第39話 代償

「なるほど、CSSのデバッグはこうやるんですね」

白川は、長く美しい髪をかきあげ、モニターを見ながら言った。

この仕草だけでも絵画になりそうなほど美しい。

ひとつひとつの所作が優雅で気品があり、良家のお嬢様ではないかと思わせる。


「うわっ!びっくりしたー」

ここはグレイスビルの休憩室である。

翔太がブログのデザインを調整しているときに、白川が声をかけてきたのだ。


今は、霧島プロダクションにブログを導入し始めた時期である。

翔太はブログのテーマをウェブデザイナーに発注していた。

芸能人のブログであるためかブログの外観にこだわるユーザーが多く、翔太はその要望を受けて、テーマの調整を行っていた。


ブログのアクセスランキングでは、1位が星野、2位が神代で、白川は3位である。

トップアイドルである白川がこの順位に甘んじているのは、上位2名ががんばっている要因もあるが、白川はブログの記事をあまり書いていないことが挙げられる。


白川はブログの記事よりもシステムそのものに興味を持っており、自分のブログテーマを自分で作っているというのだから驚きだ。


ITの知見がない神代には、翔太が手取り足取り教えているが、白川にはほとんど教えていないため、もとから知識があるようだ。


「えっと、お兄さんが、お詳しいんでしたっけ?」

「兄はインフラ周りのバックエンドが専門で、フロントエンドは詳しくありません。

したがって、私の独学です」

「それはすごいですね」


フロントエンドとは、ユーザーから見えて操作できる部分であり、バックエンドとはユーザーには見えない裏側の処理を指す。

これだけの会話でも、白川が只者ではないことが伺える。


白川の兄は、ITベンダー(ハードウエアやOSを提供する企業)に勤務しており、白川は兄の影響でITの分野に興味をもったとのことだ。


白川から、ブログシステムの運用にも関わりたいとの申し出があったが、神代のオーディションが優先なので、これが終わるまでは保留という形にしてある。

トップアイドルの時給を考慮すると、仕事の一環としてこれをやらせるのは霧島プロダクションにとっては、機会損失のほうが大きいだろう。

いずれにしても、翔太では決めかねる内容だ。


それでも、白川は折を見ては翔太に話しかけ、システムについて熱心に聞いていた。

神代がいないところを見計らって来るあたり、用意周到さが伺える。


「ブログのシステムは冗長化されているとお伺いいたしましたが、どの程度のインシデントに対応できるのでしょうか」

白川は丁寧な口調で言った。

育ちがよいのか、普段の口調は社交界の会話のように丁寧だ。

アイドルとして活動している場のほうが、無理して明るく振る舞っているように見えた。


「サーバー自体は本社ビルにもありますので、このビルの電源やネットワークが停止しても問題なく動作する構成になっています。

ただ、データセンターのように電源などが冗長化されているわけではないので、いずれはちゃんとした構成にしたいと思っています」


「なるほど、クラスター化されたシステムでも、サービスが停止するような状況はあり得ますか?」

白川は、深刻な表情で翔太に質問した。


「完璧なシステムは存在しないので、あり得ますね。私もいくつかは事例を知っています」

どうやら白川の質問は、このブログのシステムではないことに関するものだと思われたので、一般論で回答した。


「あの……実は兄の担当しているシステムが、このような状況になってしまったので……失礼を承知で申し上げますと、柊さんならなにかご存知ではないかと―――」

白川は言いづらそうに話した。


翔太は状況が読めてきた、白川は困っている兄を助けたいのだ。

おそらく白川の兄は、問題が起こっているシステムについて、開示できるギリギリの情報を白川に伝えたのだろう。

白川は兄思いの妹のようだ。


「ファームウェアが怪しいですね」

翔太は白川に状況を聞いた結果、ある程度の見当をつけて言った。

「ファームウェアですか?」


ファームウェアとはOSとハードウェアの中間に位置するソフトウェアで、ハードウェアの制御を行う。


「全く同じ構成のマシンが、2台とも同じ箇所が故障することはまずないと考えられます。

そうすると、共通して同じものを使っているファームウェアに何らかの不具合がある可能性がありそうです」


ファームウェアの不具合であった場合、それを確認することが大変であることを、景隆のときに経験していた。

翔太は白川に問題の切り分け方法や、ログのとり方などのノウハウを伝授した。

白川はメモを取りながら聞いてた。

翔太は、難易度の高い話をしていたが、白川は内容を理解し、ときには質問を交えながら傾聴していた。

(白川綾華…おそろしい子…!!!)


