9話 凱旋式
色とりどりの花びらが舞う中を全力で走る。目指すは公共広場から王城に続く大通りだ。本当はもっと早く店を出るはずだったのに、こういうときに限って来客が途切れなかった。おかげで、一目で職人とわかる作業着のままである。
交通規制が敷かれているので、市内馬車は使えない。息を切らしてようやく辿り着くと、通りの両脇にはすでに人垣ができていた。
小さな体を活かして隙間に潜り込み、悪態を吐かれながらもなんとか最前列に出る。
こちら側の喧騒とは裏腹に、通りの中は静かだ。まだ目的のものは来ていない。ざわめく人の声に紛れて、太鼓やラッパの音が徐々に近づいてくる。どうやらギリギリ間に合ったようだ。
「まだかなあ」
「早く見たいわねえ」
誰も彼もが期待と興奮を隠せない顔でこれから訪れる主役たちを待っている。夏の暑さと相まって、ものすごい熱気だ。まるで酒に酔ったみたいに頭がくらくらする。
汗でへばりつく襟元のチャックを下ろしたとき、耳をつんざく歓声がさらに大きくなった。
「パパ! きたよ!」
隣で父親に抱き抱えられた子供がはしゃいだ声をあげる。
まっすぐに伸びた石畳の先に、華やかな鎧兜と真っ赤なマントを身につけた近衛騎士たちの姿が見えた。一糸乱れぬ動きは日頃の訓練の賜物だろう。その凛々しさに、若い女性たちを中心に切ないため息が漏れる。
しかし、本日の主役は彼らではない。彼らの背後に続く鼓笛隊に囲まれた一団だ。特別混成旅団の名の通り、種族も職種もバラエティに富んでいる。
揃いの武具で先頭を勇ましく行進するのは歩兵隊だ。その後方では杖を掲げた魔法士たちが火の魔法で空に花火を打ち上げている。そして彼らの頭上では、飛兵隊のドラゴニュートたちがお得意の曲芸飛行を披露していた。
(すご……)
呆気に取られるとはこのことか。隣の子供もアルティと同じ顔をしている。その近くでは涙ぐんだエルフたちが「モルガン戦争で死んだ兄貴も喜んでいるかな……」「これでようやく平和になるんだねえ……」などと感慨深げに話している。
鼓笛隊の音に合わせてしばし賑やかな行進が続き、人々の歓声と祝福の声が最高潮に高まる中、ついに指揮官が現れた。
(来た!)
アルティの体温が一気に上昇する。同時に、周囲からどよどよと戸惑いの声が上がった。彼らの視線の先には、立派な黒馬に乗ったデュラハンがいる。
二日前のことを思い出して、アルティは涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえた。
分不相応な大言壮語を吐いてから二週間後。ゲオルグが工房に姿を現したのはひぐらしが鳴き始める頃だった。
開け放した勝手口から差し込む夕焼けがアルティとゲオルグを照らし、床に二つの長い影を作る。
お互い、何も言わない。何を言えばいいのかわからないのかもしれない。
アルティは疲労困憊で頭がぼんやりとしていたし、ゲオルグは最後通牒を突きつけるのを躊躇っている様子だったからだ。
カナカナカナ……と、もの悲しい鳴き声だけが工房内に響く。重苦しい沈黙の中、最初に口を開いたのはゲオルグだった。
「兜はできたのか」
感情を押し殺した声にハッと意識を取り戻し、作業台の上の兜をゲオルグに見せる。半ば脅し取るように預かっていたコバルトブルーの兜だ。同業者のツテを頼って塗装業者に捩じ込んだおかげで納期にも間に合い、すっかり元通りになっている。
ゲオルグが今被っているのはアルティが渡した代替品の兜だ。ぐらついたときにすぐ手で押さえられるよう、首鎧と一体化してある。それ以外は前回と同じだ。兜を被ったときの全体像を確認したかったので、同じ鎧で来てくれと頼んでおいた。
「首のつけ根に定着の魔法紋をもう一つ刻みました。内張りは以前と同じく、鹿の革を使用しています。錆止めと塗装も塗り直しましたが、それ以外はいじっていません」
「……本当に元通りにしてくれたんだな」
「約束しましたから」
試着を促しても、ゲオルグはなかなか被ろうとしなかった。定着しなかったらと思うと怖いのだろう。
「どんな結果になっても俺は覚悟ができています。どうぞ」
もう一度促すと、ゲオルグは深呼吸して兜を被った。途端にぐらつき、兜の下から苦しげな呻き声が漏れる。ひょっとしたら泣いているのかもしれない。立派な肩当てが声に合わせて微かに震えていた。
「……駄目だ。変わらないよ、アルティ。もうこれ以上――」
「では、こちらをどうぞ」
ゲオルグを制し、作業台からもう一つ兜を取る。
目隠し用の布がはらりと落ち、薄暗い工房の中に鮮やかなコバルトブルーが浮かんだ。合成の魔石塗料でアルティが塗装したものだ。色合いこそ元の兜を踏襲したものの、ふちにピンクゴールドのラインを入れ、より華やかな仕上がりになっている。
