2話 可愛らしいお客さま

 パドマと別れて店に戻ると、見慣れたデュラハンがカウンターに座っていた。


「リリアナさん? どうして? 師匠はどこに……」

「昼休憩中でな。鎧の進み具合を見に来たんだ。お師匠さんはトルスキンにコークスを取りに行ったよ。質が良いのが出たらしい。さすがに開けっぱなしはまずいから店番をしていた」

「また⁉︎ ウィンストンから戻ってきたばっかりなのに!」

「自由な師匠を持つと弟子は苦労するな」


 疑問に律儀に答え、リリアナは可笑しそうに笑った。その頭にはアルティが作った兜がしっくりと収まっている。凱旋式後に受注した「兜に合う可愛い鎧」は目下製作中だ。順調にいけば年内には仕上がるだろう。


「それより、どこに行っていたんだ? 若くて可愛い女の子と馬車に乗っていたみたいだが……。まさか恋人じゃ」

「ち、違いますよ! ハウルズ製鉄所に新鉱物を納品しに行ってたんです。彼女はそこの社長のお孫さんですよ。職人街に用があるからって、ついでに乗せてもらったんです」


 剣呑な目を向けられ、やや早口で捲し立てる。どうして弁解しているのかはよくわからない。


「新鉱物ってこれだよな。鎧兜にはまだ使えないのか?」


 リリアナが背後の棚にある白銀色の塊を指さす。客寄せ用に飾っているものだ。


 パドマをはじめ、国中の研究者がこぞって分析しているが、今のところ属性耐性があることと、えげつなく硬いことと、暗闇でほんのり光ることしか判明していない。さすがにこの段階で使用するのは危険である。そもそも加工できないし。


 そう説明すると、リリアナは目に見えてがっかりした。


「特性か……。なんだか周りの空気が澄んでいる気がするけど」

「ちゃんと掃除してるからですよ」


 店をパワースポットにされてはたまらない。苦笑しつつ話題を逸らす。


「そういえば、レイを詐欺師から助けてくれたんですよね。ありがとうございます」

「いや、仕事だからな。お礼なんていいよ。怪我がなくてよかった」


 つい先日、レイの店に恐喝目的の詐欺師が襲来する事件があり、通報を受けたリリアナが捕まえてくれたのだ。


 今やリリアナは首都の治安を守る警備隊、そして消防隊の責任者である。ここで店番なんてさせていい身分ではない。


「今、お茶をお出ししますね」


 カウンターのスイングドアをくぐろうとしたとき、玄関のドアベルが鳴った。


「やあ、久しぶり。最近、忙しかったみたいだね。元気にしてた?」


 片手を挙げて店に入ってきたのは、真っ赤な鎧兜のデュラハンだった。ラドクリフ・マルグリテという名の貴族で、たびたび依頼をくれるお得意様だ。


 彼が今着ている鎧兜もそうである。兜の両側面につけた羊の角状の装飾は記憶に新しい。


「ラッド? ラッドか?」


 カウンターから上がった声に、ラドクリフが首を傾げる。


「リリィ? 何やってるの、こんなところで。仕事中じゃないの?」

「昼休憩中なんだよ。それより、お前こそ仕事中じゃないのか。今は士官学校の教官だっけ? 優雅に外に出る暇なんてないだろ」

「うるさいな。今日は休みなの。九年ぶりに会うのに本当に変わんないね」


 お互いを愛称で呼び、軽口を叩き合う様子を見るに、かなり親しいようだ。


 話に入っていけずに戸惑っていると、ラドクリフが簡潔に説明してくれた。


「置いてきぼりにしてごめんね。俺たち幼馴染で、元婚約者なんだ」

「婚約者⁉︎」

「元だぞ、元! それも子供の頃の話だ。今は何の関係もないからな!」


 隣の領地で同い年。家格にも大して差がなく、母親同士の仲もいいということで、物心つく前から勝手に話を進められていたが、リリアナの母親が亡くなり、リリアナが男として育てられることになったため、婚約の話は一旦白紙に戻ったそうだ。


「リリィが女性体だって公表したから、うちはまた乗り気になってるみたいだけど」

「勘弁してくれ! お前が相手なんて絶対嫌だ!」

「ひっどいなあ。こう見えても俺、モテる方なんだけど」


 わいわいと話す二人を前に、アルティは複雑な思いを抱いていた。ラドクリフが言う通り、女性体として生きると決めたのなら、いつ求婚されてもおかしくはない。


 気さくに接してくれているが、リリアナは大貴族のお嬢さまなのだ。釣り合う家格の子弟たちが、それこそ山のように押し寄せてくるだろう。


(……なんでモヤっとするんだろ?)


