8話 走れ職人

 薄暗い森の中を全力で走る。周りに響くのはねぐらに帰る鳥の声と、アルティたちが踏みしめる草の音だけだ。


「本当に回復するんだろうね⁉︎」

「します! 俺についてきてください!」


 とは言うものの、デュラハンの脚力にかなうわけもない。


 エスメラルダを背負っていてもなお、ラドクリフの方が速かった。その上、結構な距離を走っているのに息一つ乱していない。こっちはもう息も絶え絶えなのに。


 それでも必死に走っているうちに、目的の場所に到着した。煌々と篝火を焚いた古びた扉の両端で佇むデュラハンたちが、ぎょっとした目でこちらを見ている。


「マ、マルグリテ教官……? 一体どうしたんですか。今日はもう見学時間は終わりですけど……」


 ラドクリフの元教え子らしい。声が微かに震えているところを見ると、相当しごかれたに違いない。


「ごめん。緊急事態なんだ。ちょっと通してくれる?」

「え? だ、駄目です! 駄目ですってば!」


 交差した槍の隙間を強引に抜け、ラドクリフが中に駆け込んでいく。悲鳴まじりに「連隊長呼んでこい!」と叫ぶ声を背に、アルティもあとに続く。


 中はパドマが言った通り煌びやかな空間だった。天井のシャンデリアに灯された蝋燭の明かりが、真っ白い壁に反射して厳かな雰囲気を放っている。


 屋内の割に火の勢いが強い。左右の壁沿いに設置された燭台の蝋燭も同様だ。それを見て、アルティは自分の仮説が正しかったことを確信した。


 部屋の中心で佇むラドクリフに近寄り、エスメラルダを背から下ろしてもらう。屋敷から連れ出して以降、身じろぎひとつしていない。魔力が枯渇しかかっているのだ。もうそんな気力もないのだろう。


「エミィちゃん、目を開けて。ここがどこだかわかる?」

「……パパのきょうかい?」


 うっすらと目を開けてあたりを見渡す姿は昨日よりも弱々しかった。顔の闇もますます薄くなっている。その様子に胸を痛めながら、首を横に振る。


「似てるけど違うんだ。でも、安心して。もうすぐ楽になるからね」

「アルティ君、一体どうするつもりなの?」

「この部屋の中にある火を全部消してください!」


 訝しげな目を向けるラドクリフに言い捨て、立入禁止区域を示すロープを乗り越える。


 手にした神像はずっしりと重かった。エスメラルダと同じぐらいの大きさだ。油断すると背骨が折れそうになる。それを見かねたラドクリフが神像を引き受けて床に置き、「火を消せばいいんだね」と念を押すように言った。


「危ないから、この神像の周りから離れないで」

「はい!」


 エスメラルダを抱いたアルティが神像に近寄ったのを確認して、ラドクリフが右手を横に薙ぐ動作をした。ふっと息で吹き消したように全ての明かりが消え、部屋の中が闇に包まれる。


「きれい……」


 アルティの腕の中から小さな歓喜の声が漏れた。


 目の前の神像や頭上のシャンデリア、そして赤い絨毯に縫い込められた銀糸からほのかに発する白い光が、エスメラルダの頬をあえかに照らしている。まるで夜空の中に放り込まれたような光景に、隣で立つラドクリフが息を飲んだ。


「エミィちゃん。この神像に触れてごらん。できればその……手袋を外した方がいいかな」

「え……? お手手出すの……?」


 デュラハンにとって、素肌を晒すことは裸を晒すことに等しい。エスメラルダは一瞬躊躇したが、すぐに手袋を外すと、その白くて細い指を神像に伸ばした。


 次の瞬間、周囲に眩い閃光が走り、アルティたちを包み込んで弾けるように消えた。


「何、今の……」

「ラドクリフさま、確認したいことは終わったので、もう火をつけてもらって大丈夫ですよ。いつもより弱いぐらいの魔力でお願いします」


 傍らで、ラドクリフが腕を動かす気配がする。


 まず最初に左右の燭台に火がつき、次に頭上のシャンデリアが本来の明るさを取り戻したとき、アルティとラドクリフの二人が目にしたのは、頭上を振り仰いで立つエスメラルダの姿だった。


