10話 客の幸せは職人の幸せ

 名乗ったことで肩の荷が下りたのだろう。小さく息をついたゲオルグが、兜の面頬を上げた。もう隠すものはない、という無意識の意思表示なのかもしれない。


「もうバレたことだし、気安くリリアナと呼んでくれ。勇ましい名前がずっと嫌だったんだ」

「えっ、それは……」

「遠慮するな。さあ」

「リ……リリアナ、さん……?」


 戸惑いつつも呼ぶと、リリアナは嬉しそうに目を細めた。


「絵があったとはいえ、よく女だと気づいたな。今まで同僚にもバレなかったのに」

「……実は最後まで半信半疑でした。首周りを測ったときに、その、喉仏があったので。声も低かったし」

「ああ、タートルネックの下に変声機をつけているんだ。喉元の魔石に風魔法が付与されていて、声を低くしてくれる。さっきスイッチを切ったから、いつもより高く聞こえるだろう?」


 確かに。しかし、声を変えた程度で九年も気づかれないものだろうか。


 アルティの視線に気づいたリリアナが話を続ける。


「デュラハンの首をべたべた触る命知らずはいないからな。それぐらいの偽装で十分なんだよ。上官は私が女だと知っているし……。それに、駐屯地の寮はカーテンで個人スペースを確保できるから、着替えを見られる心配はないんだ。個別のシャワー室もあるし、胸もこう……サラシで潰して鎧を着れば目立たないしな」


 デュラハンの首は不可侵の領域だ。それこそデリケートゾーンレベルの。だから職人も失礼にならないよう手早く計測するのがお約束になっている。


 顔を赤らめるアルティを尻目に、アンケート用紙を手にしたリリアナが「懐かしいなあ」と言った。


「この絵、五歳のときに彫ったんだけど、父上にめちゃくちゃ怒られて泣く泣く塗り潰したんだ。内張りも直してさ……。でも、どうしても忘れられなくてな。成長期が来て鎧兜を替えるときに、まだ倉庫にあったこれを選んだんだ」

「兜に思い入れがあったのはそういう理由だったんですね……」


 芸術品レベルの兜に落書きするとは肝が太い。呆れるアルティに、リリアナは照れくさそうに兜を掻いた。


「この頃はお母さまの絵ばっかり描いてたから……」

「お母さま?」


 お姫さまではなかったらしい。


「私が五歳のときに亡くなったんだ。出産で体を壊してから、たびたび伏せっていてな。頑張ってくれたけど、そのまま……」


 思わず黙り込むと、リリアナは遠い目をして母親のことを教えてくれた。ずっと誰かに話したかったのかもしれない。


「お母さまはアルティと同じヒト種で、とても美しくて優しい人だった。アイスブルーの髪と瞳が、まるで宝石みたいにきらきらしてさ。父上もお母さまだけには逆らえなかった。屋敷の使用人たちも、みんなお母さまを愛していたんだ。……でも、どんなに抵抗しても記憶って徐々に薄れていくんだよ。最初は声、次に姿、そして香り……。何かに残しておかないと、全てを忘れそうで怖かった」


 だから消えないよう兜に彫ったんだ、とリリアナは小さな声で続けた。


「お母さまが亡くなってから、父上と私の間には溝ができた。それもそうだよな。私が殺したようなものだし……。私を産まなければ、お母さまはきっと今も生きていただろう」

「そんな……!」


 リリアナはふるふると首を横に振った。その先は言わなくていい、ということだろう。


「リヒトシュタインは武官の家系だ。継ぐのに性別は関係ないが、父上は女よりも男がほしかったんだと思う。だから……」


 母親亡きあと、トリスタンはリリアナを男として厳しく育てた。ぬいぐるみや絵本は取り上げられ、持たされたのは武器のみ。口調も、振る舞いも、常に軍人らしさを求められ、優しい言葉ひとつかけてもらえなかった。挙句に成長した途端に国軍に放り込まれ、九年間音沙汰もなかった。


 しかし半年前。泥沼状態に陥ったラグドールとの戦争が三年目に達した頃、王城の軍司令部から特別混成旅団編成と司令官着任の辞令が届いた。戦死した司令官と副司令官の後任として、リリアナに白羽の矢が立ったのだ。


「ラグドールが占拠していたのはお母さまの故郷だった。だから父上は私を捩じ込んだんだよ。無茶苦茶な人事でも大義名分が立つし、何より駒として扱いやすいからな。周りはリヒトシュタインだからと納得していたけど……。もう嫌なんだ。父上の七光で贔屓されるのも、重い期待を背負わされるのも、男と偽って生きていくのも、何もかも」


 聞いているだけで胸が痛くなり、アルティは拳を握りしめた。自分もリリアナに勝手な憧れを抱いていたからだ。彼女の苦しみも知らずに。


 トリスタンの気持ちは未婚のアルティにはわからない。もしかしたら娘の手で妻の故郷を取り返してほしかったのかもしれない。厳しく接していたのも、妻を失った悲しみに耐えられなかったからなのかもしれない。


