第80話 声優
「デジタルコミュニケーションという科目を新設します」
宇喜多は霧島カレッジが新設する科目について説明している。
ここは霧島カレッジの声優コースの教室だ。
施設には音響設備や稽古場などが整っている。
ここには会議室がないため、教室でミーティングが行われている。
「所属タレントや候補生がセルフプロモーションの一環として、ブログや動画などを通じてコンテンツ配信ができるようになることを目的としています」
宇喜多は教壇に立ち、プロジェクターに投影した資料に沿って説明している。
デジタルコミュニケーションは翔太が提案したブログをきっかけに、霧島と橘により発案された。
タレントのプロモーションの場が、テレビやラジオなどの既存メディアからインターネットにシフトしていくことを見据えたものだ。
「本科目では候補生のほかに、所属タレントも受講対象としています」
経験のあるタレントのほうが、インターネットメディアに疎い傾向があるため、所属タレントでも希望すれば受講できる。
「アニメやゲームなどは、インターネットメディアとの相性がよいことから、声優コースの候補生は必須科目とします」
「声優コースの卒業生も必須でしょうか?」
卒業生であり、現役声優の長町が質問した。
類まれなる容姿と歌唱力から、テレビ番組にも多数出演しており、声優の枠組みを超えた認知度を持っている。
「声優コースの卒業生も所属タレントと同じ扱いで、希望者のみの受講になるよ」
「わかりました。私は受けたいです!」
長町はオブザーバーとして参加している。
現役声優としての意見を取り入れる方針のようだ。
「動画制作など、デジタルコンテンツの講義をアクシススタッフさんにお願いしたいと思っています。
学生やベテラン俳優もいるため、コンピューターの基本的な操作から学べるようなカリキュラムは可能でしょうか」
橘が水口に質問した。
霧島プロダクションとしては、この科目の講師をアクシススタッフに依頼するつもりで、アクシススタッフからは水口と田村が参加していた。
この場にいる翔太もアクシススタッフの人間だが、現在は霧島プロダクションとしての立場でもあるややこしい状況だ。
「はい、社会人向けの内容を改変すればできると思います。
田村さん、動画もできそうかな?」
「はい、いけると思います」
アクシススタッフの教育事業はビジネスパーソンを対象としているため、講義内容の調整が必要である。
アクシススタッフにとっては規模の割に手間が多い案件となっているが、大野は今後の宣伝効果を期待しているようだ。
神代のCMの反響が相当大きかったのだと推測される。
「講義のコンテンツや候補生・受講生の学習状況は、LMSというシステムで管理します――」
翔太はLMSについて説明した。
水口がいるため、翔動の製品であることは伏せている。
***
「びっくりしたわ、まさか柊くんがキリプロさんの仕事を取ってくるなんて」
水口は感心して言った。
翔太は霧島カレッジの会議室を借りて、アクシススタッフの今後の方針を水口と田村と協議していた。
「お忙しいのに、すみません」
神代のCM効果もあって、テックバンテージが盛況であることは知っている。
「こっちの仕事のほうが面白そうだから、私は歓迎だよ」
田村は乗り気のようだ。
「それにしても、柊くんが紹介していたLMSは良さそうね。うちでも使えるかしら?」
「はい、キリプロさんが使った結果から判断してみてはどうでしょうか」
水口は、翔太がこのLMSを作っている会社に転職予定だとはまさか思っていないだろう。
翔太は内心ヒヤヒヤしていた。
「そうね、田村さん、お願いできる?」
「はい、使い方は柊くんが全部教えてくれるんだよね?」
「あぁ、よろしく」
どうやら、会社を辞めてからも田村とはつながりがありそうだ。
***
「柊さん、ちょっとよろしいですか?」
休憩室で長町が声をかけてきた。
水口と田村はアクシススタッフに戻っていた。
「はい、なんでしょうか?」
「ブログは柊さんが作られたんですよね?」
「はい、最初はそうですが、今はサイバーフュージョンに移管されています」
「でも、うちのデータは柊さんが管理していると聞いていますよ?」
「よくご存知ですね」
翔太は長町とほとんど接点がなかった。
グレイスビルでは専用の音響設備がないため、霧島プロダクション所属の声優はこの施設に立ち寄ることが多い。
「今回追加される科目では、鈴音のようにブログのアクセス数を稼げるようになるのでしょうか?」
「おそらく、マーケティング専門の講師がつくと思いますが」
(なんで俺に聞くんだ?)
この質問は説明会の場で宇喜多にすべきだろう。
「ブログのアクセスランキングでは、鈴音、梨々花――そして綾華と、全部柊さんと親しいじゃないですか?」
「親しいんですかね?」
翔太は戦慄した。女子のネットワークは恐ろしすぎる。
長町は多数のアニメ作品に出演しているほか、テレビやラジオに多数出演している。
マルチタレントとしての活躍ぶりから、ファンの幅広さでは彼女に匹敵する存在はいないと聞いている。
翔太は、このような現状にも満足せず、上を目指す長町の貪欲さに感嘆した。
翔太と同世代の目の前の女性は、殺傷力のある満面の笑顔と、多くのアニメファンを魅了する声で言った。
「――なので、私と連絡先を交換してください」
翔太はこの時点で、この声優とのつながりを甘く見ていた。
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