『選択』

徳山 匠悟

『選択』

 何かを言っている


 自分が何かを言っている


 ただ、自分が何を言っているのかは、判然としない


 ふわふわとたかぶる高揚感があり、それが徐々に納まると、おぼろげな意識が次第にはっきりとしてくる


 ―― ここはバーだ。


 そうだ、バーに来ていたのだ。


 自棄やけになって飲み過ぎたのかも知れない。


 突然、マスターから紙を渡される。


 それに目を落とすと


『忘れるな、自分を信じろ』


 殴り書きの文字で、そう書いてあった。


「お前に頼まれたのさ」


「はぁ?」


「面白い話をしてやろう」


 ―― ある男がいた。


 男は人生にみ疲れ、全てをうとみ絶望していた。


 そして、死のうと思い立つ。


 ビルの屋上のきわに立ち、飛び降りようとしたその時、老年の科学者が現れた。


 科学者は問う ―― お前は本当に死にたいのか、と。


 男は答える ―― そうだ、と。


 すると科学者は、ボタンが一つ付いた箱を取り出した。


 ―― 人生をやり直したくはないか ――


 ―― このボタンを押せば人生をやり直すことができる ――


 そう言って男にそれを手渡す。


 ―― お前が真に望む事はなんだ ――


 ―― 『死』か『やり直し』か ――


 ―― 私は、それが知りたいんだ ――


 科学者は覗き込むように男の顔を見る。


 ―― 本当に死にたいのならば、そこから飛び降りるといい ――


 ―― やり直したいのならば、そのボタンを押すといい ――


「……そんな安い誘導に引っかかると思っているのか?

 これを押した所で何も起きやしない。

 押せば、あんたは言うんだろ。

 本当は『死』を望んではいない、

 望んでいることは『やり直し』なのだと。

 そして最後はこうだ ―― 今からでも遅くはない、やり直すんだ。とな!」


 ―― ふぉっふぉっふぉっ ――


 ―― 面白い事を言う! 実に面白い事を言う! ――


 そう笑いながら科学者は男を観察する。


 男は逡巡するも ―― 結局、そのボタンを押した。


「―― すると男は本当に人生の分岐点に戻ることができたんだ」


「それから男はどうなったんだ」


「はじめは喜んでいた、これから人生をやり直せるんだと。だが、次第に様子が変わっていった。記憶が消えていく、そう言ってな ―― そして、男は俺に話すのさ。突拍子もないこの話を」


「……」


「それから、その手紙を書いた。そして、お前に渡してくれと頼んで来たんだ」


「男は、俺だっていうのか」


「そうだ」


 ―― 忘れるな、自分を信じろ ――


「……その与太話を信じるとでも思ってるのかい?」


「信じるか信じないかはあんたの自由だが、自分が作る未来を信じなきゃ、何も始まらんとだけ言っておくよ」


 フンと鼻で笑い、会計を済まし、席を立って後ろを見た。

 

 そこは雷でも落ちたかのように、壁や絨毯が焼け焦げていた。


「マスター……」


「気にするな、どっちにしろ今日でこの店は終いにするつもりだったんだから」

               

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『選択』 徳山 匠悟 @TokuyamaShogo

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