第30話 オーディション前夜
「ふー」
グレイスビルの休憩室では、いつものソファーで翔太がオーディションに向けて追い込みをしていた。
明日はいよいよオーディションである。
「柊さん、このスライドは分けた方がいいかな?」
「そうだね、一枚のスライドで情報量が多くなると、受け手には分かりにくくなるから、分けたほうがいいと思う」
「なるほどー」
翔太の隣では神代が、オーディションのための資料を作成している。
神代が操作しているラップトップPCは、オーディションでも使用される予定だ。
オーディションでは持ち込みの制限がないので、色々と小道具を仕込んである。
神代が使っているPCもその一つだ。
深夜のグレイスビルは、翔太と神代の二人だけが残っていた。
橘は本社ビルで霧島と何やら企んでいるらしい。
「そういえば、スターズリンクプロジェクトの説明会で詰まっちゃったところがあったので、オーディションでは想定される質問を洗い出しておいて、回答できるように準備しておこうと思っているんだ」
神代は、説明会の経験を最大限に活かすつもりらしい。
「いいと思うよ、俺も来そうな質問をある程度予想できるから、まとまったら練習してみようか?」
「うん、お願い」
***
「すぅー」
「ん?」
「コテン」と神代の頭が翔太の肩に寄りかかっていた。
どうやら眠ってしまったらしい。
「さすがに疲れるよなー」翔太は独り言ちた。
ここ数日で、神代は超過密なスケジュールをこなしていた。
特に、狭山との一件があってからは入れ込みが強かったように見える。
(しかし、大丈夫かなコレ……)
不可抗力とは言え、誰かに見られたら一発でアウトだ。
仮に見られた相手が、橘や星野であれば、情状酌量の余地もありそうだが。
「んんっ」寝息を立てている神代がさらに体重をかけてきた。
神代の艷やかな髪が翔太の頬や首筋をなでていく。
さらに神代のいい匂いがしてきたことで翔太はいっぱいいっぱいになってきた。
(これ以上は……マズイ)
「梨花さん、梨花さん」
軽く揺すってみたが、神代はまったく反応がない。
こんな無防備でいいのかと思いつつ、翔太は神代を起こすことを諦めた。
翔太もアストラルテレコムの仕事と平行でオーディションの準備をしていたため、疲れ切っていた。
***
「あれ? 私、寝ちゃってた!?」
神代は目を覚ますと、隣に翔太が眠っていることに気づいた。
そして、翔太に完全に寄りかかっていることに驚いた。
(こんなに無防備に寝てしまうことなんてなかったのに……)
「おーい、柊さーん」
神代は翔太の頬を指でつついて起こそうとしてみたが、本気で起こす気はなさそうだ。
「ふふふ、寝顔はかわいいんだから……起きないとイタズラしちゃうぞー」
神代は翔太の髪をなでたりしていたものの、一向に起きる気配がなかった。
「ちょっとだけなら――いいよね?」
***
「柊さん、柊さん」
神代の声で翔太は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたようだ。
「ごめん、寝てしまったみたい」
「いいよ、先に寝ていたのはこっちだし」
神代の顔が心持ち赤くなっているように見える。
「梨花さん、大丈夫?」
神代が無理をしているのはわかっているので、翔太は心配になって声をかけた。
「全然問題ないよー」
神代は明るく言い切った。
元気そうに見えるので、翔太の杞憂なのだろうか。
「スライドはできた?」
「うん、確認してくれるかな?」
翔太は神代が作ったプレゼンテーション資料を確認した。
「――うん、いいんじゃないかな」
狭山のバックにいる船井は強敵で、狭山のプレゼンが翔太の予想を超える可能性があるが、不安を見せずに努めて明るく言った。
「やった!」
神代はかなり嬉しそうだ。
相変わらず、翔太に全幅の信頼を寄せているようだ。
「もう、かなり遅いし帰らないとね」
翔太の発言に、神代は少し不満そうにしている。
