閑話 揺れる叔父心と姪っ子の初恋

「ねぇ、今度はいつアルティのところに行くの?」

「うーん……今は発注するものがないからなあ……。また今度ね」

「おにいさま、前もそう言った! いいもん! パパに頼むから!」


 ぷう、と頬を膨らませ、エスメラルダが部屋を出て行く。シュトライザー工房でぬいぐるみの鎧兜を作ってもらってから、ずっとあの調子だ。それだけ嬉しかったのだろうが、そう度々お邪魔するわけにはいかない。ハロルドなら優しく諭してくれるだろう。


「元気になったのはいいことなんだけどなあ……」


 ため息をつきながら着替えを再開する。


 革靴の上からサバトンという鉄靴を履き、脛当てと腿当てを身につける。日頃丁寧に手入れしている成果か、つやつやに磨かれた鋼板には顔の闇が映り込んでいる。


 兜を被ると現れる青白い目も、感情が昂ったときに流れる涙も、社会にうまく溶け込むために生まれたという。デュラハンがこの世に誕生して約一千年。このまま他種族との交流が進めば、いつの日か個性豊かな顔もできるのだろうか。


 銅鎧、腕鎧の次は縁が大きく後ろに伸びた兜を被り、顎当てをつける。リリアナのように面頬は上げない。訓練中、教え子たちに視線を読ませないためだ。


 最初は全て身につけるまでそれなりの時間がかかったものだが、今では十分もあれば着られる。デュラハン用に作られているとはいえ、慣れとは怖いものである。


 腰に剣を佩き、壁の鏡で全身をチェックする。


 全体的に細身の造形も、兜の両側に付けた角の装飾もラドクリフのお気に入りだ。シュトライザー工房の鎧兜は相場より若干高いが、その分、質もセンスもいい。マルグリテ家はクリフがグリムバルドに店を構えてからの馴染みである。その弟子のアルティも得意客のラドクリフには敬意を払ってくれている。しかし――。


「姪っ子は渡さないからね」


 額に飾られた写真を睨んで唸るように呟く。そこにはエスメラルダに腕を引かれて眉を下げるアルティの姿が写っていた。鎧着装の儀のときに撮った家族写真だ。同じものをエスメラルダも部屋に飾っている。


 それだけなら微笑ましいの一言で済むが、許せないのは、たまに写真を見上げてはうっとりとため息をつくことだ。


 まだ五歳とはいえ、立派な女の子である。自分を救ってくれた年上の男に恋心を抱いてしまうのはわからなくもない。ラドクリフの目から見ても、アルティはいい男だと思う。少々根を詰めすぎるきらいはあるが、仕事にはひたむきだし、何より女性に優しい。


 だが、エスメラルダにはもっと将来性があって、家格が釣り合う相手をと思っていただけに、納得できない気持ちの方が大きかった。せめてアルティがラドクリフを倒せるくらい強かったらよかったのに。


「昔はお兄さまのお嫁さんになるって言ってたのにな……」


 切ない気持ちで食堂に向かうと、ハロルドがコーヒー片手に新聞を読んでいた。周りに他の家族の姿はない。


「あれ、エミィは? 義兄さんのところに行ったと思ってたんだけど」

「……パパなんて知らないと言われてしまってね。今はマリアと庭を散歩しているよ。『早く体力をつけて、ママやリリアナおねえさまみたいに強くなるの!』だそうだ」


 きっと一人で職人街に行けるようになるためだろう。姪っ子の涙ぐましい努力にため息をつき、ハロルドの対面に座る。


「これが反抗期ってやつなのかなあ」

「いや、今まで我慢していた反動がきたんだろうね。体が元気になって、どんどんやりたいことが出てきたんじゃないかな。もう少ししたら落ち着くと思うよ」


 本当だろうか。マルグリテ家一の暴れん坊だったマリアの娘だ。このまま母親に似ていく可能性もあるかもしれない。


 そうこぼすと、ハロルドは楽しそうに笑った。


「それならそれでいいよ。マリアみたいに周りを明るく照らす太陽になってくれれば」

「姉さんのことそう言えるの、義兄さんぐらいだよ」


 給仕が運んできた朝食をとりながら、ハロルドの新聞に目を向ける。そこにはセレネス鉱石と名付けられたばかりの新鉱物の規制について書かれていた。


「ハウルズ製鉄所が開発した貴族向けの合金、使用は許可制にしたんだ。一般向けも全身には使えないって?」

「さすがに強力すぎるからね。聖属性の鉱石は貴重な資源だし、ルクセン側も承知の上だよ。第二のラグドールを産んでもいけないしね」


 無闇に流通させて各国のパワーバランスが崩れるのを恐れたのだろう。規制が入る前にエスメラルダのティアラを手に入れられたのは僥倖というべきか。


「リリィが悔しがるだろうなあ……」

「リリィってリヒトシュタイン嬢のこと?」


 新聞を机に置いたハロルドが首を傾げる。彼は婿養子なので、リヒトシュタイン家とマルグリテ家の関係について深く知らない。


 ラドクリフはリリアナが幼馴染であることと、新鉱物を鎧に使いたがっていたこと、そして、マリアの元部下だということも説明した。


「ああ、道理でマリアがはしゃいでいたわけだ。『これでようやく堂々と妹扱いできるわ!』って」

「いや、別にまた婚約者に戻ったわけじゃないから……」


 こんなことを言うと怒られそうだが、リリアナへの感情はどちらかといえば男友達に近い。確かに最近綺麗になったとは思う。しかし、ラドクリフの好みは姉とは正反対のお淑やかなタイプなのである。


