8話 内張りの中の秘密
「……どうしてですか?」
ドアノブを握る手は小さく震えていた。
「これ以上アルティに迷惑をかけられない。ましてや工房の存続を賭けるなんて……。今までかかった費用はきちんと払うし、父上には私から話すから、だからもう……」
「よくない! 兜に紐をつける屈辱を甘んじて受けるつもりですか?」
真正面から向き合い、ゲオルグを見上げる。アルティの剣幕にゲオルグは怯んだ様子を見せたが、すぐに前のめりになってこちらを説得にかかってきた。
「定着しない以上、そうするしかない。恥ずかしさなんて一瞬だよ。凱旋式が終わればみんなすぐに忘れてくれるさ。人の噂はスライムの命よりも短いって言うだろう?」
レイに忠告されたばかりなのに、頭に血が上っていくのを感じる。まだ無理だと決まったわけじゃない。最初から諦めようとする姿勢がどうしても許せなかった。
「俺が作ると言ったじゃありませんか! あんな風に言われて、どうして大人しく従おうとするんですか? そんなに俺の腕が信じられない……」
「違う! 私だって父上の鼻を明かしてやりたいよ。もう子供じゃないって見せつけてやりたい! でもな、どれだけ作ってもらったって無駄なんだよ。アルティの腕の問題じゃない。これは私の問題なんだから!」
アルティの言葉を遮り、ゲオルグが吠える。その迫力に、近所の職人連中がそそくさと自分の工房に戻っていった。
ゲオルグが声を荒げる姿を見るのは初めてだ。父親への反抗心を表に出すのも。本人にも初めてなのかもしれない。激しく肩を上下させながらも、その目はひどく動揺していた。
上っていた血が徐々に下がっていく。客と喧嘩するなんてクリフのことを言えない。ふうと息をつき、今度はこちらがゲオルグを説得にかかる。
「街に出たときもあなたはそう言っていましたね。どうして兜が定着しないのか、あなたには見当がついているんだ。それを俺に教えていただけませんか」
「っ……それは……」
ゲオルグは言葉を飲み込み、口元あたりの闇に手を当てた。言いたくないという感じだ。どうも変化を恐れている気がする。父親との確執が原因なのか、それとも昨日垣間見せた自尊心の低さが原因なのか。
何度も打ち合わせを重ね、共に街に出たとはいえ、ゲオルグと過ごした時間はそう多くない。今まで積み上げてきた技術、昔馴染みの顧客、クリフ、友人、これからの生活……天秤にかければ明らかに片側に傾く。
しかし、その全てを失ってでも、ゲオルグの心の澱を取り払いたかった。
アルティにとって、ゲオルグは憧れの存在であると同時に、クリフの庇護を外れて最初から最後まで担当する初めての顧客だからだ。
ここまで入れ込む客に出会う機会は二度とないかもしれない。だからこそ、後悔のないように全力を尽くしたい。
「……依頼人が望んでいないなら、もう職人の出番はない。だけど、あと少しだけ待ってください。あれだけ大言壮語を吐いたんだ。俺だってこのままじゃ終われない。一つ試してみたいことがあるんです」
工房を回って聞き込みをした結果、似た事例を解決した職人がいた。デュラハンにしては珍しく魔力が弱い顧客で、どの兜を被ってもうまく定着しなかったため、定着の魔法紋をもう一つ刻み、定着力を二倍にして対処したらしい。
ゲオルグの兜にも同様の処理をすれば、首から落ちない程度には補強されるかもしれない。そう説明すると、ゲオルグは目に見えて狼狽えた。
「もちろん、新しい兜を作るのは前提の上です。凱旋式には絶対に間に合わせます。万に一つでも可能性があるのなら、俺は試してみたい」
「……しかし、それは魔力が弱いデュラハンへの対処法だろう。私の場合とは……」
「新しく作った兜は定着しないのに、その兜は弱いながらも定着力は消えていない。思い入れが残っている証拠です。兜が嫌になったのなら、完全に定着が外れるはずだ。あなただってそれがわかっていたから、最初に再定着を依頼したんでしょう?」
図星だったのだろう。ゲオルグはぐっと喉を鳴らして黙り込んだ。
「定着紋を新たに刻むには、兜を解体しなければいけません。塗装も剥がして塗り直す必要があります。ですが、必ず元の状態に戻してお返ししますから」
そこで言葉を切り、アルティはゲオルグの目をじっと見つめた。
「俺を信じてください、ゲオルグさん。俺はあなたに堂々と凱旋式に出てもらいたい。どうか、俺に職人としての仕事を全うさせてください」
それは卑怯な言葉だった。わかっていて、あえて使った。断ればアルティを信用していないと言うのと同義だからだ。
ゲオルグはアルティから目を逸らして俯くと、やがて震える手で兜を差し出した。
「……頼む」
決意に満ちたその声は、微かに涙ぐんでいた。
完全に日が落ちたあとの工房は暗い。天井と作業台の魔石灯を光量マックスにして、アルティは手を打ち鳴らした。
「よし、やるぞ」
作業台の上では、ゲオルグから預かった兜が魔石灯の明かりを反射して光っている。角とシルクの細布は先に外したものの、相変わらず見事な意匠だ。触れるのも憚られるが、躊躇ってはいられない。
まずは兜を解体しなくてはならない。ポンチという太いアイスピックみたいな工具を使って、鋼板同士を接合するリベット――金属の鋲の頭に窪みをつける。ドリルの先端を逃さないためだ。
できた窪みに魔石ドリルをあてがうと、リベットはすぐに外れた。手作業だったら、とてもこうはいかないだろう。
次は革製の内張りを外す。殴られると衝撃がモロにくるので、頭部を守るために革や布でクッションを作るのだ。デュラハンの場合はなくても問題ないが、少しでも装着感をよくするための心遣いだろう。
頭頂部は四枚の鋼板の組み合わせで、固定していた金属の輪を外すと綺麗にばらけた。弟子入りしたくなるほど滑らかな曲線だ。歪みもまったくない。クリフと同等、いや、凌ぐ腕かもしれない。余程、金槌を振るい慣れていなければこうはなるまい。
ゲオルグ曰く、百年ほど前の品物らしい。屋敷の倉庫にあるのを発見して以来、ずっと愛用していたそうだ。丁寧な手入れのおかげか、錆も劣化も特に見受けられなかった。
「うわ、これ天然の魔石塗料だ。お金かかっただろうな……」
人工ものでは出せない艶に吐息が漏れる。シュトライザー工房では人工魔石とスライム樹脂の合成塗料しか使っていない。見積書を出しただけで逃げられては元も子もないからだ。
天然ものを扱う機会なんて今後もないだろう。そもそも、ここみたいに小さな工房ではまず手に入らない。
「……塗装、外注しないとな」
調色はこちらでするとしても、冷風機を軽く超える費用がかかるに違いない。それこそアルティの給料が半年ぐらい吹っ飛ぶだろうが、背に腹は変えられない。
頭の中で算盤を弾きつつ、鋼板の裏側を観察してみる。冷たくないので、ルクレツィア鋼ではなさそうだ。おそらくストロディウム鋼だろう。鉄とクロムの合金で、錆びにくくて硬く、かつ軽いため、現在でも鎧兜の鋼材としてよく使用されている。
職人の屋号紋だろうか。四枚の鋼板のうちの一つに小さな風切り羽の刻印があった。あとは定石通り、首のつけ根に魔法紋が刻まれている。
「ん?」
しげしげ眺めていると、魔法紋の上側に違和感があった。ペンライトを当て、舐めるように見る。そう範囲は広くないが、どうも重ね塗りをした形跡がある。
本当に微かな色の違いだ。コバルトブルーとただのブルーのような。姉たちに色の違いを教え込まれていなければ気づかなかったかもしれない。
「……塗料の下に何かありそうだな」
これだけの腕を持つ職人が塗りを誤ったとは思えない。塗料を落とす溶剤を柔らかい布に含ませ、優しく擦る。ハガレールというふざけた名前がついているが、効果は確かだ。みるみるうちに塗料が剥げていく。
まもなく現れたものの正体に思わず声が出た。
「これって……」
作業台の隅に置いていたアンケートをひったくり、ゲオルグの綺麗な筆跡に目を落とす。何度も確認した用紙は、見てわかるほど皺が寄っていた。
「そうか、そうだったんだ……」
どうして今まで気づかなかったのだろう。最初から答えはここにあったのに。
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