 しかし、そうだったとしても、今までの仕打ちを許せるものではないだろう。


 リリアナは話し終えると、大きく息をついた。


 満足げなため息だった。


「ありがとう、アルティ。最後まで諦めないでいてくれて。おかげで、ようやく本当の自分を取り戻せそうだ」


 ゆっくりと目を閉じ、分厚い籠手で兜を愛おしそうに撫でる。


 それは、アルティが職人としての仕事を全うした瞬間だった。






 黒馬の歩みに合わせ、リリアナの姿がゆっくりと大きくなっていく。被っているのは、もちろんアルティの兜だ。太陽の光を照り返して煌めく様を見ていると、それだけで熱いものが込み上げてくる。


 彼女が着ているのは、最初に会ったときと同じコバルトブルーの鎧だった。本当の体型に合わせて調節したのだろう。胸部は山型の稜線を帯び、腰のあたりには滑らかなくびれができていた。動きやすさを優先するためか、草摺りは完全に外され、籠手や足鎧もシンプルな細身のものになっている。


 それに何より、ズボンの上から履いた緋色のスカートは、リリアナの決意を声高に表明しているようだった。


「ゲオルグさまって女性だったの?」

「そんな話聞いたことないけど……」


 観客のざわめきが大きくなる。リリアナの勇姿を讃えようと息を吸ったとき、隣の子供が両手を挙げて「ゲオルグさま、ばんざい!」と叫んだ。


「戦争を終わらせてくれて、ありがとう!」


 その声はリリアナに届いたようだ。彼女は黒馬の速度を上げると、あっという間にこちらに近づき、尊敬の眼差しを向ける子供の体をやすやすと抱え上げた。


「たかーい! ゲオルグさまって力持ちなんだね! ヒト種のぼくでも、大きくなったらゲオルグさまみたいになれる?」

「なれるさ。たとえ魔法や大きな武器を扱えなくても、ヒト種には才能がある。どんな困難な状況でも、決して諦めないという才能が」


 子供に優しく語りかけ、リリアナはこちらをちらりと見た。アルティがいると気づいていたのだろう。その眼差しに込められていたのは、深い感謝と信頼だった。


(あれ?)


 何故だろう。顔が熱い。脈もいつもより早い気がする。褒められ慣れていないので、戸惑っているのかもしれない。


 一人あわあわしているアルティにふっと笑みを漏らし、リリアナは抱えた子供を父親の手に戻した。


「ゲオルグさま! ぼく、大きくなったら兵士になる! それまで待っててくれる?」

「ああ、もちろん。これからは、君がお父さんやこの国を守っていくんだぞ」


 まるで騎士物語の一ページを見ているようだ。


 片手を上げて颯爽と馬首を返す姿は、まさしく英雄の名にふさわしかった。


「ゲ、ゲオルグさま万歳!」

「万歳! ゲオルグ将軍!」


 子供の父親の声に合わせ、さっきまで戸惑っていた観客が追従する。


 調子のいいものだと苦笑しつつ、少しずつ小さくなっていくリリアナを見つめる。


 見送った背中は、最後までまっすぐに伸びていた。






 リリアナの晴れ姿を見届け、職人街に戻ったときにはすっかり暗くなっていた。アルティと同じく凱旋式を見ていたレイや先輩の職人連中に捕まってしこたま飲まされたからだ。


 酒には強いので酔ってはいないが、ひどく眠い。兜を作るのに無茶をした疲れがまだ取れていないのかもしれない。ベッドに飛び込んだら一瞬で寝てしまいそうだ。


(まだ閉店時間前だけど、今日ぐらいサボってもバチは当たらないよな……)


 朦朧とした頭で思ったとき、ふと足が止まった。誰もいないはずの店から明かりが漏れている。


 小走りでドアに近づき、勢いよく開ける。案の定、鍵はかかっていなかった。ガランガランといつもより激しい音を立てるドアベルを掻き消すように叫ぶ。


「師匠!」


 奥のカウンターで見慣れぬ鉱物を眺めていたクリフがにっと笑った。


「遅いぞ、馬鹿たれ。この不良弟子め。ワシのいない隙に夜遊びか?」


 その笑顔も、口調も、旅に出る前とまったく変わらない。見る限り怪我一つ負っていないようだ。


 無事でよかったという気持ちと、一カ月も何をやっていたんだという怒りが入りまじって声が出せない。眠気なんて一瞬で吹っ飛んでしまった。胸から湧き出す衝動のままにクリフに駆け寄る。


