第41話 交渉と失策

「君が柊君かい? すごく会いたかったよ!」

上村は翔太とガッシリと握手した。

霧島や橘から翔太のことを聞いているらしい。


ここは霧島プロダクションの本社ビルの会議室だ。

ブログサービスの譲渡についての話し合いが行われていた。

サイバーフュージョンの社長である上村と、CTOの中谷なかたにを招いている。

CTOとは、最高技術責任者とも呼ばれ、企業の技術領域において大きな権限を持つ役職である。

霧島プロダクション側は霧島と橘、翔太はアシスタントマネージャーという肩書で参加していた。


「このブログは柊君が1人で作ってるのかな?」

「神代さんや、ここにいる橘さんに手伝っていただくこともありますが、基本的に私が作っています」

今の翔太は霧島プロダクションに所属していることになっている。

したがって、敬称をつけるべきではないが、別会社から出向していることは相手側も認知しているので「さん」付けさせてもらった。


「少し、中身を見せてもらってもいいですか?」

「はい、ゲスト用のアカウントを用意しておきました。

こちらのPCからログインしてください。

ソースコードの場所は―――」


中谷がシステムの内容に興味を示したため、翔太は本社ビルのサーバーにログインするためのラップトップPCを用意しておいた。


中谷がシステムやプログラムの中身を確認している間に、ブログサービスの譲渡に関する交渉が行われた。


「当事務所としては、所属タレントのコンテンツは知的財産権を保持しておきたいです」

「はい、契約に知的財産権の条項を入れておきましょう。

契約書のドラフトをお互いの法務で確認する形でどうでしょうか」

「はい、それで問題ありません」

橘と上村の間で滞りなく契約内容が詰められていった。


「所属タレントのコンテンツに関してのアクセスログは、霧島プロダクション側からも確認できるようにしたいのですが」

翔太は、誹謗中傷対策などの観点からアクセスログが必要なことを伝えた。


「芸能人が発信するコンテンツですから、このくらいは必要でしょうね」

上村は理解を示した。


「中谷君、キリプロさん専用のサーバーを立てるのはどうかな?」

「―――っ!はい?」

上村が作業中の中谷に声をかけた。

上村の問いかけは聴こえてなかったのだろう。


翔太は中谷の気持ちが痛いほどわかった、プログラミングの作業などに集中しているときに話しかけられると、中身が全部飛んでしまうことがよくあるからだ。

上村もエンジニア出身であり、その辺は理解している側なので再度同じ質問をした。


(それにしても、中谷さんの態度が……)

中谷はずっと無表情だったがシステムの中身を確認しだしてから、さまざまな表情を見せるようになった。


「はい、物理的なサーバーを用意してもいいですし、仮想的なサーバーでも可能です。予算次第ですね」

「では、その辺は契約が詰まってから決めていこう。

ということで、アクセスログは問題なく提供できそうです」


ここまでは、霧島プロダクションこちら側の要求は全て通り、順調に交渉が進んでいる。


「こちらの条件で譲渡したいと考えています」

橘が金額を記載した書類を上村に提示した。

「むむむっ!」

上村が唸った。

譲渡金額が想定以上だったのであろう。

ただ、この反応は想定通りだ。


「実は特典があってな―――」

霧島が切り出そうとしたときだった。

「―――上村さん!これ見てください!」

中谷が遮った。


***


中谷は、この契約には乗り気でなかった。

サイバーフュージョンが求めているのは芸能人の記事によるアクセス数であり、ブログの技術は不要だと考えていた。

システムは自社で一から構築する自信があった。


上村の意向で同行したが、システムの内容が稚拙なものなら反対するつもりでいた。

中谷は不満が顔に出ないよう、努めて無表情を貫いていた。


(こ、これは……!)

システムの内容を確認した中谷は、その出来に驚愕した。


1人で開発していると聞いていたため、大したものではないと高を括っていた。

しかし、中谷の想定とは裏腹に、さまざまなところで斬新な技法が施されていた。

大規模な開発を見据えた効率的な設計が施され、テストの仕組みから品質も担保できると想像できた。


中谷は、途中で上村に話しかけられたことに気づかないほど夢中でソースコードを読んでいた。


中谷は思わず声を上げた。

「上村さん!これ見てください!」


***


「「「「……」」」」

中谷以外の4人が唖然としていた。


「中谷くん、今霧島社長が―――」

「いいぞ、その話を続けてくれ」

上村は中谷をたしなめようとしたが、霧島が先を促した。


「このブログのシステムですが、おそらくフレームワークを使ってると思うんですよ―――そうすると開発効率が―――」

上村は中谷の話を熱心に聞いていた。


(あああーーー!しまったーーーっ!)

翔太は自分のしでかしたことに気づいた。


『どうしたんですか?』

橘は小声で翔太に確認した。

では当たり前の考え方でシステムを作ってしまったんです』

『ああ、なるほど』


翔太は、これまで大規模なシステムしか担当していなかったため、回ってくる仕事は今の時代の技術を踏襲するだけでこなしてきた。


ブログのシステムは翔太自身が一から自由に構築していたため、この時代には存在しない概念の技術を使っていた。

内容が理解できる第三者に見せることを考えていなかったために起きてしまった失策だ。


『すみません、なので―――』

『目くらましが必要ですね。例の件は社長に推しておきます』

『ありがとうございます』


橘は翔太の意向を瞬時に汲み取った。

(橘さんが味方で本当によかった……)


翔太は、橘が敵でないことに心底安堵した。

狭山は、決して敵に回してはいけない相手に喧嘩を売ってしまったのだ。


「うーん、中谷の話を聞く限り、この金額を出す価値は十分にありそうですね」

上村がそう言ったことで、霧島と橘の表情が明るくなった。

どうやら交渉は上手くまとまりそうだ。


***


上村が中谷と話している間に、霧島は橘とコソコソ話していた。


『おい、どうする』

『今の条件で合意できそうなので、オプションとして提案しましょう』

『そうだな、向こうが出せそうな金額を出してもらうか』


翔太のミスにより、用意していたは別の形で使われることになった。


『ありがとうございます』

翔太はこっそりと橘のお礼を言った。

『ふふふ、貸しですよ♪』

橘はにっこりと微笑んだ。


***


「そういえば、なにか言いかけていませんでした?」

上村は霧島に向かって問いかけた。


「―――ということを用意していたんだが―――」

「「えええっ!」」

上村と中谷は驚愕した。


「そんなことができるんですか?!中谷くん、どうかな?」

「本当にやっていただけるなら、現場の士気は爆上がりですよ!」

2人は霧島の提案に興奮した。


こうして、霧島プロダクションとサイバーフュージョンの交渉は円滑に進んだ。

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