「――ね? 私、歩いて帰ろうかなと思ってるんだけど、送ってくれないかな?」
神代は少し考えた後、上目遣いでお願いしてきた。
「ええぇっ?」
翔太と神代は霧島プロダクションから支給されているタクシーチケットがある。
神代はタクシーで移動するように橘から指示されており、翔太も電車がないときはタクシーを使っている。
神代が住んでいる社宅は、グレイスビルから歩いて30分程度なので、歩ける距離ではあるが、とっくに日付は変わっている。
若い女性――しかも誰もが知っている有名女優が深夜に歩くのは、一人でも二人でもさまざまなリスクがあるのは自明である。
神代はそれを承知のうえで言ってきているということは、なにか話したいことがあるのだろう。
(なにかあったときに柊翔太の体で守りきれるのだろうか……)
「――わかった、橘さんには内緒だよ」
翔太はものすごく葛藤した後に、絞り出すように言った。
「うん、もちろんだよ!」
神代はこれまでの疲れなどなかったかのように笑顔で言った。
***
(だ、大丈夫かな……)
翔太は周りを見回した。
翔太と神代は二人で夜道を歩いている。
グレイスビルも神代が住んでいる社宅も治安のいい場所にあるので、そこまで気にしなくても大丈夫かもしれないが。
「はー、明日でもうオーディションなのか、早いなー」
「梨花さん、こんなに頑張ったのにまだ元気だね」
「柊さんこそ、元々のお仕事もあるのに、こんなに頑張ってもらってありがたいやら、申し訳ないやら」
二人は歩きながら話している。
「俺の方は、かなり野田に仕事を振ってしまったからね。代償はあったけど」
「あー! アレは納得いってないよー! 綾華ずるい!」
翔太は白川を利用して、野田に仕事を振ることに成功したのだ。
これについてはいずれ語られるだろう。
「――ね、柊さん、私、こんなに仕事で楽しいの初めてなんだよ?」
「ん?」
「全然ピンときてないでしょ?」
「しょうがないなぁ」と神代は続けた。
「演劇は仕事になる前からずっとやってたけど、役作りにここまで頑張ったのは初めてなんだよ」
「さすがに、俺も今回はやりすぎだと思ってるけど」
「私、今までも役作りは結構がんばってきたんだよ」
「うん、CMのときもかなり頑張ったんだろうなと感じてたよ」
『それに気づいたのは、柊さんだけなんだけどね』
小声で言った神代の最後の言葉は翔太には聴こえなかった。
「ん?なんか言った?」
「んーん、なんでもないよ。役作りの練習ってさー、大抵は孤独なんだよね。
だけど、今回はあんなにたくさんの人を巻き込んで」
「それに関しては申し訳ないと思ってる」
「あはは、みんな気にしてないし、楽しんでるよー。見たらわかるでしょ?」
「私、これまで男の人ってすごく苦手だったんだ」
「そうみたいだね」
なんとなく、理由は察しているが口には出さなかった。
「でも、柊さんのおかげで、大分よくなったんだよ? ありがとう!
いつかお礼を言おうと思ってたんだけど、やっと言えたよ」
神代は胸のつかえが取れたかのように朗らかに言った。
「まー、俺じゃなくても人畜無害な男はいるので、その辺はわかってくれると」
翔太は世の男性を代表して答えた。
今の世の中は、男性から異性に声をかけるだけで事案になるのだ。
「それだけじゃないんだけどなー、それはおいおいわかってもらうことにするよ……力ずくで」
「おい、最後に不穏な単語が聞こえたんだけど」
「くすくす」と神代は笑っていた。
疲れているはずなのに、神代はご機嫌だ。
二人は話している間に社宅に着いた。
翔太は神代の歩調に合わせるよう、ゆっくり歩いていたが、体感的にはあっという間だった。
神代は別れ際に懇願するように言った。
「ね、柊さん、オーディションが終わったらお願いがあるんだけど――」
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