7話 もう後には引けません

「バッカだなあ。なんでそんなこと言ったの? 自分がまだ半人前だって自覚してる?」


 レイの呆れた声に気持ちが沈む。ここに来るまでの間にも、噂を聞きつけた職人連中から「若いっていいねえ」「よっ、職人魂!」などとからかわれてきた。


 自分でも何故あんなセリフを口走ったのかわからない。いつだって店を一番に考えてきたはずなのに、気づけば廃業の危機に立たされている。それもクリフがいない間の暴挙だ。戻ったら金槌でぶん殴られるだけでは済まない。


「……ゲオルグさんが悲しそうにしている姿を見たら、ついカッとなって」


 もしょもしょと呟くアルティに、レイが大きなため息をつく。


「あのねえ、いい機会だから言うけど、無理な依頼はきちんと断るのも職人の力量のうちなんだよ。安易に引き受けて『やっぱりできません』じゃ信用も落ちるし、結果的にお客さんに迷惑かけちゃうでしょ。ただでさえ君は今、店を預かっている立場なんだから、もっと冷静にならないと」


 淡々と諭されてぐうの音も出ない。


 しょぼくれたアルティを憐れんだのか、レイの口調が若干柔らかくなる。


「まあ、気持ちはわかるよ? 君、ああいうヒーロータイプ好きだもんね。演劇だって、絶対に主人公を応援するしさ」

「え? そ、そうかな?」

「自分のことは自分が一番よくわかんないもんなんだよ」


 苦笑するレイが差し出すアイスコーヒーを受け取りながら、アルティはさっきまでの疑問がすとんと胸に落ちるのを感じた。


(そうか、俺、ゲオルグさんに憧れていたのか)


 華々しい偉業を手に入れても偉ぶらない誠実さ。堂々とした立ち居振る舞い。他人を気遣える余裕。


 今まで自分一人生きるのに精一杯だったアルティにとって、ゲオルグは理想を体現した存在だった。だからこそ、あのまっすぐに伸びた背中が丸まるところを見たくなかったのかもしれない。


「で、どうするつもりなのさ? あと半月しかないんでしょ。何か考えあるの?」

「それなんだけど、定着の魔法紋以外で兜を固定する方法ってないかな? たとえば掃除機に使う吸着の魔法紋で物理的にくっつけるとか」

「面白い発想だけど、デュラハンの闇に効果はないだろうね。あれは可視化した魔力で、実体のない煙みたいなものだから、全部吸われて顔がなくなっちゃうよ」


 ゲオルグの首から上が消えた姿を想像して、アルティは犬のように唸った。


「なら兜と首鎧に強力な磁石を……」

「正気? 道を歩いただけでスプーンとか貼りつくけど」

「う、じゃ、じゃあいっそ鎖帷子と連結する形に……」

「侯爵に許しを乞うって選択肢はないんだ?」


 アルティの言葉をバッサリと遮り、レイが薄く笑う。その目は少しも笑っていない。いつもと違う様子に一瞬怯んだが、背筋を伸ばしてまっすぐに見つめ返した。


「ない。客を侮辱されて引き下がっていられない」


 きっぱりと答えると、レイは「半人前だろうが、職人は職人か……」とぼやいて、がしがしと頭を掻いた。


「わかったよ。最悪、凱旋式の間、僕が魔法で兜を支えてあげる。お客に恥をかかせるわけにはいかないからね」

「レイ……!」

「そんな目で見ないで! 言っとくけど、本当の本当に最終手段だからね。侯爵にそんな小細工が通用するとは思えないし」

「……侯爵ってそんなに凄いの?」


 武功をいくつも立てているとは知っているが、軍人でも魔法使いでもないアルティにはいまいちピンとこない。


「経験豊富だからね。魔剣士ってわかる? 魔法紋を刻んだ剣に魔力をまとわせて戦うんだけど、長く維持するには魔力量を調節して放出し続けないといけないんだ。侯爵はそれがうまいんだよ。魔力も膨大だし、氷魔法にも長けてる。並の人間はかなわないだろうね」


