第111話 セールスパーソン自己中心派
「ほら、柊、まとめておいたわよ」
翔太は本部と呼ばれているアクシススタッフの本社に出社していた。
アクシススタッフは人材派遣がメイン事業であるため、本部に出社する社員の割合は少ない。
礼儀作法に厳しい会社で、本部内の空気はそれを象徴するものだった。
したがって、客先に出向・常駐している社員は本部への出社を嫌う傾向があり、翔太も例外ではない。
翔太は上田に頼んでいた資料を受け取るため、仕方なく出社していた。
「ありがとう、めっちゃ助かる」
「使いみちは聞かないでおいてあげるわ……悪いことに使うわけじゃないんでしょ?」
「あぁ、もちろん」
(悪巧みは悪いことに入らないよな?)
上田にはアクシススタッフの子会社の情報をまとめてもらっていた。
「約束は忘れていないわよね?」
「あぁ、いつにする?」
上田とは、対価として夕食を奢ることで合意していた。
彼女が指定してきた店はかなりの高級店だったが、背に腹は代えられなかった。
上田はお嬢様大学と呼ばれている女子大の出身ということもあり、奢られることには慣れていた。
「田村も行きたいって言ってるけど、どうかな? 高い店だから無理しなくていいわよ?」
「うぐっ……二人分か……」
翔太は苦悩した。
出費は痛いが、上田の相手を一人でするのもやっかいであった。
加えて、今後のことを考えるとあまり弱みを見せたくない相手でもある。
(まぁ、翔動の経費で落とせばいいか)
翔太が依頼した資料は翔動のビジネスに関わることであった。
案件の規模を考えると、先行投資としては大きな出費ではない。
「わかったよ、これ以上増やすなよ」
「おー、やるじゃん♪」
上田は上機嫌に言った。
***
「それで、キリプロの仕事はどうなの?」
イタリアンの店で、上田はスパークリングワインをあおりながら言った。
すでに二杯目だが、彼女は躊躇なく注文していた。
一杯の値段が今日の翔太のランチ代に匹敵する。
上田は翔太が霧島プロダクションの仕事をしていることを知る数少ない社員だ。
営業なので、翔太がどれだけ稼いでいるかもすべて把握されている。
「今度は声優も手なづけているっぽいんだよねー」
同じく数少ない一人である田村が言った。
彼女のグラスの中身はまだ一杯目が残っている。
「いゃ、手なづけてなんて……というかその情報はどこから? ……いゃ、やっぱいいわ」
(情報源まで聞きだしたらヤブヘビになりそうだ)
「キリプロの声優って言うと……もしかして、長町美優?」
「ぴったしカンカン」
「古すぎるだろ!」
「はぁー……くまりーの仕事してたのは聞いていたけど、大物ばかりね。
あんたそのうち刺されるわよ」
「上田には言われたくねーよ」
上田は交際相手をとっかえひっかえしている。
翔太が知る限りでは相手は全員高給取りだ。
「まぁ、柊のことはいいわ、それよりキリプロのタレントでいい男いないの?
稼いでいれば容姿には多少目をつぶるわ」
「もう、俺帰っていいかな……」
「香子、いまの彼氏は?」
「ん? 一人しかいないけど?」
「こういうやつだった……」
翔太は自分が高給取りでないことで、初めて喜びを覚えた。
「柊くんも、アストラルテレコムやキリプロからもらっている金額で言ったら、エリートコースなんだけどね」
「どんなに仕事できても、給料は横並びだからな。これでやる気を出せとか言うから驚きだよ」
アクシススタッフは役職が付かない社員は、勤続年数や年齢で給与が決まる。
営業の上田には多少のインセンティブが付く程度だ。
「私の成績のためにも、柊には稼いでもらわないと」
上田のスタンスは一貫して自分本位だ。
「俺と野田はもうそんなに長くないぞ」
「え! 野田も!?」
アストラルテレコムの単価は突出して高いため、上田にとって翔太と野田が抜けるのは痛手だ。
「まぁ、仕方がないよね……あんたたちはうちの給料でよくやっていたよ」
「多少はねぎらう気持ちがあるんだな」
「私のことをなんだと思っているのよ」
アクシススタッフの離職率は非常に高く、翔太の同期は半分も残っていない。
翔太にとって上田は個人的に仲良くなりたいと思わないが、営業としての能力は高く買っていた。
おそらく、彼女もそのうち辞めるだろう。
翔太も上田も、この時点ではアクシススタッフ退職後にお互いの接点がなくなると思っていた。
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