第12話 夢
お題 ①ピアノ ②一輪車 ③大根
トントントン… トントントントン…
私は、ピアノのメロディーをBGMに大根を切り続けていた。
……山のように。
「ちょっと、どれだけ切るの?」
娘がピアノを弾く手を止め、渋い顔で唸る。
トントン…トン
私が無言で切るのを止めると、娘は呆れ顔で溜息を吐いた。
それから、ピアノに立て掛けていた楽譜を閉じながら、複雑な表情のまま
「お母さん、何かあったの?」と言う。
「何か。ねえ」
私は少し考えた後、小さく肩をすくめて見せ
「魔女に大根を切り続ける呪いを掛けられちゃったの」と困ったように笑って見せた。
「はあ……」
もちろん娘は、母の謎の発言に目をぱちくりさせて呆然とする。
が、すぐに「話したくなかったら、良いよ」と、ピアノの蓋を静かに閉めたのだった。
その日の夕食は、大根尽くしになった。
帰宅した旦那も、食卓を見た瞬間、絶句した。
「ど、どうしたんだ?」
「えー? よく分からないんだよねえ。お母さん、何も教えてくれないから」
「そう……か」
私は親子の会話と、チクチクと刺さる視線を無視して黙々と大根料理を食べていた。
***
「わー! 待ってー!」
幼い少女の声が、清々しい青空に響き渡る。
数秒後、目の前を猛スピードで走り抜ける一輪車。
風と土埃が舞い上がって、私は顔をしかめた。
「…本当。何なのよ、これ」
ここは見たことのない住宅地と公園。
私は今、その公園の入り口に立っていて、道路の方を向いている。
「はあ」と今日の娘のように、呆れ切った溜息が出てしまう。
「で、また戻って来るのよね…」
さっき、変な一輪車が走って行った方の道路を眺める。
「あ…」
……やっぱり戻って来た。
これは夢。
最近、毎日同じ夢を見ている。そして〝これは夢だ〟と言う自覚も毎回ある。
いつも通りなら、あの一輪車が私にあと数メートルってところで毎回、目が覚めるのだけれど……
「あれ?」
一輪車がいつもより、こちらに近付いて来る。
「ええ…?!」
どんどん…どんどん、変な一輪車が接近して来ている。迫って来る…!
そして遂に。
「どうも、こんにちは」
目の前で止まったのは少女ではなく〝服を着たうさぎ〟だった。
しかも器用な事に、一輪車にまたがって、降りる事なくバランスを絶妙にとっている。
「……はい?」
まるで、童話の『不思議の国の~』のようだ。
ぺこりと丁寧に頭を下げたうさぎ。
「待ってってばー」
突然、遠くから聞き覚えのある声がして私は飛び上がる。
そして私とうさぎが同時に、声がした方を向く。
視線の先には、もうひとり。こちらに向かって来るものがあった。
……え。
今度は女の子だった。
小学生くらいだろうか。
髪を二つに分けて結っていて、赤い一輪車に乗っている。
「こ、こんにちは」
近くまで来た女の子は、私に気付くと、一輪車から降り、もじもじして言った。
「こ…こんにちは」
私も慌てて返したのだけれど、思ったより堅い声になってしまった。
あ、怖がらせちゃったんじゃ、と一瞬不安になったけれど、女の子は別段気にする事もなく、うさぎの方に勢い良く顔を向けた。そして、大きく息を吸い……
「もう! 待ってって言ったでしょ!」
つい先程まで照れて頬を染めていたのに、やっぱり切り替わりが早いのは子供か…。
女の子は別人みたいに、ぷうっとむくれている。
ふと、今は中学生の娘が幼かった時の事を思い出した。
「ふふっ」
「へ?」
私が急に笑ったからか、女の子がきょとんとする。
「可愛い。ねえ、お名前は?」
そう訊ねると、少しの間の後に、小声で「ゆうこ…です」と答えてくれた。
「ゆうこちゃん、一輪車、上手ね。私もね? 子供の頃、挑戦してみたのだけれど全然出来なくて、すぐ諦めちゃったわ」
「そうなんだ…あ、えっと。ありがとうございます!」
「いいえ」
焦って、恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げる姿に、また笑みが零れた。
「あの、よろしいでしょうか?」
急に横から真面目な声がして、和やかな空気が掻き消された。
そうだ。
「うさぎ……」
淡々とした低い声が出る。
見ると、そのうさぎがしかめっ面で、わざとらしく咳払いをした。
「失礼な」とか何とか呟いている。
私は異様な光景に改めて呆然として「はあ……」とか間抜けな声を出してしまった。
