6話 大言壮語を吐いてみる
「美味しいなあ、このタルト」
タルトを頬張ったゲオルグが幸せそうに言う。見た目には闇が広がっているだけだが、デュラハンの闇は感知機能の他に消化機能も兼ね揃えているため、中に入れたものは即座に分解され、食道を通って胃に運ばれる。
消化機能は本人が食料だと認識しているものにしか働かないので、うっかり指を突っ込んでも怪我を負う心配はない。ただ、相手の機嫌が悪いとそのまま「食われる」ので、無闇に触れるなというのが通説だ。
ハンバーガーとポテトのセットを完食して食後のコーヒーを啜るアルティの髪に、復活した冷風機の風がそよそよと当たる。ゲオルグが作った魔石は正常に魔力を供給しているようだ。薄いTシャツとカーゴパンツに身を包んだアルティに対して、鎧姿のゲオルグは暑そうに見えるが、デュラハンにとってはこれが日常の風景である。
デュラハンは物心ついた頃から鎧を着るためか、薄着になるのをよしとせず、基本的に人前で鎧を脱がない。特に素肌を晒すのは将来を誓った伴侶の前だけだ。もし着替えを覗いた日には殺されても文句は言えない。
ゲオルグもその生活に慣れきっているのだろう。分厚い籠手をつけているにも関わらず、小さなフォークを器用に顔の闇に運んでいる。
そういえば、字も綺麗だった。
ゲオルグが書いたアンケートを思い出す。慣れていないせいか、性別を間違えそうになったり、ところどころインクだまり――迷ったあとがあったりしたが、とても読みやすくて整った筆跡だった。
天は二物も三物も与えるものだ。
誰もが羨む身分に生まれ、魔石を作れるほどの魔力と頑健な体を持ち、二十三歳の若さで仕事の結果も出している。兜一つ満足に作れないアルティとは大違いだ。
さっき身近に感じたことも忘れて落ち込んでいると、タルトを食べ終えたゲオルグが、外を行き交う人を眺めながらぽつりと呟いた。
「こんなにのんびりするのは久しぶりだな……」
あまりにも実感がこもっていたので、思わずまじまじと見つめてしまった。そんなアルティをゲオルグが可笑しそうに見つめ返す。
「戦場ではこうしてタルトを食べる余裕もなかったからな」
それもそうだ。考えが至らなかった自分を恥じつつ、相槌をうつ。
「グリムバルドに戻ってきたのは半年ぶりですか?」
「いや、九年だ。十四歳で国軍入りしてから、ずっと各地を転々としてきたからな。しばらく見ないうちにグリムバルドも変わったよ。こんなオシャレなカフェなかったぞ」
「じ、十四歳?」
国軍は十三歳から入隊可能だが、実際にその歳で入隊するものは少ない。特に貴族の子弟は士官学校や魔法学校を卒業してから入隊するのが常なので、ゲオルグは珍しいケースだった。
「もしかして、成長と同時に入隊したんですか?」
ゲオルグが頷く。
デュラハンはヒト種に比べて成長が早い。大体十四歳から十六歳ぐらいの間に成長期がきて、一晩で大人と同じ体格になる。それまで着ていた革鎧から金属製の鎧に着替えると、一人前になったと見なされるのだ。
「本当はその年に士官学校に入学するはずだったんだが、学ぶより世間を見てこいと父上に容赦なく放り込まれてな。我ながら酷い青春だった」
明るく言っているが、辛いこともたくさんあっただろう。
なんと応えていいのかわからず口ごもっていると、その様子を察したゲオルグが「そういうアルティは?」と話題を変えた。一瞬迷ったが、素直に答える。
「実家はウルカナの手前のアクシス領です。十二歳のときに奉公に出されて……。それから六年間、ずっと工房で働いています」
「えっ? それじゃあ、まだ十八歳なのか?」
正確にはもうすぐ十九歳だが、大して変わらないので黙って頷く。
「若すぎて不安ですか?」
「いや、そうじゃないよ。しっかりしているから、もっと大人だと思っていた」
「一応、成人はしているので……」
「あっ、そうか。法律上の成人年齢は全種族共通で十八歳だったな。すまん、駐屯地にこもっていると常識を忘れがちで……。何しろ起きてすぐに上半身裸の脳筋が外を走っている環境だから」
「それならこっちだってそうですよ。起きてすぐに金槌を振い出すジャンキーが腐るほどいます」
ぷ、と同時に吹き出す。どの職場でも似た人間はいるものだ。
お互いの仕事の面白おかしい話でひとしきり盛り上がったあと、コーヒーで喉を潤したゲオルグが「……無理やり連れ出して悪かったな」と静かに続けた。
「戦場だと食事や睡眠を取らないやつから死んでいくんだ。だから……」
そこで言葉を切り、ゲオルグは自嘲して笑った。
「おかしいよな。ここは戦場じゃないのに」
アルティを気遣ってくれたのは、より多くの悲劇を見てきたからなのだ。心臓を掴まれたみたいに胸が苦しくなったとき、店の外がにわかに騒がしくなった。
