鈴音

@koharunotabi

鈴音 「死のうと思った」


 死のうと思った。もはや人生に希望はない。ここで死んでも気づく人はいない。俺がいなくても世界は簡単に回り続ける。死のうと思った。ガードレールを伝いながら死に場所を探している時、目の前にふっと影が落ちた。見知らぬ男だ。

「あなたは、これから、死ぬのですか。」

男は、無表情に、淡々と俺に聞いてきた。なんだこれ。鬱が見せる幻覚か?どうでもいい。どうでもいい。

「死ぬつもりですけど。何ですか?」

「そうですか。我々は生まれていつか死ぬ。それでいいのかもしれませんが、あなたが今生きているなら、これを。」

百円均一に売ってあるような、小さな鈴を渡された。動かすとちりちりと無機質な音がする。

「なんだお前。馬鹿にしてるのか。悪いけどこっちはそんな冗談に付き合ってる暇はない。」

「そうですか。馬鹿にはしていません。ただ、あと数日だけ、鈴の音を聴いてみてください。私からはそれだけです。」

やはり馬鹿にしている。今日死ぬと言っているのに。受け取った鈴を投げ捨てようとした、瞬間、視界がブラックアウトした。



 目が覚めると、自室の布団だった。あれはなんだ?なんの悪夢だ。ちりちり。嫌な音がした。急いで枕元を見ると、昨日男に渡された安っぽい鈴が転がっていた。ちりちり。無機質な音。無機物。こんなものの音を聴いて何になる。

 しかし、あの男の言っていたことが気になり、数日間鈴の音を気にしていた。不思議なことに、その鈴はおれが死のうと思うときにだけ鳴る。ちりちり。いやに無機質な音。お前は有機物で、生きものなのだと、伝えてくるかのような音。


 数週間後、いつものようにふらふらと家路についていた。すると、また、あの男が現れた。

「どうですか。その鈴の音は。」

「またあんたか、ただの鈴の音だ。決まった時に鳴る以外はな。どうなってるんだよこれ。」

「その鈴は、生きたくても生きられなかった人々の祈りがこもった鈴です。だから、あなたがその命を終わらそうとする時、鳴るのでしょう。」

「決まった時」としか言っていないのに、死のうとした時と言い当てられて、ぞくりとした。というかなんだよそれ、ふざけるな。俺の苦しみは俺のものでしかないし、そんなもの渡されたって重い以外の何物でもない。

「だから生きろってか。そんなただの押し付け、綺麗事、うんざりなんだよ。その人たちと俺になんの関係がある。」

語気を荒くしたにも関わらず、男は淡々と、

「あなたが今生きていること、それは奇跡なんですよ。今にわかります。私から言うことはそれだけです。もうあなたの目の前には現れないでしょうから、どうぞ安心してください。」

と言い、そのまま男は夜に消えていった。

相変わらず意味がわからない。綺麗事を聞かされただけにしか思えない。いっそのこと鈴を捨ててやろうかと思い、思い切り振りかぶったが、何故か鈴は手のひらから離れてくれない。なんだよ気持ちが悪い。意味がわからない。何もかも意味がわからない。もうどうでもいい。鈴とか生きることとか、全部どうでもいい。気持ちが悪い。俺は苛立ちを覚えながら帰宅した。



 数年が経った。俺はまだ生きている。鈴の鳴る回数は減った。駅のホームで電車を待っていると、隣の女性が線路に飛び込もうとしているのがわかった。俺は反射的に肩を掴み、

「この鈴をあげます、数日間でいいので、この鈴の音を聴いてみてください。」

いつのまにかそう口にして、数年間共に過ごした鈴を彼女に渡していた。彼女は意味がわからない、と言う顔をしていた。俺だって意味がわからない。なんでこんなことしているのか、訳がわからない。彼女は意味がわからないと言う顔をしながら鈴を受け取り、逃げるようにその場を去った。


また、数年後、あの聴き慣れた、ちりちり、と言う無機質な音がした。目を向けると、それは鈴を渡した女性だった。生きていたのか。俺は自分が死にたがっていたくせに、何故か安堵した。彼女はホームに飛び込むことがないまま、電車に乗り、何処かへ旅立っていった。


そしてそのまま、俺も彼女も、生きる意味がわからないまま、生き続けている。

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