3話 響く槌の音

「よし、始めるか」


 工房の作業台の前に立ち、アルティは両手を打ち鳴らした。


 特に意味はないが、気合を入れるための儀式みたいなものだ。クリフの真似をしているうちに、いつの間にか染みついてしまった。


 壁にはゲオルグからOKをもらったデザイン画と色見本を貼りつけてある。店の在庫品は全て定着せず、新しく作ることになったのだ。時間がないので、デザインは元の兜から大きく変えてはいない。


 素材は氷属性のルクレツィア鋼だ。北方で採掘されるルクレツィア鉱石と鉄との合金で、氷魔法の威力を高める効果がある。


 属性には相性があって、たとえば氷属性が火属性の防具を身につけると、お互いの属性が反発し合い、せっかくの効果が弱まってしまう。その反面、氷属性が身につければ効果は倍増だ。リヒトシュタインは代々氷魔法に長けているというし、ゲオルグのポテンシャルを爆上げしてくれるだろう。


 作業着の上から火竜の革製のエプロンと手袋を身につけ、切り出した鋼板を持つ。昨夜のうちにバリ取りをして、炉で焼きなましという金属を柔らかくする処理も終わらせておいた。あとは金槌でひたすら叩き、丸めたり曲げたりして兜の形を作っていく。


 ルクレツィア鋼は火に弱いので、焼きなましからの冷鍛――常温に近い温度での加工が基本だ。クリフほどになるとオール冷鍛でも朝飯前なのだが、半人前のアルティは叩きすぎて硬くなった箇所を魔石バーナーで炙りながら叩く。


 金床の前に移動して金槌を掲げたとき、腰のベルトにつけた報知器が震えた。来客のお知らせだ。耳を保護するイヤーマフをつけると音が聞こえなくなるので、カウンターの呼び鈴を押すと連動して振動するよう、近所の魔技師に改造してもらったものだ。


「あれ?」


 工房の入り口から店内を覗くと、所在なげに佇むゲオルグがいた。兜は前回と同じだが、身につけているのは軽装の鎧だ。鎖帷子は着ているものの、脛当ての代わりにロングブーツを履き、下腹部を守る草摺りも外されていた。


 デュラハンは服を着替えるように鎧を替える。凱旋式まで休みと言っていたし、国の英雄だと騒がれないための配慮かもしれない。といっても、高級品には違いないだろうが。


「昨日の今日で一体なんだろう……」


 まさか仕様変更だろうか。一度OKを出したものの、やっぱり気が変わったというのは往々にしてある。特にデザインが変わると型紙からやり直しだ。入り口から出て、恐る恐る声をかける。


「いらっしゃいませ、ゲオルグさん。素材かデザインの変更でしょうか」


 国の英雄に向かって不敬極まりないが、依頼を引き受けたときに「くだけた口調でいい」と言われていた。爵位を持っているのは父親で、自分はただの兵士だからと。


 ラスタ王国は身分制度が緩いとはいえ、「本当にいいのか?」と思わなくもないが、客が望むのなら従っておこう。その方がこっちも楽だし。


「いや、変更はないよ。ちょっと近くに寄ったものだから……」


 そこでゲオルグは言葉を切り、バツが悪そうに兜を撫でた。アルティの出で立ちを見て、作業中だと気づいたようだ。


「すまない。仕事の邪魔だったな」

「いえ、これから始めようと思っていたところです。順調にいけば一週間後には試着できますよ」

「本当か? さすがシュトライザー工房だな」


 ゲオルグの目が嬉しそうに輝く。顔がなくともデュラハンは感情豊かだ。涙も流すし、鼻もないのに鼻を啜ったりもする。実は客が激減して余裕があるだけとは、とても言えない。


 それで話は終わりかと思いきや、ゲオルグはちらちらとアルティの背後に視線を送りながら、大きな体をもじもじしている。もしかしたら、工房を見てみたいのかもしれない。


「よかったら、中をご覧になりますか?」


 お得意さまを増やすチャンスだ。愛想よく見学を促すと、ゲオルグは二つ返事でついてきた。うきうきと工房の入り口をくぐって感嘆の声を上げる姿は、まるでおもちゃを与えられた子供みたいで思わず顔が緩んでしまう。アルティより五歳も年上なのに。


「凄いな。見慣れないものがたくさんある。工房ってこうなっているんだな」

「国軍や騎士団に卸しているところは、もっと広くて、魔機や魔具もたくさんあるんですけどね。うちは二人だけだし、ほとんどオーダーメイドなんでこれで十分なんです」


 物珍しげにあたりを見渡すゲオルグを先導しながら、簡単に中の説明をしていく。


 左手前から順番に、地下の資材倉庫に続く階段、作業台、研磨台、旋盤、ボール盤が壁に沿うように並んでいる。右手側には手で棒を押すタイプの差しふいごと炉。そして魔石バーナーと溶接台がある。空いた壁面には鋼板を叩くときに使う打ち金や金槌を所狭しと飾っている。