 侯爵が腰に下げた大剣を思い出す。あれで斬られた日には、アルティなんて跡形も残らないだろう。それこそ真夏のかき氷になってしまう。


「詳しいね。さすが魔法紋師」

「お得意さまだからねえ」

「は?」


 目を剥くアルティに、レイは飄々とした顔で肩をすくめた。


「リヒトシュタイン家と取引始めて九十年ぐらいかなあ。モルガン戦争が終わって十年ぐらい経ってたから……。あのときのおチビちゃんも、いつの間にかご先祖さまになっちゃて」


 何代か前の当主のことだろうか。自分のカップにコーヒーのお代わりを注ぎながら、レイが寂しそうに目を細める。


 モルガン戦争とは、百年前に起きたラグドールとの戦争のことだ。当時王政だったラグドールのモルガン王が、魔属性の精神魔法で魔物を操り、忌まわしい「魔王」となって当時共和政だったラスタの議事堂を占拠した。


 必死に抵抗したが、相手は魔物の軍勢だ。目を覆う惨状が至る所で繰り広げられたという。のちにからくも勝利を収めたものの、徹底的に破壊されたラスタは、早期の復興を目指すために王政を選択し、新しくラスタ王国として歩み出したのだ。


「リヒトシュタイン家って、モルガン戦争で活躍した五大英雄の一人なんだよね?」

「そうだね。魔王に占拠された議事堂を奪還するために向かったのが、今の四大侯爵家であるウィンストン、トルスキン、ウルカナ、リヒトシュタイン……。あと、今の国王の先祖で、唯一の公爵家のリッカ。中でもリヒトシュタインは魔王と相討ちしてこの国を救った英雄だから、飛び抜けて権力が強いんだよ」


 子孫が子孫なら先祖も先祖だ。きっとゲオルグみたいに偉丈夫なデュラハンだったのだろう。自分が敵に回した相手の強大さに背筋がぞくりとする。


「ようやく事の大きさがわかったみたいだね。あそこは共和政時代からの軍人家系だから、やると言ったら本当にやるよ」


 つまり、正真正銘もう後がないのだ。


 ぬるくなったコーヒーを飲み干して礼を言い、アルティは焦茶色のドアに手をかけた。


「もう行くの?」

「うん。時間もないし、これから同業者の工房を回ってみる。同じ事例を扱った職人がいるかもしれない。なんとしてでも定着する兜を完成させないと」

「もう無理するなとは言えないなあ。しっかり頑張りなよ。友達は減らしたくないからね」


 いつもと変わらぬ軽い口調だが、その目には深い励ましの色があった。






「あれ? ゲオルグさん?」


 工房を回るだけ回って店に戻ってくると、ゲオルグが玄関の前にぽつんと立っていた。鍵を閉めていたので入れず、かといって帰ることもできず、ずっと待っていたのだろう。


 近所の職人連中が物珍しそうに――いや、「あの鎧を近くで見てみたい!」と好奇心丸出しの顔でちらちらとゲオルグを見ている。気持ちはわかるが、少し控えてほしい。


 噂が広まっている以上、もう配慮しても仕方がないと思ったのか、ゲオルグが着ていたのは最初に会ったときと同じ鎧兜だった。


 日はすでに暮れかけている。客を立ちっぱなしで待ちぼうけにさせていた失態に焦りつつ、ゲオルグに駆け寄って頭を下げる。


「お待たせしてすみません! 同業者の工房を回っていました。何かヒントにならないかと思って……」


 返答を待ったが、ゲオルグは何も言ってくれない。そろそろと顔を上げると、自分をじっと見下ろす青白い目とかち合った。


 今にも泣き出しそうな目だ。


 とても打ち合わせに来た雰囲気ではない。嫌な予感が当たらないように祈りながら、ポケットから鍵を取り出す。


「今、店を開けますので、とりあえず中に……」

「いいんだ、アルティ。もう作らなくていい」


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。嫌な予感が当たってしまった。


 口の中に苦い味が広がる。


 それは、この依頼を受けて何度も感じた挫折と焦燥の味だった。

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