10話 再納品完了いたしました

「あーっ! 腹立つー!」


 工房のパイプ椅子に座ったレイが金髪を掻きむしる。何度も読み返しては握り潰したのだろう。作業台の上の新聞はもうぐちゃぐちゃだ。


 まあ、無理もない。今まで学んでいた知識が正しくなかったと知れば、誰でもこうなる。現に、エルネア教団と王城の魔学研究室、およびリッカの魔法学校の連名で発表された論文が新聞に掲載された途端、国中を貫く衝撃の声が魔法使いたちを中心に巻き起こった。


 一千年越しの新たな事実に興奮するもの、自分も実はそう思っていたと主張するもの、魔学会に裏切られたと嘆くもの――反応は様々だが、おおむねレイのように感情を掻き乱されているようだった。


「な、ん、で、アルティはそんなに平静なのさっ! 今まで感情エネルギーだと思っていたのに、実は魔素だったんだよ? それも身近にありふれてるとかさあ!」

「だって俺、職人だもん。新鉱物の正体が判明したのは嬉しいことだよ。おかげでこうして製品にできるわけだし」


 レイの愚痴を聞きながら黙々と作っているのは、早速依頼を受けた新鉱物のアクセサリーだ。パドマに超特急で持ってきてもらった貴族向けの合金の残りである。本当は鎧にしてほしいと言われたのだが、そうするにはまだ合金の生産が追いついていない。


「魔法に興味のない人間はこれだから……」


 素っ気ないアルティにぶつぶつと文句を垂れながら、新聞を手に取る。


「ラスタに派遣されたエルネア教の司祭が、たまたま手に入れた新鉱物と、たまたま訪れた神殿に使われていた鉱石の類似点に気づくなんて、できすぎだよねえ」


 翡翠色の目で睨むセピア色の写真には、長身でやや猫背気味の男が演壇に立つ様子が写っている。聖属性の鉱石の存在に気づき、昔から密やかに研究されてきた「聖と魔の魔素の実在性」の証明を果たした――という筋書きを語る役目を負わされたヒト種の男だ。


 アルティはその男が薄茶色の髪で鳶色の瞳だと知っている。写真の隅で男を心配そうに見守る少女のことも。


 一週間前と変わらぬ姿を横目で見つめ、アルティは口元を緩めた。






「パパ!」


 控え室というには広い部屋の中、付け替えた真鍮のリベットが金色の光を放つ。最初に作ったときはイフリート鋼しかありえないと思っていたが、こうして見ると実にいい感じだ。再納品が決まって急遽直した甲斐があった。


「ああ、エミィ! 本当に大きくなって……!」


 女神さまが舞い降りた――そう言いたげな表情でハロルドがエスメラルダを抱きしめる。二人を囲む家族たちも、みんな幸せそうだ。


(この光景が見たかったんだ)


 込み上げた涙を拭ったとき、ハロルドに頬擦りされてくすぐったそうに身を捩ったエスメラルダが、控え室の隅で佇むアルティに目を止めた。


「アルティ、本当にありがとう!」


 大きく手を振るその姿には、ベッドで苦しんでいた様子は微塵もない。父親の腕から抜け出して駆け寄ってくる小さな体を受け止め、満面の笑みを浮かべる。


「とても似合ってるよ、エミィちゃん。遅くなってごめんね」

「ううん! たった三日で直してくれるとは思わなかった。お手手痛くない?」

「大丈夫だよ。こう見えても鍛えてるからね」


 本当はぼろぼろだが、客が喜んでくれるなら痛みなど感じない。背負っていたリュックを下ろし、中から取り出した小箱をエスメラルダに差し出す。


「鎧着装の儀、おめでとう。これは俺からのプレゼントだよ」


 戸惑いつつも蓋を開けたエスメラルダが「これ……!」と声を上げる。


 パドマが開発した貴族向けの合金で作ったティアラである。最初はリベットにするつもりだったのだが、こちらの方が似合うと思ったのだ。


 兜を外した闇の上に、定着の魔法紋を縫い込んだシルクのショートベールを被せる。その上から白銀色のティアラを乗せれば、どこからどう見てもお姫さま――いや、熊騎士シリーズに登場する月の女神セレネスの出来上がりだ。


「女神さま、お手をどうぞ」


 アルティにエスコートされて壁の鏡を覗いたエスメラルダが、ハッと息を飲む。


 湖面のように揺らぐ青白い目がこちらを見上げる。次の瞬間、目を輝かせたラドクリフたちが、アルティを押し除ける形でエスメラルダを取り囲んだ。


「ママにも、もっとよく見せて!」

「お兄さまにも見せてよ、エミィ」


 わいわいと賑やかな家族たちの中心で、エスメラルダが楽しそうに笑う。その微笑ましい光景に目尻を下げながら、ハロルドがアルティの隣に並ぶ。


「ありがとうございます、アルティさん。エミィのあんなに嬉しそうな顔を見るのは久しぶりです」

「いえ、俺が作りたかっただけですから。それより……」


 ごくりと唾を飲み、ハロルドの横顔をじっと見上げる。


「エミィちゃんを聖女にするつもりですか?」

「まさか」


 即答されて虚をつかれる。そんなアルティに、ハロルドは静かに言葉を続けた。


「司祭の身でありながら不敬かもしれませんが、塔の聖女さまはいわば籠の中の小鳥です。国に守られている反面、どうしても好奇の目に晒される。周囲からの期待と重圧も相当なものでしょう。とても、今のエミィに耐えられるとは思いません」