「これは……」
兜を受け取ったゲオルグが呆然と手の中を見る。
それもそうだろう。唯一の要望だった「凱旋式にふさわしい威厳あるもの」とは真逆なのだから。
全体的に丸みを帯びたフォルムで、側頭部に角はつけず、後頭部にアイスブルーに染めたシルクの糸束を取り付けてある。いわば、兜からポニーテールが出た形だ。十分な量があるので、気分に合わせて三つ編みや編み込みにもできる。
視界をしっかり確保するため、顔を覆う部分は眉庇、面頬、顎当ての三段構成にし、全て額に上げられるようにした。眉庇と面頬を上げるとヘアバンドみたいになり、さらに顎当てを上げると面頬の下に喉元の反りの部分がきて、帽子のようにもなる。
面頬の上部は雲型、下部は直線状に切り出し、全面に花と蔦を模した空気穴を空けた。リベットも真鍮を使い、全て花の形に整えている。
つまり、目指したのは「可愛い兜」だ。
市内中を駆け巡って女性にアンケートをとりまくり、一目見て「合格!」と言ってもらえるまでデザインを練り直した。おかげで、なかなかいい仕上がりになったと思う。
「お試しください。きっと気に入ってもらえると思います」
アルティの声に押されて、ゲオルグが兜を被る。手を離しても兜はぐらつかず、最初からそこにあったように、ぴったりと収まっていた。
「……どうして」
消え入りそうな小さな声だ。作業着のポケットからアンケート用紙を取り出し、性別欄を指差す。「女性体」の文字の上に半円がついている。丸をつけようとしてやめた跡だ。
「いくら書き慣れていなくても、性別を間違うことってあまりないと思うんです。振り返ってみれば、予測できる場面は色々ありました。街で目を止めていたぬいぐるみも、アクセサリーも、あなたの好みなんじゃないですか。それに……」
アンケート用紙を裏返す。小さな子供が描いたみたいなお姫さまと花の絵、そして「L」の一文字がある。預かった兜の裏側に彫られていたものを書き写したものだ。ごくり、と喉を鳴らしたゲオルグが「見つけたのか……」と呟く。
「重ね塗りされた塗料の下にありました。あなたのミドルネームもLですよね。これは、あなたが彫ったものでしょう? あなたは男性体じゃない。女性体のデュラハンなんだ」
答えはなかったが、揺らぐ目の光が何よりも雄弁に語っていた。
(よし。山場は越えた)
正直なところ賭けだった。世の中には可愛いもの好きの男性も存在する。クリフだって顔に似ず甘いものや子猫が好きだし。
どちらにせよ「自分を偽る苦しさ」が兜を拒絶する理由なのだとしたら、それを解放する手伝いをするのが職人としてのアルティの仕事だ。
「あなたは、ずっと女性体だということを隠して生きてきた。だから躊躇したんですね。兜を解体されると、その秘密に気づかれるかもしれないから。アンケートがほとんど空欄だったのもそれが理由なんだ。あなたは、本当の自分を出すのが怖かった」
言い募ると、ゲオルグはついに観念して力なく頷いた。
「……最初から、兜が定着しない理由には気づいていた。どれだけ無視しても囁くんだよ。『いつまで嘘をついて生きるつもりだ?』って心の声が……」
ゲオルグは背筋を伸ばしてアルティに向かい合うと、最敬礼の角度まで頭を下げた。まさかそうくるとは思わず、肩がすくむ。
「ゲ、ゲオルグさん。やめてください。俺は自分の仕事をしただけで……」
「いや、謝罪させてくれ。私の我儘で振り回してしまって、本当に申し訳なかった。職人に嘘をつくなんて、あってはならないことだ」
そうでもない。身分や本心を偽る顧客はザラにいる。ゲオルグは真面目すぎる方だ。しかし、今はそれを指摘している場合ではない。
「やめてくださいって! それより、あなたの本当の名前を教えてくれませんか。女性体なら、ゲオルグというのは通名なんでしょう?」
懇願まじりの問いに、ようやく顔を上げたゲオルグが小さく笑う。
「ゲオルグだよ。当主を継ぐものは、男だろうが女だろうがゲオルグの名も継ぐ決まりなんだ。父上もゲオルグさ。ミドルネームだけ違うんだ。なかなか変わってるだろ?」
「ということは、Lが……」
「そう。父上はTでトリスタン。そして、私のミドルネームはリリアナ。リヒトシュタイン侯爵の一人娘、ゲオルグ・リリアナ・リヒトシュタインだよ」
いつの間にかひぐらしの声は止んでいた。
代わりに耳に届いたのは、いつもより高い、鈴の音のような響きだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます