第20話 パン製造室とアップルパイ
ふすま(表皮)の青臭さを取り除くためには、小麦からふすまを取り除き、加熱処理する必要がある。その後、小麦粉と一緒に製粉することになる。
製粉は大掛かりな設備となる。その後の製パンも繊細な処理が必要なわけで、結局、俺はパン製造の専用室を作ることにした。肉熟成室の隣の地下に。
「いよいよ本格的じゃの」
「製粉施設が大がかりだしな。どっちにしても、温度・湿度の一定の部屋がほしいんだ」
「なんでじゃ?」
「パン製造にはいろいろ温度や湿度がかなり関係するんだよ。だから、温度28℃前後、湿度70%前後で保たれる部屋を作ったんだ」
「少々蒸し暑いかの」
「この蒸し暑さがいいんだよ。これ以下だとパンが膨らみにくい。これ以上だとへんな膨らみ方をするし、そもそも作業環境が悪すぎるということはあるんだけど、要は作業環境を一定にするとそれだけイレギュラーが起こりにくいってことさ」
俺は製粉設備の他に、パン酵母作成設備とパン発酵設備、それにパン焼成設備を作った。
「当面はハード系のパンを作っていくぞ」
ハード系のパンとは、小麦粉・水・イースト・塩だけで作ったパンのことだ。フランスパンのバゲットがその一つに当たる。外側はパリッと、中はもちもちになる。
ハード系のパンは割と作るのが難しい。特にバゲット。良し悪しは見た目ですぐに判断できる。
表皮は黄金色にむらなく焼けていること。
クープがキレイに開いていること。
※クープ:パンの表にある切れ目
それから、中身の大小の気泡が分散していること。
俺は日本では納得のいくバゲットを焼くために、色々こね方や発酵を研究し、オーブンをでかいのに変えた。オーブンは発酵機能付、300℃の高温、庫内温度のムラができにくいこと、これが最低条件だ。
イーストは市販のル◯ッフル社製のものを使っている。商品名はサ◯ インスタントドライイースト。発酵力の安定したイーストで、転移前の世界では多くの人が使っていると思う。
イーストの管理は結構大変だ。適当な管理をするとイースト臭さが出てしまう。俺は冷凍保存してこのイーストを使っている。そのおかげと思うのだが、イースト臭はあまり感じられない。
不満はないんだが、これを自家製酵母に切り替えたい。いずれイーストがなくなるからだ。
ただ、自家製酵母、いわゆる天然酵母は風味は良くなるかもしれないが、一般的にあまり膨らみが良くない。そこが課題である。そのためにも、発酵方法は低温長時間発酵法にする。
低温長時間発酵とは生地の半分~それ以上を冷蔵庫で一晩寝かせる。次の日に残りの生地材料を混ぜて作る方法だ。安定して中身がフワフワしっとりモッチリとしたパンを焼き上げることができる。
この低温長時間発酵は、自家製酵母とも相性がいい。自家製酵母は一般的に発酵力が弱いんだが、じっくり発酵させることでむしろ水が小麦によく馴染んでフワフワしっとり感が長く続く。
もちろん、自家製酵母による味わい深さとか風味の良さが損なわれることはない。
「どうだ!」
見事なバゲットが焼き上がった。
立ち上る小麦粉の香り。
見事に開いたクープ。
むらなく焼けた黄金色の表皮。
パリパリのクラスト(表皮の食感)。
美しく分散した大小の気泡。
もちもちのクラム(中身の食感)。
俺の料理人人生で最高クラスのバゲットだ。
この結果を受けて、俺はバゲットの魔道具づくりに取り掛かった。というよりも、部屋込の魔道具室だな。調理魔道具は俺の経験値以上のものは作れない。少なくとも、調理魔道具にはそういう制限がある。
また、これはバゲット専用の魔道具だ。ハード系のパンにはいろいろな種類があるのだが、それらはまた別々に魔道具を作る必要がある。もちろん、リッチ系、砂糖とかバターを練り込んだパンもそうだ。一つ一つ行程を固めていって、最終的に一つのパン魔道具として完成させるつもりだ。
あと、今後の課題というか楽しみは、自家製酵母だな。いわゆる、天然酵母と呼ばれているものだ。日本にいたときは忙しくて自家製酵母にまで手が届かなかった。しかし、今後は様々な自家製酵母にチャレンジする。原料は様々な果物。ヨーグルト種や黒パン用のサワー種、ビールのホップス種にもチャレンジしたい。
「じゃあ、アップルパイを作るぞ」
「おお」
「アップルパイは食べたことあるか?」
「果物をたくさん使ったパイなら食べたことあるのじゃ。甘みは今一つじゃったが」
「そっか。これから作るのは砂糖をたっぷり使うから甘いぞ」
「ワクワクなのじゃ」
「まず、パイ生地はクッキーみたいな感じな」
パイ生地については折りパイ生地が代表的だ。折りパイ生地はバターを何層にも折り込んだもの。サクサクとした食感が魅力。
だが、焼き上がりから時間が経つとしなっとした食感に変わりやすい。それと、正直かなり手間暇がかかる。
俺が採用したのは、「パート・ブリゼ」。甘みの少ないタルト生地である。リンゴがかなり甘いので、タルトで甘さを調整する。
味は甘みの少ないクッキー。食感はよりザクザクしており、経時変化が少ないのでおいしさが長続きする。
材料は、バター、薄力粉、卵、牛乳、無塩バター、砂糖、水。砂糖は少なめ。
キッシュの台としても使える。
更に、台とともに長方形のパイシートを作り、幅2cm弱程度の帯状に11本カットする。
「このパイ台に炒めたリンゴとカスタードクリームを詰め込んで」
リンゴは4等分、バターで煮詰める。
カスタードクリームも作る。
材料は卵、砂糖、薄力粉、牛乳。
タルト台に炒めたリンゴとカスタードクリームを敷き詰める。その上にカットした帯状のパイシートを格子状に並べオーブンで焼く。
「よし、焼けたぞ。粗熱をとって……さあどうぞ」
「うむむ、ジューシーなリンゴにあま~いカスタードクリーム、そしてザクザクパイが絶妙にマッチしておるな」
「おでのほっぺもおちそうだど」
「ウニャウニャ!ミーミー!バウバウ!」
「あー、おまえらにもちゃんと焼いてあるから待ってろ」
「こんな美味しいお菓子は食べたことがないのじゃ。もっと欲しいのじゃ」
「おでももっと欲しいど」
「ウニャウニャミーミーバウバウ!」
「またそのうちな。まあ、気軽に食べられるお菓子、クッキーでも大量に焼いておこうか」
クッキーは生地の混ぜ方やレシピで随分と違った表情を見せる。具体的には、カリカリ、ザクザク、サクサク、しっとり、と言ったような食感に分かれる。
俺はどれも好きだが、今回選択したのはサクサクしっとりのクッキー。乾いた軽い食感と柔らかさが併存したクッキーだ。砂糖とバター多めでグルテン少なめのこね方でこの食感を出す。
「じゃあ、精霊さんにも差し入れしとくか」
アップルパイとクッキーを例の泉に持って行く。もちろん大歓迎で、これ以上ないってぐらい、高速で俺のというかお菓子の周りをパタパタ回る。
精霊さんたちはあまりにも喜び過ぎて、俺の店までついてきてしまった。この店にはあの泉から引っ張った水の泉がある。どうも、その泉に引っ越ししたいようだ。
「なになに、泉の周りをもう少し林っぽくしてくれると嬉しいって?」
「この際、果樹園を作ってその中に泉を作ったらどうじゃ?」
「うむ、そうすれば果樹の育ちもよくなるかもな」
どうやら、水の精霊の加護があるようだ。精霊が果樹園泉に定住すると、リンゴ、ブドウ、レモン、柚、チェリーと栽培面積がだんだん広がっていく。勿論、品質はばっちりだ。
魔物がリポップしてきたり侵入してくるから、黒犬(ブラックハウンド)を多めに配置している。黒犬たちも好きなときに果物、特にチェリーを貪ることができて嬉しいようだ。
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