9話 司祭の告白
「このたびは娘がご迷惑をおかけいたしまして……」
「いえいえ、こちらこそ……」
お決まりのやりとりを終え、アルティは差し出された紅茶を口に含んだ。目の前では薄茶色の髪と鳶色の瞳をした温和そうな男が、眉をハの字にしてこちらを見つめている。
ここはマルグリテ家の応接間の一角である。
仕事で何度か訪れたことはあるが、相変わらず豪奢な部屋だ。頭上にはいかにも高そうな魔石シャンデリアが吊るされ、マホガニーで統一された家具は今まで紡いできた歴史を声高に主張している。アルティが座っているソファも、手にしたティーカップも、シュトライザー工房では決して買えない金額だろう。
落ち着かない気分のまま、そっと視線を控え室のドアに向ける。あのドアの向こうでは、エスメラルダが母親や祖父母と共に、再納品した鎧兜を身につけているところだった。
「義兄さん。そろそろ本題に入ったら?」
いつもと同じ真っ赤な鎧兜を着たラドクリフが隣に座る男に促した。彼は仲介役として居るものの「さっさと終わらせて姪っ子の晴れ姿を早く見たい」と思っているのは明白だった。
それを察したらしい男が「そうだよね」と覚悟を決めた顔で応える。
「改めてご挨拶いたします。私はハロルド・マルグリテ。マルグリテ家の婿養子で、エスメラルダの父親。そしてエルネア教団の司祭です。このたびは娘を救っていただき、誠にありがとうございました」
深々と頭を下げられていたたまれない気持ちになる。
結果的には救ったのかもしれないが、元はといえばアルティがつまらない名誉欲を出したのが原因である。素直には喜べない。
エスメラルダが倒れてすぐに、マルグリテ家は両親たちに速達を飛ばした。貴族といえども、通信機を保持している家は少ないからだ。
ちょうど首都近郊のマルグリテ領まで戻ってはいたものの、魔物や盗賊に襲われるトラブルが相次ぎ、彼らがようやく愛娘に再会できたのは、エスメラルダが回復した翌日のことだった。そしてその二日後、鎧兜の再納品に訪れたアルティにお礼が言いたいと、こうして引き合わされたのだ。
「まさかエスメラルダが聖属性とは……デュラハンということで、その可能性を最初から除外しておりました。研究者として失格です」
「研究者……? 司祭さまなんですよね?」
ラスタ王国において、エルネア教団の評判はあまりよくない。ラスタ国民は精霊信仰に重きを置いていることもあるが、権力を傘にきて好き放題していた時代を知っているエルフやドワーフが多くいるからだ。
アルティ自身も、レイから教団の負の部分をよく聞いていたので、ハロルドに会いたいと言われて身構えたのが正直なところだ。
「ラスタ王国の方には俄に信じられない話かもしれませんが……」
そこで言葉を切り、ハロルドは寂しそうに微笑んだ。
「百年……と少し前ですね。当時の塔の聖女さまと聖騎士さまによって腐敗は一掃され、教団は徹底的に浄化されました。聖職者の衣をまとってはいますが、今の我々は歴史と魔法を探究することに重きを置いた研究者集団なのです」
机の上の箱に手を伸ばしたハロルドが、「こちらをご覧ください」と蓋を開ける。
中に入っていたのは金属製の長方形の板だった。しかし、文字が書いているわけでもなく、ただつるんとした表面をこちらに見せている。
手に取って観察したい気持ちに駆られたが、下手に触っていいものではなさそうなのでぐっとこらえる。
「これって、一体何なんですか?」
「わかりません。おそらく上層部でも正しく知るものはいないでしょう。言い伝えによると、エルネア女神さまが降臨なされた頃のもの――つまり古代文明の代物だそうです。強い聖属性を帯びた鉱石から作られているため、我々は聖遺物と呼んでいます」
「もしかして、あの神殿にあったのと……」
「そう。同じ鉱石です。そしてこれは現在、聖女さまを判別するために使われています」
思わず息を飲んだ。
ハロルドの言うことが本当なら、教団は聖属性と魔属性が精神エネルギーではないと知っていたことになるからだ。
顔を青ざめるアルティに気づいたハロルドが、「ご心配なく」と優しく続ける。
「この件で教団があなたに害を加えることはありません。今までも聖属性と魔属性の力の元は魔素ではないかと主張された方はいました。現に公表寸前までいったこともあるようです。しかし、結局差し控えられました。モルガン戦争が起こったからです」
モルガン戦争では同盟国であるルクセン帝国も参戦している。
「あの戦争で魔属性は圧倒的な力を示しました。もし力の元が魔素なのだと広まったら、人為的に魔属性を得ようとするものが出ると危惧したのです」
それ故に当時の教団の上層部をはじめ、ルクセン、ラスタの魔法学に身を置く研究者たちの総意のもと、研究の打ち切りと隠蔽を決断したそうだ。
レイが知らなかったのは、まだ学生だったからだろう。この事実を知れば悔しがるに違いない。