「遅いのはそっちでしょう! 一カ月も店を放ったらかして!」

「見たぞ、お前の兜。依頼人のお嬢さんには満足してもらえたようじゃの」


 気勢を削がれ、思わず目が点になる。


「なんで俺のだって……」

「弟子の作品ぐらいわかるわ。ワシはまだ耄碌しとらんぞ」

「ど、どうでした?」


 さっきまでの怒りも忘れてクリフをうかがう。依頼人の評価と師匠の評価はまた別だ。期待に満ちた目を向けるアルティに、クリフが「うむ」と唸る。


「独創性は認めるが、技術はまだ追いついとらんな。デザインが繊細すぎて削りが甘くなっとるし、磨きも甘い。リベットの形もきっちり揃っとらん。あと、鎧と雰囲気が違いすぎるのはよくない。デュラハンにとって鎧は服代わりなんじゃから、もうちっと手持ちの鎧との兼ね合いも考えるべきじゃろ」

「うっ……」


 歯に衣着せぬ言葉がぐさぐさと胸に刺さる。確かに、あのデザインでは他の鎧を着ると浮いてしまうだろう。依頼を達成することに囚われていて、そのあとのことまで考えていなかった。まだまだ半人前から抜け出せない。


「じゃがまあ、客が満足するものが作れたのならよしとしよう。それが職人にとって、一番の成果じゃからの」


 こほん、と咳払いしたクリフが、落ち込むアルティに手を伸ばす。


「よくやった」


 ゴツゴツの手で優しく頭を撫でられ、涙がぽろりとこぼれた。


 ここ一カ月の思いが一気に押し寄せてきて、嗚咽が漏れそうになる。


 さすがにこの歳でわんわん泣き喚くのは恥ずかしい。誤魔化すように袖で顔をぐしぐしと拭い、カウンターの上に転がっている鉱物に話題を変える。


「これが新鉱物ですよね? 触ってもいいですか?」


 許可を得て鉱物を手に取る。属性が強いと手が焼け爛れたり、感電したりするからだ。ルクレツィア鉱石も耐氷手袋がないとそのままでは触れない。


 鉱物はアルティの拳ぐらいの大きさで、見た目は銀に似ているが遥かに軽い。まるで空気を掴んでいるようだ。それでいて硬さはダイヤモンド以上らしい。


「属性は判明したんですか?」

「いや、まだわからん。どうも属性耐性が異常に強くて、属性を少しでも帯びとると弾くらしい。蒸気機関の掘削機でようやく採れたわい」

「……その口ぶりだと、鉱夫にまじって掘ってきたんですね」


 クリフの言う蒸気機関とは、戦時中にウィンストンで開発された技術で、蒸気の圧力を利用して動力を得る機関のことだ。魔法ほど威力はないが、ヒト種でも使えるため職人の間では話題になっていた。


「軽くて、硬くて、属性耐性がある……。防具に最適じゃないですか!」

「じゃろ? これが流通すれば金属業界はガラッと変わるぞ。このチャンスをどう活かすかは職人の腕の見せどころじゃな」


 未知の鉱物だ。加工にどれだけの時間と費用がかかるかはこれからの研究次第だが、これだけの有用性があれば、たとえ高くとも貴族はこぞって買うだろう。それを先んじて手に入れてきたクリフの嗅覚はさすがだと言っていい。


「どうだ。少しは尊敬する気持ちが湧いたか?」

「はい!」

「じゃあ、この支払いよろしくな」


 ばさっと書類の束を渡される。眉を寄せながら目を落とした途端、手がわなわなと震え出した。


 書類にはウィンストンでの滞在費と発掘にかかった諸経費、そして採掘した鉱物の配送費が記されている。


 今回の仕事では、兜の製作費用も外注した塗装費用もリリアナが全て払ってくれたので、当初の予定よりもかなり利益が出ていた。それが全てご破産になるぐらいの金額である。


 同業者の先を行かんとする心意気は素晴らしいが、こんな小さな工房に十箱もいらない。研究用として転売するとしても、せいぜい一箱か二箱で十分だろう。


「なんですか、これ!」

「見りゃわかるじゃろ。請求書じゃよ。喜べ。箱は明日届くぞ! 奮発して飛竜ワイバーン便を使ったからの」

「ふざけないでください! これじゃ、赤字じゃないですか!」


 呑気に笑うクリフに食い下がったとき、ドアベルが軽やかな音を出した。店員のサガで、反射的に「いらっしゃいませ!」と声を上げて玄関に目を向ける。


 そこにはリリアナよりも一回り小さなデュラハンが二人、恥ずかしそうに立っていた。おそらく女性体だろう。姉妹なのか、友達なのか、揃いの鎧兜を身にまとっている。


 客たちは「あなたから言いなさいよ」「え〜お姉ちゃんから言ってよ」と少し言い争ったあと、並んでカウンターに近づいてきた。


「あの、ゲオルグさまの兜を作った工房ってここですか」

「私たち、同じ兜がほしくて……」


 背後でクリフが口笛を吹いた。


 にやけそうになるのをこらえながら、高らかな声で顧客たちに応える。


「お任せください! あなたの頭、お作りします!」

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