 大事な客を取られるのが嫌なのかもしれない。


 鎧を脱いだ妻の姿を見られたくない夫は多い。リリアナも結婚すれば鎧兜の製作は家付きの職人に任せるはずだ。


 リリアナの鎧兜は、これからも自分が作りたい。そう思った瞬間、ドアが静かに開いた。


「……ラッドおにいさま。もう入ってもいい……?」

「あ、ごめんエミィ。いいよ。入っておいで」


 遠慮がちに近づいてきたのは、とても小さなデュラハンだった。


 まだ鎧を着る前の年頃らしい。ふんだんにレースがあしらわれた淡いピンク色のワンピースと帽子を身にまとい、薄手の長手袋をした両手には、騎士の格好をした熊のぬいぐるみが抱き抱えられている。


「ええと、ラドクリフさま。その子は……」

『連隊長ー! もう休憩は終わりですよ! 早く戻ってきてください!』

「ちっ、うるさいやつめ……」


 店の中に響き渡る大声に舌打ちをしたリリアナが、腰のポーチから小型の魔機を取り出した。


 黒い長方形で、網目状の丸い窓から『目を離すとすぐにいなくなるんだから!』と若い男性の愚痴が聞こえる。どうやら通信機らしい。


「すまん、アルティ。そろそろ仕事に戻るよ。鎧、楽しみにしているからな」

「お任せください! 店番をしていただいて、ありがとうございました」


 頭を下げるアルティに、リリアナは手を振りながら去っていった。


「相変わらず忙しないなあ」


 ラドクリフが苦笑する。リリアナの子供の頃の話を聞きたいのは山々だが、今は目の前の子供が最優先だ。緊張しているのか、さっきからラドクリフの後ろに隠れて出てこない。


「あの、ラドクリフさま……。それで、その子は……」

「ああ、ごめんごめん。エミィ、ご挨拶して」


 促された子供が、ラドクリフの太ももの裏からぴょこんと顔を出した。


 どうも人見知りするタイプらしい。顔はこちらを向いているのに、微妙に視線が合わない。


「……エスメラルダ・マルグリテです。よろしくお願いします……」

「俺はアルティです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 腰を屈めて挨拶を返すと、エスメラルダは嬉しそうに目を細めた。


 可愛い。なんだかそばにいるだけで心が癒される気がする。そういえば実家を出たとき、妹たちもこのぐらいの年頃だった。


「可愛らしくて、賢そうなお子さんですね。……まさか、ラドクリフさまの?」

「違う違う。姉の子なんだけど、鎧着装の儀のために一式作ってほしくて」


 鎧着装の儀とはデュラハンの通過儀礼の一つで、初めて鎧兜を着用する子供の成長を親族一同で祝うものだ。ヒト種でいう七五三に近く、属性が確立する五歳前後に行うことが多い。


「この子の両親は今、仕事で国内を回っていてね。マルグリテ家……というか俺と兄で面倒を見てるんだよ」


 エスメラルダの父親はルクセン帝国から派遣されたエルネア教の司祭で、妻であるラドクリフの姉と、義理の両親であるラドクリフの父母を連れて布教の旅に出ているのだそうだ。


 エルネア教は、この世界に文明をもたらしたとされるエルネア女神と、その女神の使いである塔の聖女を崇めるルクセン帝国の国教である。


 女神が実在するかはわからないが、塔の聖女はいる。エルネア教団の塔に住む「聖属性の女性」がそれだ。百年おきに異世界から現れるという逸話はお伽話としても、聖属性のものは結界を張ったり、他属性の効果を高めたり、相反する魔属性を浄化したりできるので、崇拝の対象にしやすいのだろう。


 ただ、元々ラスタはエルネア教団の腐敗を嫌ったものたちがルクセンから移住する形で興った国なので、八百年近く経った今でも布教は進んでいない。モルガン戦争後に塔の聖女に結界を張ってもらったおかげで、昔に比べると嫌悪感も薄れているとは思うが、教えを広めるにはまだまだ苦労するだろう。


「初めての鎧兜……となると、金属ではなく革ですよね?」

「そうだね。できるだけ軽い方がいいな」


 重いと成長を阻害する恐れがあるため、デュラハンは鎧換装の儀――成長期を迎えて金属製の鎧に着替える日までは革鎧を調節しながら、鎧兜を着る生活に慣れていく。


「ご希望の納期はいつですか?」

「急がせて悪いんだけど、二週間でできる? 十月に入ったらこの子の両親と祖父母が首都に戻ってくる予定だから、それまでに間に合わせたいんだ」


 少しきついが、できなくはない。リリアナの鎧は納期をたっぷりもらっているし、今は受注も落ち着いている。それに、子供が初めて着る鎧兜を製作できるのは光栄だ。


「あの……。納期は間に合いそうなんですが、今、師匠が留守にしていて……」


 恐る恐る告げると、ラドクリフは小さく笑って「問題ないよ」と言った。


「君に作ってもらいたくて来たんだ。リリィの兜を見てね。普段わがままなんて言わないこの子が、『着るなら同じ人が作ったのがいい』って譲らないものだから」


 エスメラルダを見ると、彼女は恥ずかしそうにぬいぐるみに顔をうずめた。


 これで奮起しない職人がいるだろうか。カウンターからアンケート用紙を取り出し、アルティは声高に叫んだ。


「お任せください! お嬢さまの鎧兜、シュトライザー工房が承りました!」

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