第42話 スカウト

「「「乾杯!」」」

その後、上村の誘いで、霧島を含む3名のおっさんによる飲み会が開催された。

橘は神代の仕事に同行し、中谷は興奮冷めやらぬまま会社に戻った。

ここは、上村御用達のイタリアンの店で、会話が漏れ聞こえないような個室になっている。


(この仕事を始めてから舌が肥えてきたかも)

翔太の食生活は大きく向上した。

グレイスビルの休憩室では、神代や橘と一緒に食事をとることが多い。

芸能人の食生活の水準は高いため、結果的にご相伴に預かる翔太もいいものが食べられる。


グレイスビルの休憩室にはキッチンが備わっており、ストックされている食材も一級品である。

これは所属タレントの俳優である川奈が持ち込んでいるものだが、翔太もその恩恵にあずかっている。

川奈は食通で料理番組にも出演しており、グレイスビルでは同僚に食事を振る舞うこともある。

景隆時代も含めると自炊経験が長いため、川奈の料理の手伝いを申し出たところ意気投合した。


「オーディションでの神代さんの演技は見事だったよ!あれは柊君の仕込みのようだね」

上村は上機嫌で言った。


「アイデアやお膳立てはしましたが、プレゼン資料は神代さんが自分で作ったものですよ」

「あれも見事だったね。プレゼンの立ち回りもすごかった」

「プレゼンの演技は、柊の会社のCMで身につけたんだよ。そのときの神代への演技指導も柊がしたんだ」

「まさか、このときは映画に関わるなんて夢にも思わなかったですよ」


3人は思い出話に花を咲かせた。

翔太が企画したフィンガーフローは上村も興味を示した。


「しかし、ブログを作るなんて、よく思いついたね」

上村は感心しながら言った。


「万が一、神代さんがオーディションに落ちてしまったら、私は給料泥棒になってしまうのでリスクヘッジの一環でもあったんですよ」

翔太にとってブログは過去の技術をなぞったものだが、それを言うことはできなかった。

翔太の行動は、国内におけるウェブ技術の時計の針を少し進めることになった。


「結構な金を使ったけど、あっという間に回収できたんだよな」

「その金の一部を払ったのは、うちの会社ですけどw」

霧島と上村はご機嫌だった。


「予算の承認は橘さんがしてくれたので、ブログに関しては彼女が一番の功労者だと思います」

翔太は正直な心情を打ち明けた。

橘は先々まで見据えていたのだろう。

霧島の承認を一々待っていたら、このスピードでは実現不可能であった。


「その橘が柊を評価したから、この結果になったんだぞ」

「は、はあ」

霧島が橘を評価していることは、彼女に与えられている大きな権限からも容易にたどり着く。

霧島からは「以前に言ったことを覚えてるか」と言外に言われている気がした。

翔太は未来人チートだが、橘は本物であると言いたいが、この場で言えないもどかしさがあった。


「それに、オーディションではグループ会社も巻き込んだんだよ。これも柊のアイデアだ」

「え?なんですか?」

上村が興味を示した。

霧島は公開できる範囲で経緯を話した。


「―――それはまた大掛かりな……確かに神代さんの財務に関する知識もあってびっくりしました。

そういう背景があったんですか」

上村はしきりに感心している。


「実は、映画の原作を読んだ時点では、若い女性にこの役は務まらないんじゃないかと思ってたんですよ。

神代さんとキリプロさんによって、その認識はひっくり返されました」

「はっはっはー。してやったりだな、柊!」

霧島は上機嫌になりながら、翔太の肩をバンバンと叩いている。


「映画と言えば、柊君も原作は読んでるよね?」

「はい、もちろん」

「あれをあのまま映画にしたらどう思う?」

「どの場面を使うか次第ですが、今だとちょっと設定が古いかなと思います」

「だよねぇ、なので、なので脚本に手を入れる必要があるんだ」

「?」「はっはーん」

翔太は上村が何を言いたいのかわからかなかった。

霧島は何となく察しているようだった。ちょっと悔しい。


「脚本家は話を書くことが専門なんだ、なので、技術的な内容はその専門家じゃないと手を入れられない」

「確かにそうですね」

「それを柊君にやってほしい」

「えええ?!」

(いやいやいや、この展開は予想外すぎる)


「御社も優秀な技術者をしこたま抱え込んでいますよね?」

「そうだけど、オーディションのシーンで、あの演出は柊君でしかなし得なかったと思う」

「そうだろうな」と霧島が同意した。


「霧島さんはいいんですか?」

もし引き受けるなら、霧島プロダクションとしての仕事になる。


「神代が主役の映画の内容がよくなるなら、俺が反対する理由はどこにもねえよな?」

「ごもっとも」

反論の余地がどこにもない。


「うーん、脚本に主演の意見が反映されることはあるんですか?」

「ああ、よくあるぞ」

翔太の問いに霧島が答えた。霧島が言うのならそうなのだろう。


「では、神代さんの意見も取り入れながらでもいいでしょうか?彼女の合意があればですが」

「ああ、あいつは絶対にOKするだろう。この時計を賭けてもいい」

霧島は、ニヤリと笑いながら、自動車が買えそうな腕時計を指して言った。


「じゃあ、決まりだね、柊君よろしく!」

(軽っ!)


***


「率直に言おう、柊君。うちの会社に来ないか?」

宴もたけなわのタイミングで、上村が切り出した。


上村の申し出は、即答でOKしたいほど魅力的だった。

翔太が現在籍を置いているアクシススタッフは、としての人生を歩み始めたばかりで、限られた選択肢の中から選んだ会社であった。給与もお察しだ。

それと比較して、サイバーフュージョンは急成長を遂げており、ITエンジニアとしてのキャリアを積むには絶好の機会である。

加えて、社長からの直接スカウトであれば、待遇も悪くないと想定される。


「―――はい、大変ありがたいお話ですが、現在アストラルテレコムで抱えているプロジェクトが一段落するまで、お返事はお待ちいただけますか?」

「いつでも歓迎するよ。その気になったら、私に直接連絡してくれればいい」

「はい、ありがとうございます」


決断を引き伸ばした結果、後に柊翔太の人生に大きく影響する出会いが待ち受けていることを、このときの翔太は知る由もなかった。

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