「それを今、俺に話してくださったということは……」
「百年が経って、ルクセン帝国もこの国も様変わりしました。ラグドールの脅威も去りましたし、そろそろ解禁してもいいだろうと、上の判断です」
その言葉を聞いてほっとした。聞いてはいけない話を聞いて監禁される心配はなさそうだ。
「ついでに申し上げますと、私がこの国に派遣されたのは、聖属性を帯びる鉱石を探すためです。女神さまがご降臨されて一千年……聖遺物に宿る魔素も徐々に抜けているものですから」
「なるほど……」
鉱石が含む魔素は長持ちするとはいえ、補填せずに消費していくといずれただの石くれに戻ってしまう。一千年持つところを見ると、聖属性の鉱石は他属性を遥かに凌ぐ魔素量を含んでいるのだろう。
「まさかグロッケン山に眠っているとは思いませんでしたけどね。その上、古代文明の遺跡までこんなに身近に……。本部に面目が立ちません」
頭を掻くハロルドの笑みは、エスメラルダの優しげな雰囲気によく似ていた。
「でも、どうして今まで誰にも気づかれなかったんでしょう。暗闇で光るのは他属性の鉱石にもありますけど、聖属性持ちが触ればすぐにわかりますよね。ラスタには少ないですが、ルクセン帝国にはそれなりにいると聞きます。ハロルドさまもそうなんでしょう?」
「はあ、お恥ずかしいことに……」
驚くことに、ハロルドも聖属性持ちだった。おそらくエスメラルダは遺伝なのだろう。だからこそ余計に「娘の苦しみに気づかなかったなんて」と後悔しているわけだが。
「聖属性持ちといえど、私の魔力は閾値ギリギリなのです。見てください」
箱の中の聖遺物に触れる。しかし、まったく光らなかった。
「同属性の鉱石を触ると発光するのは、体内の魔力……すなわち取り込んだ魔素に反応しているからです。これは閾値に達してさえいれば、量に関わらず同じ結果を示します。しかし、聖属性に限ってはそうじゃない。属性耐性があるために、生半可な魔力では光らないのです。光るのは魔属性を浄化するときと、鉱石に含まれる魔素量を超えるほどの魔力を持つものが触ったとき。つまり――」
「エミィちゃんは聖属性の魔力が規格外に多いということですか?」
「そうです。ここまでの魔力を持つものはルクセン帝国にもほぼいません。それこそ塔の聖女さまぐらいです」
「……ん? だとすると、矛盾しませんか? それほどの魔力を持つのに、どうして魔素欠乏症にかかるんです?」
「デュラハンは闇と魔属性から発生した種族なのはご存知ですよね?」
黙って頷く。依頼を受けたときにラドクリフからも聞いた。
「相反する属性を宿したわけです。他の聖属性持ちに比べて消費量が多いんでしょう。おそらく一度に魔素を摂取できる量も少ない。だから枯渇しやすいんだと思います」
そこでふうと息をつき、ハロルドは「神殿が見つかったことは僥倖でした」と続けた。
「あの子は賢い子ですが、いかんせんまだ幼い。魔力をコントロールできるまでは、定期的に魔素を摂取する必要があります。あの神殿はうってつけの場所でしょう。あれだけ聖の魔素で満たされているところもそうありません」
「そういえば、聖や魔の魔素ってどんなところに発生するんですか?」
「……エルネア教の教義に、掃除は床に顔が映るまでやれっていうものがありましてね」
話が見えなくて黙っているアルティに、ハロルドが厳かな声で続ける。
「おそらく、先人は経験則でわかっていたのでしょう。清らかな場所には聖の魔素が発生しやすいと。それとは逆に、処刑場や墓場などに無闇に立ち寄るなという警告は魔の魔素から身を守るためなのだと」
「それって、つまり……?」
「ああいうところって、なんだか嫌な気配がしませんか? よく言いますよね。心霊スポットで寒気がしたとか。逆にパワースポットだと、なんだか元気になる気がするとか」
ハロルドが言わんとしていることを悟ってアルティは頭を抱えた。仮説が当たっていたのは嬉しいのだが、今まで希少だと信じていたものが、こんな身近にあふれていたと思うと複雑な気分だ。
「この一千年の間、同じ議論が起こっては立ち消えていたのは、そのせいもあるかも知れませんね。その……神秘性が薄れるものですから」
部屋に沈黙が降りたとき、控え室のドアが開いた。中から出てきたのは全身を濃い紫色の鎧兜で覆った女性体のデュラハン――エスメラルダの母親マリアだった。
リリアナが駐屯地の破壊神と呼称していた通り、男性体のデュラハンに匹敵するほど体格に恵まれている。ラドクリフが言うには、性格も破壊神そのものらしい。
「ダーリン! まだ話終わらないの? エミィの準備はとっくにできてるわよ!」
「ああ、ごめんごめん。今すぐ行くよ」
立ち上がったハロルドに続いて控え室のドアをくぐる。
その先に待っていたものを見て、アルティは思わず涙ぐんだ。
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