4話 革鎧を作ろう

 革鎧は金属鎧よりも加工が容易だ。炉に火を入れなくていいし、曲げに金槌を使う必要もない。


 ただ手順は多い。型紙をもとに裁断した革の裏面と角を処理し、縫い穴を開け、カービング――彫刻のように模様を刻む作業のあとで染色して縫製。仕上げにワックスで煮込んで布で磨く。その合間にベルトやリベットなどの小物も用意しなくてはならない。


 裏面と角の処理は終えたので、今は木槌と、菱目打ちというフォークみたいな工具を使って縫い穴を開けているところだ。小物ならともかく、全身を覆う鎧兜ともなると気が遠くなる作業だが、完成させるにはやるしかない。


「それ、全部にするの……?」

「そうだよ。そのままじゃ縫いにくいからね」


 作業台でちまちまと穴を開け続けるアルティの隣で、パイプ椅子にちょこんと座ったエスメラルダが「職人さんってすごいね」と褒めてくれる。


 作業を始めてから五日。暇を見つけては顔を合わせるうちに少しは打ち解けてきた。口調もかしこまったものから、ややくだけたものになっている。


 いつもは進捗報告がてら屋敷に行っていたのだが、今日はラドクリフもラドクリフの兄も王城からの戻りが遅くなるらしく、ラドクリフたっての願いで一時的に工房預かりとなっていた。


 お供は熊のぬいぐるみ一匹だけ。姪とはいえ伯爵家のご令嬢なのに大丈夫なのかと思わなくもないが、人に気を遣いがちなエスメラルダにはその方が気楽なのだそうだ。それだけ信頼されていると捉えておこう。


「アルティー! いるか? 差し入れ持ってきたぞ」


 こちらが返答する前にリリアナが工房に顔を出した。手には紙袋を持ち、兜の面頬は全て額に上げられている。どうやら開放的なのが好きらしく、凱旋式以降、面頬を下ろした姿を見ていない。


「リリアナさん、仕事は……?」

「いつも通り昼休憩中だ! 何かあれば呼び出しがかかるから心配するな」


 そう言われても気が引けてしまう。今の仕事に就いてからというもの、三日もおかずに工房に通っている。こんなに責任者が席を外していいのだろうか。


「そんな目で見るなって。いいんだよ。職人街は他の地区と比べて荒くれものが多いからな。私がこうしてうろついているだけでも抑止力になる。それに、連隊長といえども私の仕事は書類の決裁がメインで、実務はオイゲンが回しているから」


 オイゲンとは治安維持連隊の副連隊長で、もともと警備隊長を務めていたベテランらしい。平民出身のヒト種だが、士官学校時代のトリスタン――リリアナの父親の後輩だったらしく、いろいろ便宜を図ってくれるのだそうだ。


「まあ、今日来たのはラッドから『姪っ子の様子を見に行ってくれ』って頼まれたからなんだよな。もしアルティがよからぬことをしてたらぶっ殺してくれってさ」


 信頼されてはいなかったようだ。頬が引き攣るのを感じながら、リリアナが差し出す紙袋を受け取る。中に入っていたのは、夏に二人で行ったカフェのサンドイッチとフルーツタルトだった。


「リリアナおねえさま、ありがとうございます……」


 ちょこんと頭を下げる姿が愛らしくて、大人たちの目尻が下がる。


 今日は天気もいいし、アルティが淹れた紅茶と共に、中庭で三人並んで昼食を取ることにした。


 近所の職人連中の姿は見えない。子供がいるので遠慮しているのかもしれない。エスメラルダからすれば、筋骨隆々のおっさんたちなんてただ怖いだけだろうから。


「だいぶ暑さも和らいだなあ」

「もう九月ですもんね」


 頬を撫でるのはすっかり秋の風だ。エスメラルダの体に障らないかと一瞬心配になったが、彼女はリリアナとアルティに挟まれて、ご機嫌でフォークを顔の闇に運んでいた。


「あの姉上の子供がこんなに可愛いなんてなあ」


 フルーツタルトを頬張りながら、リリアナがしみじみと頷く。


「ご存じなんですか?」

「ああ、私が女だと知っていた上官の一人だよ。最初の数年間はずっと一緒だった。ある日突然『結婚退職する!』って言われて驚いたけど……。五等級……大隊長クラスに昇級して個室に移動になるまで面倒見てもらったかな」

