2話 英雄の依頼

 冷風機のゴウゴウ唸る音がうるさい。


 壁につけるタイプの魔機で、大きさは前ならえした幅より少し広いぐらいの長方形。白色がメインになった今では珍しい茶色のものだ。設置してから二十年近く経っているというし、そろそろ寿命なのかもしれない。


「頼むから壊れないでくれよ……」


 カウンターの椅子に座り、習作の兜に色付けしながら祈るように呟く。


 夏場の店内は暑い。火を落としたばかりの炉の熱が背後から伝わり、座っているだけで汗が吹き出してくる。その上、スライムが蒸発するほどの夏日が続く今の時期に冷風機が壊れでもしたら、たちまち灼熱地獄になってしまう。というか冗談抜きで死ぬ。


 こういう大型の魔機は目玉が飛び出るほど高い。経営はそれなりに順調といえども、ポンと出せる金額ではなかった。


「……よし、こんなもんかな」


 完成した兜を窓際の日差しにかざす。鮮やかなコバルトブルーが目に眩しい。色付けだけは少し自信が持てる。染色師の姉たちの手伝いをしているうちに、色彩感覚が磨かれたのかもしれない。


「ちょっと派手かもしれないけど……。最近のデュラハンはオシャレ嗜好だからいいよな」


 真っ赤な鎧兜を注文したラドクリフの姿を思い浮かべ、アルティは口元を緩めた。


 デュラハンは様々な種族が集うこの国でも特に変わった存在だ。全身をくまなく鎧で覆い、首から上がない。顔にあたる部分には闇が広がっていて、兜を被ると一対の青白い光が宿る。フルプレートに身を包んだ首なし騎士を想像するとわかりやすい。


 アルティのような脆弱なヒト種とは比べ物にならないほど強くて、魔法にも長けているため、必然的に軍人になるものが多く、国の中枢にいる武官は大体デュラハンたちだ。


 もちろん女性体もいるが、彼女たちは家で雇った専属の職人に製作を任せることが多く、ここに依頼するのは主に男性体だった。他の工房も似たようなものだろう。いずれは女性客も確保したいと思いつつも、妙案が浮かばないのが現状だ。


「師匠がいないと静かだな……」


 店の中に客の姿はない。クリフが旅に出た話がご近所中を駆け巡った途端、パタっと受注が止んでしまった。簡単な修理依頼は入ったものの、いかにアルティの腕が信用されていないかが証明されたようで悲しい。


「まあ、難しい依頼がきても困るんだけどさ……」


 愚痴をこぼしたとき、ドアベルがカランカランと軽やかな音を出した。お客さまだ。兜をカウンターに置き、玄関に目を向ける。


「いらっしゃいま……せ……」


 そこに立っていたのは、聳える山のように背が高く、目を見張るほど立派な体格をしたデュラハンだった。さぞや腕のある名工が作ったのだろう。夏の日差しを浴びて燦然と輝くコバルトブルーの鎧は少しデザインが古びていたが、それ一つで冷風機が何十個も買えるぐらい価値のあるものだとわかった。


 亀の甲羅のような肩当ては流麗な曲線を描き、ともすれば威圧感を与えがちな立ち姿を美しく見せている。二の腕から籠手までを覆う鱗状の板金も、装着者の動きを阻害しないよう考えて配置されていて、その繊細な仕事ぶりに感心するばかりだ。


 鎧の全面に施された落ち着いた金色の装飾もセンスがいい。よく見れば、実用性重視で無骨になりやすい脛当てにも同じ装飾が施されていた。


 それに何より、目を引くのは鎧と同じ色をした兜だ。顔の闇全面を覆うものではなく、ヘルメットに頬当てとT字の鼻当てがついた形で、頭部の両側面からは鹿の角状の突起が伸びている。そして、その中間部分に取りつけられた白いシルクの細布が冷風機から噴き出す冷気に当たり、ポニーテールみたいにそよいでいた。


 図書館の図鑑で見るような芸術品だ。接客も忘れてごくりと唾を飲む。ここにクリフがいればさぞや喜んだだろうに。


「ここはシュトライザー工房で間違いないだろうか」

「あ、は、はい。そうです。間違いありません」


 見惚れている場合ではない。店を任された以上、きちんと仕事をしなくては。


「兜の修復依頼をしたいんだが」

「かしこまりました。ええと、失礼ですが、今お被りの兜でしょうか……?」

「ああ、そうだ。ここ最近、うまく定着しなくてな。再定着をお願いしたい」

「再定着ですか……」


 受け取った兜をチェックしながら、内心唸り声を上げる。


 頭のないデュラハンに兜を固定するには、定着の魔法紋とデュラハン自身の魔力を結びつける必要がある。一度定着すれば滅多に落ちなくなるし、つけ外しも自由だ。


 再定着とは、何らかの理由で定着力が弱まった兜をもう一度定着し直す技術である。新品と違って兜自体に元々の癖が染みついているため、しっかり定着させるには熟練の腕がいる。