「その気はないの?」

「ないなあ。もっと静かな人がいいよ」

「私もそう思っていたけどね。案外、人ってわからないものだよ」


 ハロルドはリッカの魔法学校に留学中、ルイに会いにきたマリアに一目惚れされて今に至っている。そのことをルイは今でも後悔している。自分が友人だったために、ハロルドの人生を壊してしまったと。


「やめてって。それより、義兄さんたちはこれからどうするの? 鉱石探しの旅は終わったんでしょ。母さんたちみたいに、貴族会議が終わったらマルグリテ領に戻る?」


 ラドクリフの両親はハロルドたちと旅に出る前は、首都から馬車で一日ほど北にあるマルグリテ領を治めていた。今は家令が代理を務めているはずだ。とはいえ両親たちも歳だし、マリアに権限を譲渡してもおかしくはない。


 しかし、ハロルドは首を横に振った。


「いいや。旅は終わっても新鉱物の採掘は始まったばかりだからね。しばらくはウィンストン領に滞在しようってマリアとも話してる」

「……ひょっとして監視役に任命された? 鉱石を横流しされたら困るもんね」

「はは、まさか。私はただのしがない司祭だよ。ボーナスをたっぷりもらったから、少し羽を伸ばそうとしているだけさ」


 食えない笑みに肩をすくめる。ラスタ側か、ルクセン側か、もしくはその両方からかわからないが頼りにされているらしい。姉の男を見る目は確かだったのかもしれない。


「じゃあ、エミィも連れて行くの? 新鉱物の鉱脈があるんだったら、聖の魔素にも困らないし」

「それなんだけどね……」


 そこで言葉を切り、真剣な目でこちらを見つめる。改まった様子に、ラドクリフの背中も自然と伸びる。


「もうしばらくエミィを預かっていてもらえないかな。来年には初等学校も始まるし、今後のことを考えると、首都にいた方がいいと思うんだ」

「うちはいいけど……。義兄さんたちはそれでいいの? 一人娘でしょ? 姉さんだって口にはしないけど、寂しいんじゃないの?」

「寂しいよ。本音を言うと、連れて行きたいし、片時も離したくない。でも、今はここにいさせてあげたいんだ。引き離すのも可哀想だしね」


 誰と、とは聞かなかった。


 ラドクリフと同じことをハロルドも気づいていたのだ。おそらく母親であるマリアも。


「デュラハンの成長はヒト種よりも早い。短い子供期間を、あの子には伸び伸び過ごしてほしい。……我儘かな」


 黙って首を横に振る。今は幼い子供でも、いつか否応なく一人で歩く日が来る。それまでは守ってやりたいと思うのは親なら自然なことだ。


 二人の間に穏やかな空気が流れたとき、それをぶち壊すような甲高い声が食堂に響いた。


「あら、ラッド。あんたまだいたの」


 マリアだ。喉が渇いたので飲み物を取りに来たという。傍らにエスメラルダの姿はない。まだ庭で走り回っているらしい。元気で何よりなことだ。


「遅刻なんてしたら生徒に示しがつかないでしょ。さっさと行きなさいな」

「わかってるよ。いつまでも子供扱いしないでよね」

「なあに、偉そうな口をきいて。忙しい母さんたちに代わって、誰がここまで育ててやったと思ってるの」


 ぶちぶち言いながらも玄関まで見送ってくれる。そういうところは昔から変わらない。御者が馬車を準備している間、並んで青空を見上げる。


「聞いたよ。義兄さんとウィンストン領に行くんだって?」

「まあね。ラグドールは潰したといえ、北方はまだまだ物騒だから。エミィと離れるのは寂しいけど、ダーリンを一人で行かせるわけにはいかないわ。何が向かってきたとしても、片手で粉砕してやるわよ」


 駐屯地の破壊神と名高かったマリアが共に行けば、ハロルドの身は完全に守られるだろう。マルグリテ家は代々女の方が強い。母親も昔は夫を守るために戦場で暴れ回っていたというし、男に一途なのは血筋なのか。エスメラルダの将来が心配になる。


「エミィもいつか、好きな人のために戦うようになるのかな……」

「そうかもね。私の娘だから。でもねえ、今回は相手が悪いと思うわ」

「相手?」

「だって、戦女神が立ち塞がってるんですもの。アルティくんってのも罪な男よねえ」


 脳裏にコバルトブルーの鎧兜が浮かぶ。


 可愛い姪っ子の初恋は、なかなか前途多難なようだ。

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