が遊ぶための施設はけれど、当の子供達が自由に外を出歩けないせいで
この公園で最後に子供が遊んだのは、果たしていつなのだろう。子供達が無邪気な笑声を響かせて園内を駆け回り、それをベンチに腰かけて眺める母親達が世間話に花を咲かせる、そんな平和が当たり前に存在していたのはいつまでだったのだろう。
なにが原因で、なにを契機として、なぜ平和が失われてしまったのか。物心ついた時には既に奈落で暮らしていた
そんなことを考えつつ障害物を踏み越えて辿り着いた、公園のちょうど中心となる場所で足を止める。風に運ばれてきた鼻腔を突き刺すような腐臭に堪らず顔を
世界とは美しいものなんだよ、と諭されても、この奈落でしか生きたことのない
だって。
見下ろす、足元に散らばった残骸。鳥に
せめてもの配慮か、それとも単に死に際の形相を記憶に残したくなかっただけか。薄汚れた
唯一わかるのは絶命していること、ただそれだけだ。
名も知らぬ誰かの遺体を見下ろして、
——こんな残酷な世界だけど。大勢の人が死んでしまう世界だけど。それでも、誰もが懸命に生きているからこそ、美しいと思うんだよ。
ふと脳裏を掠めた言葉に、そんなわけがないだろと胸中で吐き捨てた。声色を失った、懐かしいという感情だけが残った去りし日の記憶。
だって。
弔われることもなく、嘆き悼む者もいないまま、無惨に捨て去られた死体で埋め尽くされた世界が、美しいはずがないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます