第96話 お願い≠勅命
「お仕事中に申し訳ないわね」
オペレーションセンターの会議室で、翔太は姫路と対峙していた。
言葉とは裏腹に、姫路の表情には少しも謝罪の色はなかった。
翔太は前の人生から、アストラルテレコムの社員や役員の横暴さには慣れていた。
(まぁ、スマートフォンが普及したらこの会社の栄華も終わるんだけどな……)
この時代の携帯電話は国内独自の規格で、後に『ガラケー(ガラパゴス携帯電話)』と呼ばれるようになる。
キャリアが独自に提供していたインターネットサービスは終焉を迎え、アストラルテレコムの収益は落ち込み、国内シェアも低下していくことを翔太は知っている。
「ちょっと事情が変わったわ。映画では興行収入……または観客動員数で一位を取ってちょうだい」
姫路は明日の朝食のメニューを言うかの如く、さらりと無茶振りをしてきた。
「私に言う理由をお伺いしても宜しいでしょうか?」
あの場には監督の風間がいたため、翔太よりも適任であることは明確だった。
また、映画のスポンサーである立場から、プロデューサーである山本に言ってもいいだろう。
いずれにせよ、脚本の監修をしているだけの翔太に言う内容ではないことは明白だ。
「そうね、いくつか理由はあるけど……私から監督や出演者に言ってしまうと、圧力になって萎縮してしまうでしょう」
(まぁ、一理あるかな……?)
「それと、柊くんのほうがなんとかできるんじゃないかと思っているわ」
姫路は断言するかのように言い切った。
「評価いただけるのは光栄ですが――」
「あなたが動いてくれるなら、予算の追加やうちのリソースを使ってもらって構わないわ」
どうやら姫路の事情とやらは、思ったより大事のようだ。
これが、アストラルテレコムの社員に対してなら勅命が発動され、なんとしてでも遂行される。
しかし、翔太は姫路の命令に従わなかったところで、失うものはない。
むしろ、お払い箱にされたほうが円滑に退職できると思っているほどである。
「これは私からのお願いなので、達成できなくても柊くんにペナルティはないわ」
姫路は翔太の考えを先読みするかのように言った。
「その代わりに、うまくいった暁には報酬を用意するわ」
「念のためですが、今のところ個人としては金銭的な報酬は受け取れません」
「ええ、わかっているわ」
翔太の所属するアクシススタッフは副業を禁止している。
翔動に関わる仕事はボランティアで行っており、石動とは入社後に役員報酬をもらうことで合意してある。
「会社を立ち上げたそうね? 私の権限でうちとの取引に便宜を図ったりできるわ」
「そこまでご存知でしたか……」
翔動について知る人物は限られている。
翔太の個人情報が姫路に筒抜けであったことに空恐ろしさを感じた。
「映画の順位に関しては、努力目標ということで構いませんよね」
「ええ、それでいいわ。必要なものがあれば高槻に言いなさい」
高槻はアストラルテレコムの広報責任者だ。
映画の広報活動で何かをやる場合は、柊翔太の姉である蒼を頼ることもできる。
翔太としても、映画がヒットすれば、そのスポンサーになる予定の翔動のビジネスに貢献する。
霧島プロダクションの利益にも寄与することはもちろん、個人的な感情としても神代が出演している映画は多くの人々に観てほしいと思っている。
したがって、翔太と姫路の利害関係は一致していた。
「承知しました。何か手を考えてみます」
「期待しているわ」
姫路の表情に不安な要素は一切感じられなかった。
「柊くんを呼び出した理由はもう一つあるの」
そう言って姫路は携帯電話の端末を提示した。
「これは――」
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