私は助け船を求めるように、ゆうこちゃんを見て「こ、この…方…は?」と苦笑いで訊いてみた。
「うーんとね。友達!」
うわ。はっきり言い切った。純粋ね。
それから公園の中に入った私は、どうして、ゆうこちゃんが必死にうさぎを追い駆けていたのか、や〝
1つ。ゆうこちゃんが必死に追い駆けていたのは、うさぎが「中々、一緒に遊んでくれないから」だとか。
2つ。ここはやはり私の夢の中であり、何故だか『不思議の国の~』の如く、毎晩この世界に入り込んでいるらしい。
そんなファンタジーな……とは思いつつも、喋ったり一輪車を猛スピードで操ったりする、変なうさぎが登場するだけで、もう既にファンタジーだと思い直した。
「それで? 私は、元の世界? に戻れるの? えっと、今回も、ちゃんと目が覚めるのよね?」
「ええ。まあ〝その内〟起きますよ」
「そ、そんな、呑気に言わないでよ……他人事だと思って」
「ま、まあまあ。きっと大丈夫だよ」
「……う、うん」
少しだけ重たい空気が流れる。
居た堪れなくなって、口を開こうとした時だった。
「あのっ!」
先に声を発したのは、ゆうこちゃんだった。
「なあに?」
私は屈んで、視線の高さを合わせた。
「えっと…あ、遊んでほしいな」
可愛らしい声と顔で、ゆうこちゃんは言った。
「うん! もちろんよ!」
それから私達は、うさぎも含め一輪車に乗った。とは言っても最初に言った通り、私は本当に乗れないし、もうこの年齢では怖くて挑戦する気にもなれない。しかも、あんな子供用の小さな一輪車に乗ったら、壊しそうだ。一応、私は小柄な方だけれど。
だから「教えてあげる!」と無邪気に言ってくれる、ゆうこちゃんの言葉にだけは、どんなに可愛く言われても、流石に頷けなかった。
断った直後は残念そうな顔で暫くいじけていた、ゆうこちゃんだけれど、少し経った頃には満面の笑みで、満足そうに遊んでいたので良かった。
……何だか、娘が増えたみたい。
穏やかな気持ちで、日が傾き始めた橙色の空と、淡く柔らかそうな薄桃色の雲を眺めていた時だった。
「そろそろ〝時間〟ですね」
後ろから、どこか寂しそうなうさぎの声がした。
「え…?」
振り返ると、うさぎと、ゆうこちゃんが微笑んでいた。
哀しいけれど、やり切ったと〝何か〟を成し遂げて誇らしい。そんな、少女に似付かない大人びた
「時間…って? 何? どういうこと?」
薄々、何を言われたのは察したけれど、私はすがるように訊いた。
お別れです。
「……そんな」
分かっていた。だって〝ここは夢〟だもの。
ゆうこちゃんは、夕焼け色に染まった赤い赤い一輪車を抱き締め、じっと私を見詰めている。
半分以上沈み掛けた夕日で、少女の瞳が、ますます寂しそうに……今にも泣き出しそうに潤んでゆく。
「そっか…」
いや、ここは大人だ。
私は出来るだけ明るく「ばいばい」と手を振る。
すると二人も少し笑って、手を振り返してくれた。
「ばいばい!」
あっという間に
どこの世界でも。
誰にでも。
〝現実〟に戻ってゆく感覚。
ぼんやりと涙で霞んだ景色。橙色と紺色の空。
薄れていく〝夢〟
***
ゆうこはね。死んじゃったんだ。
小学校2年生の時、車にはねられて。
仲の良いクラスのお友達と、公園で一輪車で遊んだ帰り道だった。
「もっと、もっと、学校の皆と遊びたかったのに……」
宙に浮いたスローモーションの景色の中。
ゆうこはね、そう強く思ったの。
強く……強く……。
ゆうこが気付いた時。
やっと最近、上手く乗れるようになった大好きな〝赤い一輪車〟と、大好きで毎日、持ち歩いていた〝うさぎさんのストラップ〟が、目の前にあったの。
嬉しかったよ。
「遊んでくれて、ありがとう」
***
そこで、私は目覚めた。
いつもの私の部屋。
黄緑色のカーテンの隙間から、太陽の白い光が差し込んでいる。
私は泣いていた。
「ゆうこちゃん……」
あれから数日。
ずっと、あの夢を見ていない。
あんなに毎日毎日、見ていたのに。ぱったりと見なくなってしまった。
それはきっと…。
あの子が亡くなる直前に、強く願った〝夢〟が叶えられたからかもしれない。
どうか
ゆうこちゃんが、ずっと幸せでいられますように。
…あの、一輪車と。うさぎさんと。
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