 成功だ。顔の闇も、さっきとは比べものにならないぐらい濃くなっている。


「エミィ!」

「ラッドおにいさま……。アルティ……」

「よく頑張ったね、エミィちゃん」

「ああ、顔色がよくなってる……! 本当に回復したのか……!」


 エスメラルダを抱きしめて頬擦りしたラドクリフが、震える声で「どういうこと?」と問いかけた。


「悪いんだけど、一から説明してくれる? 突然屋敷に飛び込んできて『メルクス森のパワースポットに行く!』って言われたきり何も聞いてないんだけど。なんでこの神像を触った途端に元気になったの?」

「それは……」


 目の前にある神像には予想通り黒ずみができている。どんな神をかたどっているものなのかはわからないが、役目を終えたその顔はとても穏やかに見えた。


「エミィちゃんの属性は、聖属性なんです。この神像も、周りにある燭台やシャンデリアも、聖属性の鉱石でできているんですよ」

「聖属性……? そんなわけないよ。だって……」


 言い募るラドクリフを片手で制して、作業着のポケットに入れていた新鉱物を取り出した。職人街で魔属性に取り憑かれた男にぶつけたものだ。それをエスメラルダに手渡すと、さっきと同じく、真白い光があたりに走って消えていった。


「アルティ、これ……」

「資材倉庫でも触ったよね? 師匠がウィンストンからとってきた新鉱物だよ。――あの日からしばらく体調がよかったんですよね?」


 最後の言葉はラドクリフに向けたものだ。彼はまだ事情が飲み込めていない様子だったが、真剣なアルティの眼差しに小さく頷いた。


「前提が間違っていたんです。聖属性も魔属性も、力の元は魔素なんだ。魔素を取り込むことで精神状態がよくなったり、悪化したりするんですよ。今まで感情エネルギーとされていたのは、属性を帯びた鉱石が発見されなかったからです」


 魔素の存在を人類が知ることができたのは、火属性のイフリート鉱石を発見したからだ。熱源がないのに熱くて火がつく不思議な石の正体に気づかないままだったら、今の魔法技術は存在しなかったに違いない。


「……この神殿を作った誰かは聖の魔素があるってことも、鉱石が存在するってことも知っていたっていうの?」

「確信はありませんけど、おそらく」


 塔の聖女を有するエルネア教団も知らない事実だ。エルネア教が興る以前の建物の可能性が高い。いや、もしくは知っているが隠蔽している可能性もある。その方が女神や聖女の神聖性が増すからだ。


 どちらにせよ、今のアルティには知る由もない。わかっているのは、聖属性の特性が結界、他属性の効果増幅、魔属性の浄化、そして精神の安定化ということだけだ。


 属性を弾くのは結界の一種。空気が澄んでいるように感じたのも、パワースポットを訪れたパドマがやる気になったのも、聖の魔素に触れて精神が安定したからだ。新鉱物の黒ずみは魔素を吸収して消費した結果だろう。


 魔属性に取り憑かれた男の赤目が消えたのは、聖属性によって浄化されたからに他ならない。エスメラルダが魔素欠乏症にかかったのも、リベットの火属性の効果を無意識に高め、急激に魔力を消費したからである。


「エミィちゃんと初めて会ったとき、そばにいるだけで、なんだか心が癒されるような気がしました。もちろん、いい子で可愛いっていうのもあるんでしょうけど……」

「聖属性の効果が出ていたかもしれないのか……」

「ラッドおにいさま、ごめんなさい。ずっと、しんどいの黙ってて……」


 その声はいつものようにか細いものではない。顔の闇に浮かぶ青白い光にも力がある。


 エスメラルダはアルティに目を細めると、逞しいラドクリフの腕をすり抜け、こちらに見せつけるように大きく両手を広げた。


「でも、今はすごく体が軽いの! まるで背中に羽が生えたみたい!」


 はしゃぐエスメラルダに呼応して蝋燭の炎がゆらめく。


 鮮やかな火の粉が舞い散る中、頭上から降り注ぐ明かりを一身に浴びるその姿は、まるで宗教画みたいに神秘的だった。


「……エルネア教の信者はさあ、こういうのを見て『聖女さま』って言うんだろうね」

「同感です」


 お互い涙声で笑みを漏らしたとき、背後から地を這うような声が響いた。


「何やってんだお前らーっ!」


 リリアナである。入り口に立っていた衛兵に呼び出されたのだろう。いつも上げている面頬は全て下ろされ、右手には抜き身の剣を下げている。完全に戦闘体制だ。


「……ラドクリフさま、リリアナさんに勝てますか?」

「いや、無理。子供の頃だって、一回も勝てたことなかったもん」


 早々に戦意を手放すラドクリフの隣で、アルティは両手を上げて叫んだ。


「お許しください! リヒトシュタイン家の戦女神さま!」

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