7話 魔が転じて聖となす

 太陽の光が眩しい。


 淀んだ目で空を見上げながら、アルティは職人街の中を一人さまよっていた。


 特に目的地があるわけじゃない。仕事が手につかず「邪魔じゃ!」と工房を追い出されたのだ。奉公に出されて七年間。どんなに辛くても金槌を置いた日はなかったのに。


 理由はわかっている。エスメラルダが苦しむ姿が頭から離れないのだ。リベットを火属性にしなければ今も元気だったかもしれないと思うと、とても平静ではいられなかった。


「ああ、もう! なんで、俺……!」


 その場に立ち止まって頭を抱える。近くを歩いていた職人たちが首を傾げて通り過ぎるのを横目に、アルティは深いため息をついた。


 嘆いては、落ち込む。それを昨日からずっと繰り返している。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。この間にもエスメラルダの生命力は失われていく。


 悩んでいる暇があるのなら、事態の解決に向けて動くべきだ。リリアナのときもそうだった。たとえどんなに絶望的な状況に置かれても、特別な力を持たないアルティにできることは、諦めずに前を向き続けることだけだ。


「要は魔力を補填できればいいんだよな……」


 そのためには属性を特定する必要がある。


 属性測定器が反応しなかった以上、考えられるのは聖属性か魔属性だ。しかし、この二つの属性には魔素が存在しない。精神魔法と呼称されるように、精神の安定、もしくは激しい怒りや憎しみが魔力を生むのだ。故に他属性の影響も受けにくく、火属性――それもあんなリベット程度の微かな属性など歯牙にもかけないだろう。


 となると、やはりまったく新しい属性なのだろうか。


 火属性に弱く、氷でも木でもないとすると、雪、綿、虫――いや、違う。雪は氷属性だし、綿は木属性、そして虫は魔素じゃない。


「せめてヒントでもあれば……」


 何か気になったことはないか。どんな些細なことでもいい。この二週間でエスメラルダの身に起こった何か――。


「……くん。アルティくん!」


 大きく肩を揺すられ、ハッと我に返る。同時にざわざわと賑やかな職人たちの声が耳に入ってきた。


 目の前で焦茶色の癖っ毛が風に靡いている。ハウルズ製鉄所の錬金術師、パドマだ。


 パドマは心配そうにアルティの顔を覗き込むと、周囲の邪魔にならないようさりげなく道の端に連れて行ってくれた。


「どうしたの、道の真ん中で腕なんか組んじゃって。それに、その顔……徹夜でもしたの? ひどいクマだよ」

「ちょっと仕事で根を詰めちゃって……」


 曖昧に笑って誤魔化す。とても正直には言えない。


「頑張りすぎは駄目だよ! たまには息抜きしなきゃ! メルクス森のパワースポットでも行ってきたら? 私もこないだ行ってきたんだー。結構よかったよ」

「え? 行ってきたの?」

「うん。別にパワースポットとか信じてなかったんだけど、私も合金の開発で行き詰まっててさー。気分を変えようと思って試しに行ってみたの。そしたら、なんだかやる気が出たんだよね。嫌な気持ちがスーッと消えていくっていうかさ……。確かに空気も澄んでたし、パワースポットって言われる意味がわかったかも!」

「へえ……」


 ここまで熱弁されると少し興味が湧いてくる。今は藁にも縋りたい気分だ。もし何かひらめきが得られるのなら、行ってみるのもいいかもしれない。


「中はどんな感じなの?」

「うーんとね。そんなに広くないの。片田舎にあるエルネア教の礼拝堂ぐらいかな。長方形というか……奥に長いタイプのやつ」


 おそらくシュトライザー工房と同じくらいか、やや広いぐらいだろう。エルネア教団は金持ちなので、片田舎の礼拝堂といえども庶民の家よりは大きい。


「保存のために観光客が入れるところは制限されてるんだけど、全体的に銀を使ってるみたいで、すごく煌びやかだったよ。左右には銀の燭台や何かの神像が飾られてたし、奥の説教台に続く床の赤い絨毯にも銀糸が使われてた。それと、天井からも銀のシャンデリアが下がってたかな。あれを建てた人はよっぽど銀が好きだったんだねー」

「全部銀製? 珍しいね」

「手に取れたわけじゃないから確実じゃないけど……硫化してちょっと黒ずんでたとこがあったし、銀だと思う」


 金属のエキスパートが言うならそうなのだろう。ラスタ王国では真鍮が使われることが多いので、銀製の装飾に囲まれる機会はあまりない。さらに興味が湧く。


「行ってみようかな……」

「いいと思うよ! 本当に頭スッキリするし。そのおかげでね……」


 うふふ、と笑みを漏らしたパドマがショルダーバッグから細長い金属の塊を取り出した。


「じゃーん! 完成したよ! 新鉱物の合金!」

「えっ⁉︎」

「ストロディウム鋼と合わせたから銀っぽさは薄れてるけど、その分コークスでも溶けるようになったし、加工しやすくなったよ! 見比べてみて!」


 そう言って、もう一つ取り出したのは見慣れた白銀色の塊だった。パドマに促されるまま、右手に乗せられた新鉱物と、左手に乗せられた合金をしげしげと眺める。


 新鉱物は白銀色をしているのに対し、合金は淡い鼠色をしている。重さもやや合金の方が重い。だが、その光沢はストロディウム鋼が混じっているとは思えないぐらい眩かった。日にかざすときらきらと輝く。装飾品にしても十分映えるだろう。


