第82話 誤算
「ちょっと! 柊さん!」
長町は「ババーン」という効果音が聴こえそうな勢いで、グレイスビルの休憩室に現れた。
「なんですか?」
翔太は「はて」と首を傾げたが、これが長町の気に触ったようだ。
「『なんですか』じゃないですよ! ……と、用件の前にお礼を言っておきます」
長町はしかめっ面から嬉々とした表情に変わった。
「柊さんの意見を取り入れたところ、ブログの反響がすごいです!」
「そうみたいですね」
霧島プロダクション所属タレントのブログは、翔太の管理下にある。
当然ながらPV数は把握しており、それを稼ぐことも翔太の仕事の一つだ。
「それに、みうトークの聴取率もうなぎのぼりです! プロデューサーがすごく喜んでいました!」
「それはよかったです」
『みうトーク』は長町がパーソナリティを務めるラジオ番組だ。
翔太は率直に喜ばしいことだと思った。
翔太の仕事は霧島プロダクションの収益があってのものだ。
「――それで、本題ですが、私からのメールは届いていますか?」
「はい、確認しました」
「では、どうして返事をいただけないのでしょうか?」
長町は再び眉をひそめながら言った。
メールはブログの投稿に関するアドバイスの依頼だった。
「あれ? 最初の一回目は返事を差し上げましたよね?」
「それ以降のメールについては返事をいただいていません!」
「そもそも、一回だけというお約束でしたよね? さすがに、指切りまでしたのでお互い忘れることはないと思っていますが……」
「ほえ?」
長町は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で呆然と立ち尽くしていた。
***
長町は子どもの頃から、自分が他人に与える影響を理解しており、自分が望むように他人を動かしていた。
幼い頃はその可憐な容姿を利用し、社会人になってからはその美貌に加え、自身の影響力を駆使していた。
周りの人間は進んで彼女の望む行動を取り、彼女の人生ではそれが当たり前だった。
長町のファンのみならず、業界の関係者でさえも長町の存在感は大きく、長町から連絡をする相手は極わずかである。
その長町が自らメールしたにもかかわらず、(彼女にとっては)ぞんざいに扱われたことは生まれて初めてといっていい。
***
「
休憩室に新たな男性が入ってきた。
彼は身長が高く、端正な顔立ちをしている。
かけためがねが知的な印象をさらに深め、丸の内あたりのエリート会社員といった雰囲気を漂わせている。
「申し遅れました。長町のマネージャーの槻木と申します」
(声もイケメンだ……元声優なのだろうか?)
槻木は名刺を差し出し、翔太に対して丁寧な所作で挨拶した。
長町の活躍は多方面にわたり、これをマネジメントしている槻木は相当優秀な人物であることが推察できた。
しかし、長町は一人で行動することを好み、槻木の手を焼かせているようだ。
「おや? 美優さん? めずらしいですね?」
神代と橘が仕事から戻ってきた。
神代は先日も長町がここに来ていたことを知らなかったようだ。
「ええ、柊さんと大事な話をしていたの」
神代も長町も笑顔であったが、漂わせている雰囲気には緊張感があった。
休憩室の室温が急激に下がったように感じられ、その場の空気が張り詰めた――端的に言うと怖い。
翔太は早々に用件に入ることにした。
「橘さん、長町さんのお仕事でご相談があります――」
そう言った翔太を、長町は信じられないものを見るように眺めていた。
***
「――なるほど、お話はわかりました」
会議室に移動した橘は、ふぅっとため息をつきながら言った。
グレイスビルの会議室では、翔太、橘、長町、槻木による四名のミーティングが行われていた。
議題は翔太が長町の相談を仕事として受けられるかどうかである。
長町としては自分のお願いを断られた事例はなく、仕事として扱われたことに呆然としていた。
「私としては引き続き、柊さんにアドバイスいただきたいのですが」
槻木もラジオやブログの反応から、翔太の助力が長町の仕事に貢献していることを把握していた。
霧島プロダクションの利益に直結する内容であり、槻木の主張はまっとうなものだ。
「私は橘さんの管理下にありますので、ご指示いただければ可能な範囲で従います」
翔太の発言は間接的に長町に向けたものだ。
この場で翔太の立場を把握していないのは彼女だけである。
「柊さんのメインのお仕事はブログの管理と梨々花の映画関連になります。
霧島カレッジで依頼している案件もありますが、こちらは翔動さんの立場で動いていただいています」
橘は現状の整理から話し始めた。
「ブログのPV数増加は当事務所の収益につながりますし、所属タレントのイメージ戦略にも貢献します――」
「で、では、問題ないんじゃないですか?!」
長町は橘の発言にかぶせるように言った。
「柊さんの普段のお仕事に影響ない範囲でしたら、ご対応いただけると助かるのですが」
橘がこう言ったことで、長町の表情がぱあっと明るくなった。
そして、何かに気がついたのか、はっとしながら表情を戻した。
『私がこんなに振り回されるなんて……』
長町はブツブツと独り言を言っていた。
「おそらく、長町さんからのご連絡は不規則ですよね? 時間外の場合でも速やかに返事を差し上げたほうが宜しいでしょうか?」
翔太の発言に、長町は「えっ?」という目で翔太を見つめた。
翔太の表情には好き嫌いの感情は一切なく、淡々とビジネスとして処理しているように見えた。
「ご存知の通り美優も多忙なので、柊さんが可能であればお早めにご相談に乗っていただけると助かります」
槻木の態度は一貫して紳士的で、好感が持てた。
おそらく、奔放な長町のフォローをするための処世術なのだろう。
「これまで通り、時間外の分は付けていただいて構いませんので、可能な範囲の対応でお願いできますか?」
橘は申し訳なさそうに言った。
おそらく、アストラルテレコムや翔動の仕事を慮ってくれているのだろう。
「承知しました。応答時間のお約束がない前提ということで問題ないでしょうか」
「はい、美優の要求が度が過ぎるようなら、すぐに私にご連絡ください」
翔太は槻木が話のわかる人間でよかったと感じた。
「――あの……柊さんは梨々花の相談には乗っているように見えるのですが、これも全部お仕事ですか?」
長町は釈然としないような表情をしながら言った。
「神代さんは友人ですから、仕事じゃない相談をされる場合もありますよ」
「なっ……!!!」
長町が生まれて初めて、燃え盛るようなメラメラとした感情を自覚したことを、翔太は知る由もなかった。
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