4話 完成にはほど遠い

 細いステンドグラスが嵌まった焦茶色のドアを開く。


 シュトライザー工房を一回り小さくした店内には隙間なく本が積まれ、その中に埋もれるように小さなカウンターが置かれている。周りを見渡しても持ち主の姿はない。まだ朝方だから奥の部屋に引っ込んでいるのかもしれない。軋む床を踏みしめながら、やや大きめに声を上げる。


「レイ、いる?」

「いるよー。ちょっと待ってね」


 ガタッと痛そうな音がしたあと、翡翠色の目を持つ男がカウンターの下から顔を出した。頭をぶつけたせいか、アップにした金髪がやや乱れている。目が眩むような美青年だが、ハーフエルフなのでアルティよりもかなり年上だ。確か今年で百二十歳だと言っていた気がする。


「ごめん。忙しかった?」

「ううん。溜まった新聞の整理をしてただけ」


 頭をさすりながら、レイは新聞の束をカウンターに置いた。ものすごい量だ。さぞかし古紙回収業者が泣いて喜ぶだろう。


 レイは海千山千の職人たちが蠢く職人街の中でも、特に腕利きの魔法紋師だ。


 魔法紋とは魔法を言語化したもので、魔力を注ぐか、対応した属性の魔石を使用すると記述された事象が起きる。魔法を使うには相応の魔力が必要だが、あらかじめ魔法紋を書いておけば、発現までの過程が省略されて必要量を軽減できるため、なくてはならない技術なのだ。


 店にある魔石灯もそうだ。紐を引くと光属性の魔石が、魔語で「光を灯す」と刻まれた魔法紋に触れて魔力が流れ、明かりがつくようになっている。


 魔法紋師は魔法紋を専門に扱う職業で、魔機や魔具を作る魔技師と組んで仕事をすることが多い。つまり業種は違えど、アルティとは職人仲間だった。


「朝からなんの用? こないだの飲み会のお金は返したはずだけど」


 ご近所さんのよしみで、レイとはよく酒を飲む。前回はレイがべろんべろんに酔っ払ってしまい、アルティが立て替えたのだ。


「取り立てじゃないよ。ちょっと相談に乗ってもらいたくて」

「ひょっとしてリヒトシュタイン将軍のあれ? 噂になってるよ。シュトライザー工房が貧乏くじを引いたって」


 からかいを含んだ言葉に渋面を浮かべる。他の工房に断られた時点で予想はしていたが、改めて言われると己の浅はかさが浮き彫りになって悔しい。賢い先輩諸氏は一筋縄ではいかない仕事だとわかっていたのだろう。


「手に持ってるの、依頼で作ったやつでしょ。いい感じなのに定着しなかったんだ?」


 抱えた兜に視線を落とし、さらに眉間の皺を深くする。レイの言う通り、ゲオルグに試着してもらったがまったく定着しなかったのだ。自分では渾身の出来だと思っていただけに、落胆度合いもひとしおだった。


「被り具合も素材も問題ないって言われたし、あとは魔法紋しか思いつかないんだ。俺は魔法紋師じゃないから、細かい違いがわかんないし」

「いいよ。貸してみ」


 レイが兜の中を検分する。その表情は真剣だ。普段はとぼけていても、魔法紋の知識でレイにかなうものはいない。


「魔法紋に不備はないね。他のデュラハンに被せたら、ちゃんと定着すると思うよ。これはリヒトシュタイン将軍側の問題だろうね」

「うーん……。でも、魔力が弱まったわけでも、体調が悪いわけでもないんだよなあ。それ以外に定着力が弱まる理由ってわかる?」

「わかんない。本人も気づいてないんじゃない? 魔力が強い種族はメンタルが直結しちゃうからね。なんとなく嫌ってだけで、うまく力を使えなくなるのはよくある話だよ。エルフなんて、ストレスがかかると早く老けちゃったりするし」


 確かに、レイよりも若いのにクリフより老けて見えるエルフをたまに見かける。それをエルフの中では「哀しみの時渡り」というらしい。デュラハンはエルフに次いで魔力が強い種族だ。同様の現象がゲオルグにも起こっているのかもしれない。


「前の兜とはデザイン変えてないんだっけ。思い切ってガラッと変えてみたら? 案外、好みが変わっただけかもしれないよ。アンケートとったんでしょ?」


 シュトライザー工房では、製作に入る前に客にアンケートをとって要望のすり合わせを行う。納品時の「思っていたのと違う」を避けるためだ。ゲオルグの年齢もそれで知った。しかし、肝心の「どんな形にしたいか」「どんな色や素材が好きか」など細かく要望を書いてもらう欄はほとんど空欄だったのだ。


「特に好みも希望もないって。ただ『凱旋式にふさわしい威厳のあるものを』ってだけ」

「うわ……。一番困るやつだ」


 似た経験があるのか、レイが顔をしかめた。


「再定着ができたらよかったんだけど、師匠はまだ帰ってこないしさ」

「ああ、ウィンストンまで鉱物取りに行ってるんだっけ。相変わらずフットワーク軽いよね。ハーフドワーフの九十六歳って、結構いい歳だと思うけど」


 まったくもってその通りだ。少しは落ち着いてほしい。


「そもそも再定着って具体的にどういう技術なんだろ? 兜に癖がついてて、熟練の腕がいるってのは知ってるんだけど、師匠に聞いても『まだ早い』って教えてくれないんだよ」

「お? レイさまの授業聞いてく?」


 アルティの疑問にレイは生き生きと目を輝かせた。魔法紋を極めたくて故郷を飛び出し、西方の果てにあるリッカの魔法学校の門を叩いたほどだ。魔法オタクの気がある。


「この世界に満ちている最小の物質が魔素。これはわかるよね?」


 長くなりそうなので、本の山から発掘した小さな椅子に座り、黙って頷く。


 魔素はありとあらゆる場所に発生し、一定量を超えると属性効果を生む。たとえばルクレツィア鉱石のように、氷の魔素を多量に含んだものは氷属性を帯び、触るとひんやり冷たかったり、熱に弱かったりする。


 中には鉄みたいに魔素の含有量が少なくて属性効果を示さないものもあるが、それらは便宜上無属性として区別されている。


「体内に取り込んだ魔素は、魔法を使うためのエネルギー……魔力に変換される。この魔力が一定量まで達すると、属性を帯びて属性魔法を使えるようになるんだ。魔力は種族によって容量と溜めておける期間が変わってくる。ヒト種に魔法を使える人が少ないのは、すぐに抜けちゃうからだね。逆に魔物は体内に魔力を長く溜めておける器官があるから、死んでも魔石が残りやすい」


 魔石は魔力が凝縮されて目に見えるようになったものだ。現在では「取り込んだものや魔素で核を作る」というスライムの習性を利用して作られた人工魔石が主流になっているが、当然天然ものの方が質が良い。だから傭兵などは貴族に売るために強力な魔物を狩りに行く。


「それとは別に、生き物には生まれつき生命力が備わってるよね? これもエネルギーの一種だから生命魔法が使える。この兜の定着魔法もそうだし、身体強化や治療魔法なんかもそう。でも、属性魔法と同じでヒト種は生命魔法を使えるだけの生命力を持たないから使える人は少ない。僕も貧弱だから使えないし」


 レイはヒト種換算だと二十歳ぐらいだが、体格はアルティと大差ない。魔法紋なしで生命魔法を使えるのは、生命力にあふれた若者かマッチョに多いという。ヒト種といえど一応若者なので、鍛えればアルティも使えるようになるかもしれない。


「聖属性や魔属性みたいに感情の正負のエネルギーもあるんだけど……」

「それはまた今度教えてよ。頭痛くなってきた」


 これ以上知識を詰め込むとパンクしてしまう。泣き言を漏らすと、レイは「しょうがないなあ」と残念そうに呟き、ようやく本題に入った。


「つまり、個人の魔力ってのはいろんなエネルギーが複雑に絡み合ってるわけ。で、再定着って魔法紋に染みついた魔力――君が言う兜の癖を抜いてまっさらな状態に戻すことなんだけど、エネルギーによって抜き方が違うから、魔力を分析する必要がある。それが難しいんだよ。古いものだと前に使ってた人の魔力が残ってるから特にね。時間をおけば徐々に抜けるんだろうけど、そんなの待ってるうちに寿命がきちゃうしさ」


 エルフの寿命が尽きるには千年かかるという。もしハーフエルフ基準だとしても五百年だ。アルティが生きているうちにゲオルグの魔力が抜ける可能性はまずない。


「その分析ってやつ、レイはできないの?」

「残念だけど無理だね。限られた種族しか魔法を使えなかった頃ならともかく、人工魔石にあふれている今じゃ、ほぼ不可能に近い。分析しようとしても周囲の魔力に影響されてわけわかんなくなっちゃうんだよ。なんで君のお師匠さんはできるんだろ?」


 それはこっちが聞きたい。どちらにせよ、今のアルティには過ぎた技術だ。つい愚痴がこぼれる。


「当時の職人たちが詳しい方法を残してくれてたらよかったのになあ」

「仕方ないね。技術って使わないと廃れていくもんだから。お師匠さんから教えてもらう日が来たら、君が残せばいいじゃん」

「そんなに簡単にいけば苦労しないよ」


 明るく笑うレイに苦笑して、アルティは椅子から立ち上がった。


「ありがとう。まだ納期には間に合うし、もう一つ作ってみるよ。今度はデザインを変えてもいいかって、ゲオルグさんに提案してみる」

「無理しないでよ? 君はいつも自分を追い込むんだから」


 集中すると寝食を忘れる悪癖のことだろう。クリフが不在の今、工房で倒れてもすぐに気づいてくれる人はいない。自己管理も仕事のうちだ。ゆめゆめ注意しよう。


「行き詰まったらまたおいでよ。愚痴なら、いくらでも聞いてあげるからさ」


 友人の気遣いに背中を押されながら、アルティは店を後にした。


 両手に抱えた兜がずっしりと重く感じる。完成への道のりは遠いが、一度引き受けた依頼を達成するには金槌を振るうしかない。


 それが職人なのだから。

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