「凄いね、まだそんなに経ってないのに。これ、属性耐性はどうなってるの? ドラゴニュートの火炎じゃなくても溶けるってことは、少し落ちてるんだよね?」

「まあね。一般向けとして開発したから無効とはいかないわ。でも、中級程度の属性魔法までは余裕で弾けるよ。レイさんとおじいちゃんが使用試験したし」


 パドマの祖父であるガンツは、製鉄所を興すまではダンジョンの探索や魔物の駆除を生業とする探索者シーカーだった。つまりは魔法にも長けている。エルフであり、魔法紋師であるレイは言うまでもない。そんな彼らが試したのなら確かだろう。


「今は貴族向けに新鉱物の配分を増やした合金を作ってるの。でも、アルティくんから買ったやつ全部使い切っちゃってさあ。もうこの一個しかないの。また仕入れてこなきゃいけないんだけど、おかげで製品化の目処もついたし、これぞ『魔が転じて聖となす!』でしょ?」


 魔が転じて聖となす、とは悪いことが起きてもそれを利用して良いことに変えるという意味のことわざだ。微妙に使いどころが違う気がする。


「それでね! この合金で何か作ってみてもらえないかな。職人さんの意見も聞きたくてさ。ちょうどシュトライザー工房に行くところだったの」

「え? いいの? じゃあ……」


 最後まで言えなかった。言葉をかき消すように、背後で爆音が轟いたからだ。


「……くん……!」


 パドマが何か叫んだような気がするが、ひどい耳鳴りと周囲に立ち込める土煙で状況が掴めない。


 誰かが風の魔法を使ったらしい。徐々に晴れてくる視界の先に現れたのは、瓦礫と化した建物と、地面に転がる看板の残骸、そして驚愕と憤怒の表情を浮かべた職人たちの姿だった。みんな手に手に武器や金槌を持って、怒声を張り上げている。


 その中心――ちょうどアルティの直線上でゆらりと佇むのは、両目が真っ赤に染まったヒト種の男だ。獣のように唸りながら口元から涎を垂らし、視線はあらぬ方向を向いている。明らかに普通じゃない。


「逃げろアンタら! そいつ、魔属性に取り憑かれてる! 酒を飲んでて、急に暴れ出したんだ!」


 刺股を持った竜人リザードマンが、男の至近距離にいるアルティとパドマに叫んだ。塔の聖女の結界は魔属性を弾くのではなく、魔物を弾くように調整されている。首都の外にいるよりも取り憑かれにくいとはいえ、こういうことは多々起きる。


 男を刺激しないようにゆっくり後ろに下がったとき、踵に何かがぶつかった。パドマだ。真っ青な顔で地面に座り込み、がくがくと震えている。


「あ、あ、あたし……腰が抜けて……。アルティだけでも逃げて!」


 甲高い叫び声に反応したらしい。こちらに視線を定めた男が飛びかかってきた。咄嗟に右手の白銀色の塊を投げつける。日頃金槌を振るっている成果があったのか、新鉱物は真っ直ぐに男の額目がけて向かっていき、鈍い音を立てた。その瞬間――。


「うわっ」


 周囲に激しい光が炸裂した。まるで閃光弾を放ったようだ。くらくらする頭を振りながらなんとか目を開くと、地面に組み伏せられた男の姿が見えた。


 騒ぎを聞きつけたのだろう。遠くから警備隊が駆けつけてくる足音も聞こえる。これでもう安心だ。流れ出る汗を拭い、ほっと息をつく。


「パドマ、大丈夫?」

「ありがとうアルティ……。ごめん……足手まといになって……」


 震えるパドマの手を引いて立たせ、服についた埃を払う。強く握りしめていた左の手のひらには、くっきりと合金の跡がついていた。


「すごい光だったね。誰かが光の魔法を使ってくれたのかな」

「ううん。あいつに当たった瞬間、新鉱物から出たみたいに見えたよ」

「え? そんな特性あったっけ」


 暗闇でうっすら光ってはいたが、金槌で叩いてもあんな光は出なかったのに。


「あれ? 赤目じゃなくなってるぞ」

「本当だ。石ぶつけられて正気に戻ったんじゃね?」


 縄を打たれて引っ立てられていく男の足元に新鉱物が転がっている。気をつけながらそっと拾い上げると、一部がまるで硫化した銀のように黒ずんでいた。


 それを見た刹那、アルティの脳裏に光が瞬いた。


「パドマ!」

「きゃっ、なに、アルティ」


 急に詰め寄ったアルティに、パドマが頬を赤らめて微かに後ずさった。


「シュトライザー工房の資材倉庫にまだ少し新鉱物が残ってるんだ。それで貴族用の合金を作ってもらうことはできる⁉︎」

「え、で、できるけど……」

「悪いけど今すぐほしいんだ! 工房に師匠がいるから、これを見せて運んでもらって! きっとホイホイついていくから!」


 合金を渡し、瓦礫が散らばった石畳の上を駆ける。呼び止めるパドマの声は、もう耳に入らなかった。

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