「なんでしょう?」
「行ってみるか」
連れ立って騒ぎの中心に向かうと、旅芸人の一座が人形劇を披露しているところだった。
舞台の脇に立った男の口上に合わせ、兵士に扮した操り人形が生き生きと動く。剣を振るうたびに火花が散ったり風が吹いたりするので、裏に効果担当の魔術師がいるのだろう。人形劇にしてはなかなか凝った演出だった。
「さあさ! こちらに参りますのは勇猛果敢なゲオルグ将軍! ラグドールの猛攻にいかに立ち向かうのか!」
ラグドールとの戦争を再現しているらしい。その当人が後ろにいるとは知らず、観客は惜しみない拍手を送っている。ちらりと隣に立つゲオルグを見上げると、彼は黙ったまま逃げるように踵を返した。
「ゲ、ゲオルグさん。待ってください。一体どうしたんですか?」
足早に歩くゲオルグを追いかけ、咄嗟に腕を取る。振り払うのは簡単だろうに、ゲオルグはぴたりと足を止めて俯いた。その背中は小さく丸まり、さっきまでの凛々しさが嘘みたいに弱々しく見える。
「……私は、ああして讃えられる人間じゃない。凱旋式が近づくにつれて武功を声高に叫ばれるたび、恥ずかしくて消えたくなる」
「そんな。あなたは戦争を終わらせた功労者じゃないですか」
「確かに戦争は終わらせたよ。でもな、あれは私じゃなくてもできたことだ」
苦々しく吐き捨て、ゲオルグはアルティを見下ろした。その目は苦痛に歪んでいる。謙遜ではなく本心で言っているのだ。
戸惑うアルティの手を腕から外し、ゲオルグはため息まじりに言葉を続けた。
「ただの大隊長だった私が、どうして二等級特進して旅団長になれたと思う? 全部、親の七光なんだよ。父上の地位が高かったおかげで、こうして英雄だと騒がれている」
「ゲオルグさん、それは……」
違います、と続ける前に、大きく首を振ったゲオルグに距離を取られた。弾みで兜が外れそうになり、ゲオルグが咄嗟に両手で押さえる。その仕草は、まるで耳を塞いでいるように見えた。
「……本当はわかっているんだ。兜が定着しないのは私のせいだって。でも……」
「ゲオルグ」
横からかかった低い声に、ゲオルグの肩がびくっと揺れる。視線を向けると、ゲオルグを遥かに凌ぐ体格をした男性体のデュラハンが、感情の読めない目でじっとこちらを見つめていた。貴族の武官だろうか。格式高い濃いグリーンの鎧兜を身につけ、アルティでは決して持てなそうな大剣を腰に携えている。
「父上……」
「こんなところで何をしている? 油を売っている暇があるのか?」
静かだが、全身を押さえつけるプレッシャーに息もつけない。まさかリヒトシュタイン侯爵に出会うなんて思わなかった。
息子のゲオルグもただ俯いている。その様子を見る限り、親子仲が良好だとはとても言えない。
「……凱旋式までは休暇中ですから」
囁き声で言い返すゲオルグを、侯爵が嘲笑う。
「兜が定着しないんだろう?」
「何故それを……」
「俺が知らないとでも思ったか? 人の口に戸は立てられないものだ。恥ずかしい真似をする前に、よく考えて行動しろ」
定着する兜を求めて工房を回ったことだろう。
ゲオルグは必死だったはずだ。それを否定する言葉を、誰であろうと口にしてほしくなかった。
「何を悩んでいるのか知らないが、いい加減諦めて兜に紐をつけるといい。子供みたいなお前にはお似合いだろう」
デュラハンにとって「兜に紐をつける」は最大限の侮辱だ。正確なたとえは難しいが、ヒト種だと「あらあら、こんなこともできないの? いつまで経っても可愛いボクちゃんなんだから」というぐらいな。
息を飲んだゲオルグが体の両脇で拳を握りしめる。それを見た瞬間、頭に血が上り、気づけば口から勝手に言葉が飛び出していた。
「そんなことありません!」
ゲオルグを庇って前に出たアルティを、侯爵がぎろりと睨みつける。
「誰だお前は。他人が横から口を出すな」
「俺は職人としてゲオルグさんの依頼を遂行する義務があります。それを取り上げる権利はあなたにはないはずだ」
まっすぐに睨み返すと、侯爵は目を細めて「ほう……」と唸るように言った。同時に背後からゲオルグの「アルティ……」と戸惑った声が聞こえてくる。
どくどく鳴る心臓の音がうるさい。額から汗が流れたとき、黙ってこちらを見下ろしていた侯爵が低く笑った。
「言ったな小僧。なら証明してみせろ。失敗したら工房は更地になると思えよ」
「望むところです! ゲオルグさんの兜は、必ず俺が作ってみせます!」
分不相応な大言壮語は、夏空の中に消えていった。
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