「あ、ずっと大部屋ってわけではなかったんですね……」


 いくらリリアナが強いとはいえ、むさ苦しい男たちに囲まれて心が休まるはずもない。ほっとするアルティの横で、エスメラルダの目が輝いた。


「ママ……?」

「そうだよ。とても強くて格好よかったぞ。駐屯地の戦女神さまって呼ばれていたし……」


 微妙に言い淀む姿にピンときた。


 紅茶を飲むエスメラルダの背後に身を乗り出すと、同じく身を乗り出したリリアナがそっと囁いた。


「本当は破壊神って呼ばれてた……」


 その単語だけで全てを察して、話題を変える。


「エミィちゃんのパパはヒト種なんだっけ?」

「うん。あまり会えないけど、とても優しいの……。アルティとちょっと似てる……」


 遠回しに褒められて照れくさくなる。娘がいる父親はみんなこの幸せを噛み締めているのだろうか。


(もし結婚できたら、こんな子供がほしいなあ)


 でれでれしているアルティに、リリアナが「しまりのない顔をしやがって……」とぼやいたのは聞こえないふりをする。


「十月になったら戻ってくるんだよね?」

「きぞくかいぎがあるから……。ルイおにいさまだと頼りないっておばあちゃんが……」


 ルイお兄さまとはラドクリフの兄のことで、貴族会議とは毎年十月に行われる定期報告会のことだ。普段は各地に散らばっている領主たちが一同に介して、自領の税収や王国に対する貢献度合いを報告し、より自領に優位な法律を通そうとするらしい。


 ルイは前当主――エスメラルダの祖母から爵位を引き継いだのはいいが、老獪な貴族たちと渡り合うには経験不足のため、そのサポートとして戻ってくるのだという。


「じゃあ、リリアナさんも忙しくなりますね。警備隊の本領発揮でしょう?」

「憂鬱だな……。殺しても死ななそうなやつらが集まってるんだから、警備なんていらないと思わないか?」


 さすがに肯定できないので曖昧に頷いておく。


「その頃には新しい鎧兜をパパとママに見てもらえるね」

「すごく楽しみなの……。わたし、体が弱いからいつも心配させちゃって……。よろいかぶとを着たら、大きくなったねってよろこんでくれるかなあ……?」

「喜んでもらえるような鎧兜を作るね……!」


 両親に鎧兜を披露するエスメラルダの姿を思い浮かべて目頭が熱くなる。ここにレイがいたらさぞかし冷やかされているだろう。


「作業は順調なのか? 納期が二週間しかないって聞いたけど」

「今のところ予定通りです。装備一式といっても子供用なので小さいし、パーツも肩と関節部分、籠手に脛当てと少ないから何とかなりそうです。次の工程――革に模様を彫り込むのが一番の山場ですかね」


 カービングは気を使うし時間もかかる。特に今回はこれでもかというぐらい細かな図案にしたので、何日か予備日も設けてある。


 見たいとねだられるまま図案を写したトレーシングペーパーを渡すと、リリアナは「可愛い……!」と悶えた。エスメラルダの好みを汲んで、全面に葡萄と鳥の意匠をあしらったものだ。そして鎧の左胸あたりには熊のぬいぐるみを模したイラストを彫り込む予定である。


「これ、熊騎士シリーズだよな。私も子供の頃好きだったよ。いいなあエミィ。こんな素敵な鎧兜が着れて」

「リリアナおねえさまみたいなのがほしかったの……。わたしのあこがれだから……」


 もじもじと恥じらうエスメラルダに、リリアナが「こっちも可愛い……!」と感極まった声を上げる。


「エミィちゃんのぬいぐるみって、熊騎士シリーズの主人公なんだよね。ひょっとして、愛称のエミィって、ぬいぐるみから?」

「うん……。大切なお友達なの……」


 頷いたエスメラルダが、熊のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。


「わたしが自分のなまえをうまく言えなくて悩んでいたら、パパが『なまえを借りよう』って……。だからこの子、今はマーガレットってなまえなの……」


 彼女が好きな『熊騎士シリーズ』は二十年前に発行されたロングセラーの絵本で、月の女神セレネスに命を与えられた熊のぬいぐるみエミィが、勇ましい女騎士となって世界を巡る冒険活劇だ。男女問わずに売れているが、特に女の子に人気らしい。


「アルティは読んだことないのか?」

「俺の家には絵本なんてありませんでしたからね……」


 ぼそっと呟くと、慌てた様子のリリアナがトリスタンから取り返した絵本を貸してくれると約束してくれた。


「頑張れよアルティ。それで私のも早く作ってくれ」

「存じておりますよ。リヒトシュタイン家の戦女神さま」


 明るい日が差し込む中庭に笑い声が弾ける。


 穏やかな時間は、空を流れる雲のようにゆっくりと過ぎていった。

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