閑話 魔法紋師の未来予想

 レイの朝は遅い。自他ともに認める低血圧だからだ。魔法学校の寮にいたときも、起床のベルはまるで魔物の咆哮に聞こえたものだ。


 じりりりり、とうるさく鳴り響く目覚まし時計を叩いて止め、よろよろとベッドから這い出る。気合いを入れるために窓を開け放つと、強烈な日の光が差し込んできた。エルフ特有の長い耳をつんざく騒音も。


 外はすでにフル稼働しているようだ。きっとアルティも今ごろ金槌を降るっているだろう。英雄の兜を作り上げた工房として、注文がひっきりなしに来ているようだから。


「まーた無茶しなきゃいいけどねえ……」


 若い友人の姿を思い浮かべながら洗顔と着替えを済ませて店を開け、ポストに差し込まれていた新聞を手に朝食兼昼食とシャレ込む。


 メニューはいつも通りのトーストとベーコンエッグとホットコーヒーだ。エルフは山菜とキノコしか口にしないと思われがちだが、実際は肉だろうが魚だろうがなんでも食べる。そして酒も。


「あー……ちょっと目が覚めてきたかなあ……」


 といいつつも油断すると寝そうになる。こういうとき、個人店のありがたみをひしひしと感じる。


 大体の客は「レイの頭は午前中働かない」と知っているので、忙しくなるのは午後になってからだ。関係なしに突撃してくるのはアルティだけで、この前も「そろそろ相談に来そうだなあ」とピンときたから、わざわざ起きて待っていたのだ。


 未来予知とまではいかないが、エルフは虫の知らせがよく働く。その中でもレイは特に勘のいい方だった。


 モルガン戦争が始まったときもそうだ。「そろそろやばいものが来そうな気がする」と思っていたら、ラグドールの魔王がグロッケン山を越えたと連絡が入り、まだ院生の身分なのに容赦なく戦場に駆り出されてしまった。


 それから学校に戻ることなくグリムバルドに居着いて百年。もうすぐ卒業だったのにもったいないことをしたと思う反面、一人気ままに生きていけるこの生活はレイの性分によく合っていた。好きな魔法紋を研究し放題だし、何よりグリムバルドは人が多いので、長く生きていても常に新たな出会いがあり、多少は寂しさも紛れる。


 すぐに死んでしまうヒト種の友人を作ろうなんて、故郷や魔法学校にいた頃には思いもしなかった。


「お、凱旋式の記事だ。そういや女性体だったんだよね。リリアナ将軍……いや、今は連隊長か。しっかし、さすがリヒトシュタイン侯爵の娘というか……勇ましいねえ」


 新聞の一面にはアルティの兜を被ったリリアナの写真が、センセーショナルな文面とともに大きく掲げられていた。今日から新しい職場に着任するので、特集を組んでいるのだろう。


 写真とは、この新聞の発行元であるトールデン新聞社によって数年前に開発された技術だ。色は一色だが、肖像画よりも詳細に対象を写し取れ、読者に臨場感を与えることができる。


 ちなみに魔法紋を書いたのはレイだ。


「アルティもなかなかやるよね。可愛い兜なんて、まず思いつかないもん」


 デュラハンにとっては服代わりかもしれないが、鎧兜は基本的に防具である。多様性に富んだ現代といえども、その固定観念を捨てるのは容易ではなかっただろう。


 侯爵に喧嘩を売ったと聞いたときは「もうダメじゃないか?」と思ったものだが、よく作り上げたと思う。


 記事には蒸気機関の有用性を実証したのはリリアナだとある。種族問わずに扱える=人員を投入できるというところに目をつけ、半年かけて山の北側の硬い岩盤を掘り通し、背後からラグドールに奇襲をかけて勝利を手にしたそうだ。


 新鉱脈が見つかったのはその副産物に過ぎない。つまり、クリフが旅立つきっかけを作ったのはリリアナだということで、その数奇な巡り合わせに思わず苦笑した。


「これも運命ってことかな……」


 しみじみとコーヒーを啜ったとき、ピンと嫌な予感が走った。直後に、激しい音を立てて焦茶色のドアが開く。


「ちょっと! これ不良品じゃないの? ちっとも髪がまとまらないんだけど!」


 外の騒音にも負けない大声を張り上げたのは、怒り心頭といった様子のご婦人だった。濃いピンクのワンピースが寝起きの目に眩しい。そして、髪の毛は竜巻にあったみたいにぐちゃぐちゃになっていた。


(あー来ちゃった)