 炉の近くにはクリフとアルティの金床と木台を左右対称に置き、狭いながらも十分に動線を確保できるよう工夫していた。


「一番奥にある扉は? まだ先があるんだろうか」

「あれは勝手口ですね。向こうはこのあたり一帯の公共の中庭で、路地から表の道に出られるようになっています」


 錆の浮いた大きな鉄扉の引き戸を開けると、眩い日差しに照らされた中庭が姿を現した。


 中央の井戸の周りには物干し竿や椅子、ダイニングテーブルなどが設置されていて、近所の職人連中の憩いの場として活用されている。雨が降っても大丈夫なように、開閉式の屋根までついている充実ぶりだ。クリフ主導のもと、職人たちが金と技術を合わせて作ったものだが、違法なので大っぴらには言えない。


「勝手口のそばに置いてある、大きな四角い箱は?」

「仕上げ用の魔石炉と冷却炉です。通常は高温の炉で焼き入れと焼き戻し――金属を硬くする処理をするんですが、ルクレツィア鋼の場合は冷やして硬化させるんです」

「加工中に抜けた氷の魔素を補填するためか?」


 さすが氷魔法使いだ。理解が早い。頷くとゲオルグは感心した様子でため息をついた。


「はー……色々と考えられているんだな。びっくりしたよ。軍の駐屯地にも工房や整備工場はあったけど、こうしてまじまじと見るのは初めてだから」


 ピンからキリまで人材がひしめく国軍の中でも、ゲオルグは大貴族のご子息で、その上ゴリゴリの戦闘職種だ。裏方の仕事を見る機会はあまりないのだろう。


「あの……。そろそろ作業を始めようかと思うんですが……」


 それとなく退出を願うと、ゲオルグは「邪魔はしないから作っているところも見学したい」と言った。


「ひたすら叩いているだけなんで地味ですよ? 火を使うから暑いし、金槌の音はうるさいし……」


 暗にやめておけと仄めかしてみたが、それでもゲオルグは見学を希望した。仕方ないので作業台のそばに立てかけていたパイプ椅子を広げ、二階のキッチンから持ってきた来客用のアイスコーヒーを差し出す。


 ゲオルグの口には合わないかもしれないが、普段水しか飲まないシュトライザー工房では最上級のおもてなしだ。


「暑くなったり、音に耐えられなくなったりしたら遠慮なく出てくださいね」


 体を丸め、ちんまりと椅子に座るゲオルグに声をかけ、アルティは作業を再開することにした。


 金床に置いた鋼板に金槌をまっすぐに振り下ろす。焦って早く叩きすぎても、遅くてもいけない。一定の力でリズムよく叩くのがコツである。


 工房によっては身体強化の魔法紋を刻んだ金槌や、プレス機を使うところもあるが、クリフの方針が「店が吹っ飛ばされても己の力で金槌を振るのが職人」なので、ここでは普通の金槌しか使わない。


 金槌を振るうたびに腕に衝撃が伝わり、イヤーマフ越しでもカン、カン、と甲高い音が聞こえる。住宅街でやった日には「うるさい!」と怒鳴り込まれること確実だろう。


 ちら、とゲオルグを見たが、彼はストローからアイスコーヒーを啜りながら、のんびりとこちらを眺めていた。ひょっとしたら暑さも騒音も戦場で慣れているのかもしれない。


(これなら心配ないか)


 ほっと息をついて視線を手元の鋼板に戻す。金槌を振い始めたらよそ見をするな、というのがクリフの教えだ。


 それからどれぐらい叩いていただろうか。


 ふ、と我に返ると中庭がオレンジ色に染まっていた。集中したおかげで頭頂部の丸みはできてきたが、まだまだ工程は残っている。


 額に浮いた汗を腕で拭い、反り返るように腰を伸ばしたとき、作業台の前にうずくまる影に気づいてぎょっとした。ゲオルグを放置していた事実を思い出し、慌てて駆け寄る。


 魔法で作ったのか、空になったコップには涼しげな氷がいくつか入っていた。


「すみません! まだいらっしゃるとは思わなくて……!」

「いや、見たいと言ったのはこちらだから気にしないでくれ。職人って凄いな。ただの金属の板が徐々に兜の形になっていくのが面白かったよ」


 こちらの動揺を意に介さず、ゲオルグは椅子から立ち上がると優しげに目を細めた。


「出来上がりを楽しみにしているよ。今度こそ定着しそうで嬉しいな」


 その言葉を裏切るまで、さほど時間はかからなかった。

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