第53話 翔太隊員

「情けない」

翔太は己の至らなさを嘆いた。


翔太は、和竹に話すべきだったのは自分なのに、会話の主導権を握れず、和竹にハラスメント発言を許してしまった。

あの場では、早々に会話を打ち切り、後日、理解のある担当者につなぐという選択肢もあったのかもしれない。


いずれにせよ、一度の会合でスポンサーを失ってしまったので、翔太はこの埋め合わせをするべく動いていた。


和竹のハラスメント行為について、蒼と橘に未来では一般的に行われている対策を伝えた。

翔太はコンプライアンスの専門家ではないため、最適なアドバイスではないかもしれないが、初動が重要なので持っている知識を早めに共有していた。


ハラスメント対策は蒼が主導し、橘と神代が情報収集を担当している。

スポンサーを含む資金繰り対策は山本が主導し、翔太が支援する体制である。


***


「久しぶりね、柊くん」

は翔太に挨拶した。


ここはアストラルテレコム本社の会議室だ。

この会議室は重役のみが利用でき、重要な意思決定の場などに利用される。

敷かれているカーペットは足音が全くしないほど分厚く、机や椅子は一流ホテルで使われているような高級感がある。


『女帝』とは、翔太と対面している女性、アストラルテレコム社内で呼ばれている姫路ひめじのあだ名である。

姫路は常務執行役員を務めており、社内では強い権限を有している。


アストラルテレコムは、公社と呼ばれる電気通信事業を営んでいた公共企業体が民営化した企業の子会社である。

この時代のアストラルテレコムの役員は、公社の流れを引き継いでおり、姫路だけが叩き上げで昇進してきた。

この異例とも言える昇進は、姫路が主導した携帯電話IP接続サービス『i-wave』が収益の柱となったためである。


スマートフォンがなかったこの時代においては、携帯電話キャリアが独自にインターネットサービスを提供していた。

i-waveは、アストラルテレコムの携帯電話ユーザーのほとんどが利用しているサービスである。


「私のことを覚えていただいていたのですか?」

翔太は驚いた。


前回、姫路と会ったのは、野田と一緒に本社でトラブルの報告をしたときだった。

あのときは、変装した神代に翻弄されることになったのだが……


「会社の危機をも救ってくれた英雄ですもの。当然覚えているわよ」

姫路は妖艶に微笑んだ。


姫路は、景隆が記憶している自分の年齢と同世代であるが、翔太は姫路が醸し出すオーラに圧倒されていた。


「それで、映画のスポンサーの件ね?」

「はい、高槻部長がご対応いただけると聞いていたのですが」


翔太は、オペレーションを統括している部長、加古川から広報部門の責任者である高槻を紹介してもらうように依頼していた。

アストラルテレコムにおいて、の危機は翔太の活躍により無事に解決し、加古川に貸しを作っていたのだ。


景隆の時に、アストラルテレコムは大規模なシステム統合が失敗し、総務省から業務改善命令が出される事態となった。

ニュースでも大々的に報じられ、業界では同じ失敗をしないよう、総務省がまとめた情報を分析して、他山の石と見なされていた。


翔太はこの内容を予め知っていたことから、加古川に解決策を早急に提示し、事なきを得たのである。

景隆のときは、加古川の首が飛んだのだが、翔太はこのことを知らなかったため、加古川の人生を変えてしまったことになる。


翔太の介入により、歴史が変わりつつあることをこのときの翔太は意識していなかった。


「高槻からこの話を耳にして、興味を惹かれたので私が出てきたの……まずかったかしら?」

姫路は挑発的な笑顔で言った。

姫路の美しさは多くの男性を魅了しそうだが、同時に女帝と呼ばれる程の威厳が相手を萎縮させる要因ともなっている。


「いえ、大変ありがたいです」

翔太は正直に言った。

高槻よりも、姫路の方が圧倒的に予算の権限を持っている。


***


「――なるほど、映画のシーンでi-waveを使わせることができるのね」

姫路は翔太の説明から、その意図を瞬時に理解した。


「確かに宣伝効果は十分に期待できそうね。主演が神代さんだし――」

姫路は考え込んでいる。

神代がアストラルテレコムのテレビCMに出演しているため、相乗効果が高いと判断しているのだろう。


「こういう交渉をするときに、あなたの立場だったら何を切り出す?」

「競合のキャリアにも同じ提案をしていると持ちかけます」

「しかし、今回はそれが出来ない」

「はい、神代さんが出演しているので」


姫路が言ったように、競合会社の携帯電話事業者にスポンサーを依頼することは交渉材料になるが、今回はそれができない。

これをやった場合、契約上、神代がアストラルテレコムのテレビCMから降りる必要がある。


「そこまでわかっているなら、ほかに奥の手があるのではないかしら?」

姫路は興味津々といった顔で言った。

言外に翔太の手持ちのカードを出せと催促しているのだろう。


「ロケ地提供です」

姫路の職務上、かなり多忙な中で時間を取ってくれたと想像できる。

翔太は手短に切り出した。


「……」

翔太の発言に、姫路はポカンとした。

終始、姫路は余裕を持って話していたが、こんな表情を見せたのは初めてだ。


「……え? まさか……あそこを使うの?!」

「はい、加古川部長の許可は得ています」


姫路は驚いていた。

翔太はようやく一本とれたような気がして、ほっと一息ついた。


「――人材確保に使えそうね」

「はい、これからは優秀なエンジニアの奪い合いになります」

実際にそうなる未来を知っている翔太は断言した。

妙な説得力のある翔太の言い方に、姫路は「そうね」と納得してしまった。


「ちなみに、ハイライトシーンで使うので、PVにもなり得ますよ。

クオリアさんの後押しもあります」

翔太は、姉の力を利用してダメ押した。


「まさかそんな手で来るとは思わなかったわ……出資金額が増えるほど映画のCMが増えるってことね」

「はい、ロケ地の費用が浮いた分も広告宣伝費に回せるかもしれませんね」


「はぁー、柊くんをさっさと取り込んでおくべきだったか……全く、うちの人事はなにやってるんだ!」

姫路は女帝と恐れられている表情を見せながら言った。

「あの……シャレにならないので、その辺で……」


姫路が主導しているi-waveの基幹システムは、エンジニアにとって花形である。

それと同時に、失敗した人間が簡単に首が飛ぶことでも有名だ。

姫路にかかれば、人事部門への介入は造作もないだろう。


「いいの? あなたの持ってる切り札をここで使っちゃって」


姫路が言ってることは、加古川への貸しについてだろう。

翔太は、姫路がそこまで掴んでいることに空恐ろさを感じた。

和竹という小物を一人潰すために払った代償としては大き過ぎるかもしれないが、翔太には全く迷いがなかった。


「はい、いつまでここに居られるかわかりませんし」

翔太は冗談半分に言った。


「……ねぇ、柊くん、うちに来ない? ほかにも色々誘われてるだろうけど」

「とりあえず、この件が片付いたら考えます」

「まぁ、いいわ。とりあえずコレを渡しておくから、前向きに考えてね」


翔太が渡されたのは、姫路の連絡先だった。

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