 客の手には売り出したばかりの魔石ドライヤーが握られている。クレーマーという響きはあまり好きじゃないが、魔法紋を勝手に書き換えて動作不良を起こし、製作者に責任転嫁する客は一定数いる。今回の客もその類のようだった。おそらく、魔技師が捕まらなかったので魔法紋師のところにやって来たのだろう。


「いらっしゃいませ。お手持ちの商品を拝見させていただけますか」


 営業スマイルを崩さず、ドライヤーを受け取る。


 レイの容姿はエルフとしては平均的なのだが、ヒト種には美形に映るようで、客は少しだけ静かになった。


 その隙にドライヤーを手早く分解し、魔法紋を確認する。案の定、強弱を切り替える部分が「強強」に書き換えられていた。


 客を見る限り毛量が多いようだから、強でも物足りなかったのかもしれない。しかし、これでは魔石から流れる魔力が強すぎて二倍以上の風量が出てしまう。


「あの、こちら魔法紋を訂正した形跡がございまして……。通常よりも強めに設定されております。お心当たりはございませんか?」


 お前がやったんだろうとは言わない。家族や友人が好意でいじった可能性もあるからだ。


 客は原因が自分の側にあると認めたくないのか、顔を真っ赤にして掴みかかってきた。


「何よ! 私が勝手に書き換えたって言いたいの? 責任逃れしないで、いいから返金しなさいよ!」


 咄嗟に避けようとしたが、床に積んだ本が邪魔で椅子を引けない。あれよという間に襟元を捕まれ、容赦なく引きずり上げられた。レイは細身で小柄とはいえ、すごい力だ。ひょっとしたらドワーフの血を引いているのかもしれない。


(これ、やばいかも)


 ぎゅうっと首を絞められ、目の前が真っ暗になりかけたとき、ドアが開く音がして急に息が楽になった。解放された体が床に落ち、腰をしたたかに打ち付ける。


「大丈夫ですか?」


 痛みに呻きながら目を開くと、深い青色の鎧兜を身にまとったデュラハンがレイを見下ろしていた。左腕に治安維持連隊の腕章をつけている。騒ぎを聞きつけた近所の連中が通報してくれたのだろう。


 手を借りながら体を起こす。カウンターの向こうでは、さっき写真で見たばかりの人物が客を床に組み伏せているところだった。


「離せ! 離しなさいよ! 私は被害者よ!」

「ぬかせ。魔法紋を勝手に書き換えて職人を脅し、金を奪い取る常習犯だって調べはついてるんだよ。なんだこの髪は? 下手な小細工しやがって」


 さすがデュラハンだ。客がどんなに暴れてもビクともしていない。


 呆気に取られるレイを置き去りに、目の前の大捕物は佳境を迎えていた。腰のポーチから手錠を取り出した青いデュラハンが、客の両手を拘束して懐中時計を開く。


「えーと……午前十一時二十三分。脅迫、及び暴行で逮捕でーす」

「ハンス。調書を作っておくから、そいつをブタ箱にぶち込んだら戻ってこい。十二時までに戻れたら昼食奢ってやるぞ」

「えっ、本当ですか? ダッシュで行ってきます! ほら、きりきり歩いて!」


 喚く客を無理やり立たせ、引きずるように連れて行く青いデュラハンを見送り、リリアナはレイに近づいてきた。


 予想以上の強さと体格だ。これなら女性体と気づかないのも仕方ないかもしれない。


「お怪我はないですか?」

「え? あ、ああ。ないです。リリアナ……連隊長? 着任早々、巡回されてるんですね……。お仕事熱心で何より……」


 疑問符を付けながら言うと、リリアナは「おや」と目を丸くして首を傾げた。


「私のことをご存知で?」

「新聞の一面に載ってましたし……。アルティからも色々聞いて……」

「アルティの知り合いか?」


 もし顔があったら、ぱあっと花が咲くような笑みを浮かべているだろう。仕事用の仮面を速攻にかなぐり捨て、素の口調で食いついてくるリリアナにたじたじとなる。


(ええ……。アルティ、すごい懐かれてんじゃん……。これってさあ……)


 そこまで考えて頭を振った。深く考えるのは止めよう。その方がいい気がする。レイの勘は誰よりもよく当たるのだ。


「部下が戻ってくるまでの間でいいから、話を聞かせてくれないか? あ、ちゃんと調書も作るから!」


 調書はついでなのか。苦笑しながらも頷くと、リリアナは嬉しそうな声を上げた。


(なんだか、賑やかになりそうだねえ)


 口をつけたコーヒーはすっかりぬるくなっていた。

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