***


「柊さんの言ったとおりでした! 問題は無事に解決いたしました。

本当にありがとうございます」

後日、グレイスビルの休憩室で、白川は翔太に深々と頭を下げてお礼を言った。


白川は相変わらず隙のない所作であったが、表情が明るくなり、珍しく感情を表に出していた。

どうやら白川の兄の問題は解決したらしい。


「あぁ、よかったです。結構大変そうな状況だったみたいなので」

白川の兄とは面識がないが、同様に何度か危機的な状況になった経験があるので、気持ちは痛いほどにわかる。


翔太が白川の兄とであることを知るのは、しばらく後のことになる。


「話を聞いただけで解決できるなんて、安楽椅子探偵アームチェアディテクティブみたいですね」

「白川さんが状況を把握して伝えるのが上手かったんですよ」


翔太は、システムトラブルの連絡を顧客から受けたときに、その内容が要領を得なかったり曖昧だったりで困る場合がある。

業界人ですら、上手くできないことを白川はさらりとやってのけた。


「あの……なにかお礼をしたいのですが」

白川が懇願するように、縋るような目つきで翔太を見て言った。

(この目はずるい……)

神代のときもそうだが、この表情でお願いされると何でも聞いてしまいそうで、大変に危険である。


「困った時はお互い様ですよ」

無難に返答したが、この時白川に貸しを作っておくべきだったと、後日、後悔することになる。


***


「なぁ、星野さん、例のチケットってまだ有効?」

グレイスビルの休憩室で、翔太は星野涼音ほしのすずねに尋ねた。

今は、スターズリンクプロジェクトが始まった時期である。

チケットとは、星野や白川らが所属するアイドルグループPawsのコンサートチケットである。


「しょうたん、いらんゆうたやん!もう甥っ子にあげてもうた」

「がーん……」


「ええっ!柊さん、アイドルに興味あったの?!」

神代が割り込んできた。

(しまった、梨花さんがいたのか、気づかなかった……迂闊)


「全然興味ないよ」

「そこは嘘でも興味あるって言っとかんとあかんのじゃ!」


(しかし、参ったな……本当のことを言う訳にはいかないし)

オーディションの準備が忙しくなってきたので、アストラルテレコムの仕事を野田に任せる交渉材料として、星野が所有するチケットを当てにしていたのだ。


「私のチケットを差し上げます」

「「「えっ!」」」

なんと、白川がチケットが入っていると思われる封筒を持ってきた。


「え、いいんですか?」

多少葛藤はあったが、翔太は食いついた。

複数の仕事が迫っており、ほかに当てはない状況だ。


「条件があります」

「なんでしょう?」

「柊さんが、神代さんや星野さんに接しているように、私にも接してほしいのです」

「「ええっ!!」」

神代と星野が反応した。


「白川さんには、敬語を使うなということでしょうか」

「左様でございます」


(そっちは使うんかーい)

内心のツッコミはあったものの、翔太は考えた。

おそらく、チケットの価値は家族を質に入れても手に入らない代物だ。

対価としては破格とも言える。


「ちょっと待ったーーー!」

「おめー、そのコール古いって言ってるやろがい!」

休憩室が騒がしくなってきた。


「綾華、ずるいよ!私がここまで来るのにどれだけ大変だったと思ってるの?」

神代はおかんむりだ。

「まー、あたしのおかげなんだけどな」

星野はドヤ顔だ。


(梨花さんのためにやってる……とは言えないんだよな……)

結局はバレてしまって、オーディション前日に神代にぶり返されることになる。


「今の柊さんをお助けできるのは、この場に私しかいませんよね?」

白川は勝ち誇った顔で言った。

こんな表情する白川を目にすることは、彗星を目視することより珍しいことであった。


「「ぐぬぬ……」」

(じょゆうと あいどるは あいどるに おされている)


「ありがとう、白川さん」

翔太は余計な物言いが着く前に、チケットを受け取ろうとしたが、白川がすっと翔太の手を躱したのでチケットは受け取れなかった。


「あれ?」

「私の名前はです」

さらっと要求がつり上がった。

「「ぐぬぬ……」」


「ありがとう、綾華さん」

(こうかは ばつぐんだ!)

翔太は改めて言い直したが、チケットは白川の手に収まったまま、渡してくれる気配がない。


「私の名前はです」

白川は、村の入口にいるNPCのように繰り返した。

「「「ぐぬぬ……」」」

(あいどるは ぜんいんに まうんとを とった)


「ありがとう、綾華」

ようやく白川は翔太にチケットを渡しながら、満面の笑みで言った。

「よろしくお願いいたします、柊さん♥」

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