 昔はありふれた技術だったようだが、古いものを長く使うという価値観が廃れつつある現代では、扱える職人はあまりいない。この界隈ではクリフぐらいだろう。


 つまり、今のアルティにはとても手に負えない依頼だった。


「申し訳ありません。再定着を行えるものが旅に出ていまして……」


 事情を説明すると、デュラハンは顎あたりの闇に手を当て、おそらく首を傾げる仕草をした。


「では、新しく製作してもらえないだろうか。それが無理なら既製品でも構わない。とりあえず仮のものでいいから、一カ月後には必要なんだ。急がせる分、報酬は弾む」


 提示された金額に目が丸くなった。新品の冷風機を買っても十分にお釣りが出る金額だ。再定着ではなく、かつ仮のものでいいのなら、すでに出来上がった既製品が山ほどある。こんなに美味しい仕事はない。


(でも、待てよ)


 これほど立派な鎧兜を持つデュラハンだ。きっと由緒ある家の出だろう。わざわざ仕立てたり既製品を買ったりしなくても、もっといいものを持っているはずだ。


「失礼ですが、お名前をお伺いしても……?」

「ああ、すまない。申し遅れたな。私はゲオルグ・L・リヒトシュタインだ。北方で特別混成旅団を率いていた。グリムバルドにはつい先日、戻ってきたばかりだ」

「えっ、リヒトシュタインって……。あ、あの四大侯爵家の?」


 リヒトシュタインは古い歴史を持つ名門貴族で、先祖代々武官を輩出している家系だ。現当主――ゲオルグの父親であるリヒトシュタイン侯爵も、王家の剣と異名をつけられるほどの武功をいくつも立てている。


 それに北方の特別混成旅団といえば、ラグドールとの戦争を終結させた功労者たちだ。その指揮官であるゲオルグは、もはや国の英雄と言っても相違なかった。


 道理で芸術品レベルの鎧兜を身につけているわけである。予想もしない大物の登場に、アルティは背中に冷や汗が伝うのを感じた。


「そ、そんな方が何故うちに……。それこそ、国宝級の兜だってお持ちでしょうに……」

「駄目だったんだ」

「え?」

「家にある兜を全部試したんだが、どれも定着しなかった。だから、新しく作ってもらうか、別のものを試すしかないんだよ」


 まさかの事情に、腕を組んで眉を寄せる。


 そもそもデュラハンにとって、本来頭部は必要ない。生存に必要な臓器は全て胸部に集まっているからだ。しかし、大抵のデュラハンはアイデンティティの確立のために頭=兜を身につけている。つまりは兜に対するこだわりも他種族より強いわけで、それにいかに沿えるかは職人の腕の見せ所だ。


 聞けば、一カ月後に迎える凱旋式のために、どうしても兜を定着させたいのだという。


 大勢の前で頭をポロリさせる事態を避けたい気持ちはよくわかるし、職人としても、そんな華々しい場に自作の兜を被ってもらえるのは誇らしい気持ちもある。


 しかし、やはり荷が重い。家のものが全て駄目なら、既製品でも駄目な可能性が高い。兜の定着は本人の気質に大きく左右される。大雑把なタイプは何を被ってもすぐに定着するが、繊細なタイプは少しでも合わないとうまく定着しない。


 話を聞く限り、ゲオルグは後者なのだろう。となると、好みや首のつけ根にぴったり合う兜を製作する必要があり、とても彼が言う「仮のもの」の範疇には収まりそうもなかった。


「申し訳ありません。俺はまだ半人前の身でして、お客さまのご要望にはお応えできないかと……」

「そこをなんとか頼む。他は全部断られて、もうここしかないんだ」


 アルティの手から兜を取り上げたゲオルグが己の首に乗せる。T字の鼻当ての両側に浮かんだ青白い光――デュラハンにとっては目にあたる部分がアルティをまっすぐに見つめた。


「我がリヒトシュタイン家の名誉を守るためにも、どうか、どうか力を貸してくれ」


 縋るようにぎゅっと両手を握りしめられ、二の句が継げなくなる。


 ゲオルグの大きな手は、分厚い籠手に遮られているのに、何故かとても温かくて柔らかいものに感じた。

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