「ということは……」

「あの子には自由でいてほしい。そのためには、ありとあらゆる手を使いましょう。これは父親としての我儘です」


 きっぱりとした声に、そっと息を吐き出す。いくら稀有な力を手に入れても、エスメラルダが不幸になっては意味がない。ハロルドがいる限り、非情な表舞台に引き摺り出されることはないだろう。


「それよりもあなたはどうしますか? 新鉱物が聖属性を帯びた鉱石だと見抜いた人間として、歴史に名を残すことも可能ですが」

「遠慮しておきます。俺はあくまでも職人ですから」

「いいんですか? 公表すれば職人としての名も売れると思いますけど」


 試すような声色にふっと笑みが漏れる。


「職人の仕事は名を売ることじゃなくて、腕を売ることです。いいものを作り続けていれば、いずれ気づいてくれる人がいますよ。俺にできることは、その日まで技術を磨き続けることだけです」


 それは青臭い言葉だったろう。しかしハロルドは何も言わず、ただ黙って微笑んだ。


「それにしても、ルイ遅くない? どこで道草食ってるの?」

「うーん……。もう夜勤明けてるはずなんだけどなあ……」


 マルグリテ家の長男であるルイは近衛第一騎士団の副団長だ。どうしても休みが取れず、仕事が終わり次第戻ってくる予定になっているらしい。


 そのとき、廊下を駆けてくる足音が聞こえ、黄土色の鎧兜を着たデュラハンが控え室の中に入ってきた。手には四角い何かを抱えている。


「お待たせー。王城の研究所からカメラ借りてきたよ。まだ世間には出回ってない、カラー写真が撮れるやつだって」

「兄さん、でかした!」

「たまにはやるじゃない!」


 長男のお手柄に、その場がわっと湧く。


 そろそろ失礼した方がいいだろう。ハロルドに暇を乞おうとした矢先、それに気づいたエスメラルダに手をぎゅっと握られた。


「アルティも一緒に写ろう!」

「え? でも家族写真なんじゃ……」

「いいから!」


 ぐいぐいと腕を引かれ、待ち構える家族たちの中心に連れて行かれる。力が強くなったなあと感慨深く思った瞬間、カシャ、と小気味いい音が響いた。






「何さ、ニヤニヤしちゃって」


 思い出し笑いを浮かべるアルティを、レイがジト目で睨む。


 一週間前の出来事はレイにも話してはいなかった。無事に納品が完了したと伝えただけである。


「別に?」と嘯くものの、レイの眉間の皺は消えない。少々行儀悪く、新聞を作業台に放り投げ、こちらの顔を覗き込むように頬杖をつく。


「……そういえばさあ、この前、神殿に不法侵入したやつがいたんだってね。一人は子供を背負ったデュラハン。もう一人は赤茶色の髪をした小柄な男だったって。リリアナ連隊長にしょっ引かれたみたいだけど、特にお咎めなしで釈放されたらしいよ」

「へえ。どうしても見たかったのかな」

「そうかもねえ。子供の命がかかってたかもしれないもんねえ」


 レイは耳と勘がいい。長年首都に住んでいて顔が広いので、市内の噂話は大抵入ってくる。エスメラルダの病状の話も聞いていたのだろう。


 それが神殿に行った直後に回復、そして論文発表と重なればアルティが一枚噛んでいると気づいても致し方ない。わざわざ店を空けてここに来たのは、真偽を確認するためだったのだ。


「な、何だよ。含みのある言い方だなあ。言っとくけど、俺じゃないからね。赤茶色の髪のヒト種なんて、どこにでもいるし」

「僕、ヒト種なんて一言も言ってないけど」


 しんと沈黙が降りる中、黙々と手を動かす。こういうときは下手に弁解してはいけない。


 レイは黙り込んだアルティをじっと見つめていたが、やがて大きなため息をつき、その場に立ち上がった。


「か、帰るの?」

「これから忙しくなるからね。今までベールに包まれていた聖属性と魔属性の研究が進めば、魔法紋の需要もより高まるだろうし……。それに、来客みたいだから」


 視線が工房のドアに向いたと同時に、玄関のドアベルが音を立てた。相変わらず勘が冴え渡っているようだ。


「ほら、君の女神さまのご降臨だよ」


 レイと入れ替わりに現れたのはリリアナだった。兜の面頬こそ上げているものの、いつも通りの元気な挨拶はなく、むすっとした空気を漂わせている。


(うう……。まだ怒ってる……)


 相談もなく神殿に乗り込んだ暴挙を怒られ、警備隊の間で「リヒトシュタイン家の戦女神さま」という呼称が定着したことでまた怒られ、そして誰よりも先んじてエスメラルダに新鉱物のティアラをプレゼントしたことで完全にご機嫌を損ねてしまい、お得意さまのお許しを得るために、こうしてアクセサリーを作ることになったのだ。


「リ、リリアナさん。ちょうど完成しましたよ。つけてみてください」


 出来たばかりの髪留めを差し出す。デュラハンに髪はないが、兜の糸束には十分使える。


 この国ではアクセサリーの定番といえばネックレスだが、デュラハンに贈ると求婚の意味になるので、誤解を与えないようやめておいた。


「小さいので魔属性を跳ね返すほどの力はないかもしれませんが、お守り代わりにはなるかと思って……」

「……綺麗だな」


 兜につけた姿を鏡で見て、ようやくご機嫌が直ったようだ。さっきまでレイが座っていたパイプ椅子に腰掛け、アルティが淹れたコーヒーを鼻歌まじりで啜っている。


「警備隊の仕事は落ち着いたんですか」

「まあな。大変だったよ。父上がずっとピリピリしてたし」


 新鉱物が聖属性の鉱石だと発覚したあと、リリアナたちは駆けつけたルクセン帝国の使者たちの警護に駆り出されていた。本来なら近衛隊の仕事だが、相手が相手なので万全を期したのだろう。


「姉上の旦那さま……ハロルド殿だったか。あんなにお人よしそうに見えて案外したたかだったな。いち早くアレス国王に根回しして、自国民の保護を強調させるとはなあ」


 ルクセン帝国は一千年もの間、この大陸に君臨している大国である。同盟国として不可侵条約を結んでいるといえども、有り余る経済力を盾に新鉱物を掠め取っていく可能性があった。


 そこに目をつけたハロルドは、義理の弟であるルイのツテを使って国王と謁見し、新鉱物の所有権についてラスタ側が優位に立てるよう交渉する見返りに、娘を保護してくれと要求したのだ。


 エルネア教団の司祭の娘とはいえ、エスメラルダはラスタ国民である。いくらルクセン側が招聘を望んでも、強行すれば外交問題になってしまう。


 それに、ルクセン側としても自分たちの目が届かないところで新たな聖女が生まれるのは困る。結果、他国よりも優先的に新鉱物を輸出すること、またエルネア教団の許可なく聖女と呼称しないことを条件に秘密保持契約が結ばれ、エスメラルダは普通の女の子として生きていけるようになったのだ。


「そういえば、職人街で暴れていた魔属性に取り憑かれた男な。酒場で変な薬を飲んだのが原因だったぞ。製作者は精力剤とか抜かしてたが、数人がかりでしめ上げたら、魔属性に取り憑かれた魔物の肉から作ったと白状したよ」

「それって、つまり……」

「魔属性の力の元も魔素だと証明されたってことだ。鉱石は見つかってないけどな」

「……できれば魔属性の鉱石は見つからないままでいてほしいですね」

「まったくだ。人の精神に悪影響を及ぼす鉱石なんざ、どう転んでもろくな結果にならん。見つかったのが聖属性の鉱石で本当によかった」


 そう言って、リリアナは作業台の上の白銀色の塊に目を向けた。


 カウンターの棚で客寄せ用に飾っていたものだ。パドマに地下の在庫を引き渡したとき、これだけ回収し忘れていったらしい。


「新鉱物……いや、セレネス鉱石か。いい名前をつけたな、アルティ」


 属性に気づいた功績として、ハロルドが命名権をくれたのだ。アルティに名付けセンスはないので、絵本の熊騎士シリーズに登場する月の女神から拝借した。


「エミィちゃんも喜んでくれましたよ」

「見違えるように元気になったんだって?」


 笑顔で頷こうとしたとき、軽やかにドアベルが鳴った。次いで、小さな足音がこちらに近づいてくる。


「アルティ!」


 可愛らしい声を上げ、工房に飛び込んで来たのはエスメラルダだった。その背後からラドクリフも顔を出す。


「なんだ、リリィも来てたの?」

「私も常連だからな。マルグリテ家には負けないぞ!」

「お客さまに勝ちも負けもないですよ、リリアナさん」


 何故か張り合うリリアナに苦笑しながら、エスメラルダに用向きを問う。


「あのね、この子のよろいをわたしとお揃いにしたいの……作ってくれる?」


 差し出されたのは熊のぬいぐるみだった。どことなく期待に満ちた顔をしているような気がする。ご主人さまとお揃いの鎧を身につけるのが嬉しいのかもしれない。


 深く首を垂れ、仰々しくぬいぐるみの腕を取る。


「お任せください。可愛らしいお客さま!」


 窓から差し込む光に負けないぐらい明るい笑い声が、工房の中に響き渡った。

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