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久しぶりに職場に行くと、早速課長に声をかけられた。
私は顔を合わせた瞬間、頭を下げて謝った。
「すいません。体調不良と言って何日も休んでしまって……」
正直、怒られると思っていた。
しかし、思いのほか気に留めている様子はなく、気にしないでと軽やかに手を振った。
「仕方ないよ。メニエールでしょ? 鹿山さんぐらいの女性にはよくあることって聞くし、後はうまくバランスとって頑張ってくれたらいいから。でさ、実は鹿山さんが休んでいる間に社員登用の話が上がってね、うちからも何人か推薦をしようと思ってるけど、鹿山さんはどうかなぁ? 登用希望者は最低、7.5時間働くことが条件だから、仕事時間増やしてもらう必要があるけど」
社員登用。
確か、ループする前にもそんな話が出ていた。
最初は悩んで、辞退したが、夫と喧嘩してからは受けると自ら志願したはずだ。
しかし、今の私に社員登用の話を受けている場合ではない。
受けたところでこのままでは夫に殺されて終わりだ。
階段で突き落とされることを回避しても、夫の殺す目的が分からない以上、別の方法を取られる可能性があるのだから。
むしろ、私はパート以外にやらなくてはいけないことたくさんあった。
お金のことを考えると苦しいが、課長に相談してみることにした。
「今は家庭の事が忙しくて、社員登用を受けるほど時間をさけることができないので申し訳ありませんが辞退します。それよりも、メニエールが最近ひどすぎて、こうして度々休んでしまうことになりそうなので、仕事時間の短縮をお願いしたいのですが」
わがままを言っているという自覚はあった。
しかし、それ以上の反応が課長から飛んできた。
「鹿山さん、そういうのはさぁどうかと思うんだよね? 皆さ、我慢して残業してくれたり、無理してきてもらってるの。体調悪いのもさ、家庭が忙しいのも鹿山さんだけじゃないんだよ。病気の事わかってるならさ、それを少しでも和らげるとか、何かしら対策して、定時の時間帯で働くのが社会人の常識でしょ? 鹿山さん、学生アルバイトじゃないんだからわかるよねぇ」
課長は怒鳴りつけたりしないし、一見優しそうに話す。
けれど、これは立派なパワハラだ。
前から思っていたが、自分に都合の悪い話をすると彼は態度をいきなり変える。
それを引きずるということはないが、落ち着いた声で攻めて、こちらの言い分を聞こうとしない。
そして最後は不満なら辞めてもいい。
それも君の責任だよね、で終わらすのだ。
場合によっては、私も職場を変えることを考えなくていけなくなりそうだ。
私はそのまま課長から離れて、仕事を始めた。
同じパート仲間の人は心配してくれたが、プライベートまで突っ込んで聞いてくる人はいなかった。
今は、その方が助かるのだけれど。
今朝方、和が家から出た後、和の担任に連絡をして仕事帰り学校に寄らしてほしいとお願いした。
パートが終わる時間は遅かったが、担任は快く受け入れてくれた。
最近はそうやって子供の事を熱心に相談する保護者は少なくなったという。
問題が起きてから、突然学校に怒鳴りつけてきたり、電話を一本入れて転校させますや警察やメディアに訴えてやるなどという親は増えたようだ。
そして、私はパートが終わると急いで和の高校へ向かった。
学校に着くと校内にはほとんど生徒は残ってはいないようだった。
インターホンのようなものを押し、担任教師を呼ぶ。
担任教師はすぐに玄関先まで来てくれて、私に来賓用のスリッパを用意してくれた。
そしてそのまま、教室でお話をしましょうと和たちの教室に案内した。
担任教師は教室の電気をつけて、机を動かし、2つの机を突き合わすように並べた。
そして、奥の方の席にどうぞと進める。
私は言われたまま、その勉強机の椅子に座る。
「それで、今日はどうされました?」
担任教師は優しい声でそう聞いてきた。
ここまでくる間にも場を和ませようと、世間話をしてくれたり、何かと気を使ってくれていた。
相談場所を教室にしたのも事を大事にしたくなかったからだろう。
これなら保護者面談のような形で話ができる。
「あの、和の事ですが、学校ではしっかり勉学に励んでいるのでしょうか? 授業をサボっていたり、無断欠席したりなどしてませんでしょうか?」
私が心配そうに聞くと、担任教師は笑い出した。
そして、すいませんと謝る。
「おかしかったわけではありません。お母さんが心配するようなことはありませんよ。鹿山さんは真面目な生徒ですし、友人関係も良好のようです。科目によっては集中できていない授業もあるようですが、サボるなんてことは一度もありませんし、無断欠席すればすぐに保護者の方に連絡しますよ。生徒が直接休みの連絡を入れても、我々の学校のルールとして再度保護者に連絡を入れるようになっているんです。だから、安心してください」
担任教師はにこやかな声で答える。
教師から見て、和は特に問題があるような生徒ではないようだ。
その部分は安心した。
ただと担任教師は続けた。
「最近まではバトミントン部に入っていたんです。でも、突然、退部したみたいで、その理由は同級生の同じ部の子も知らないみたいなんです。急にやる気をなくしたと言い出して、学校が終わるとすぐに帰っているようなんです」
「和がですか?」
私は聞き返してしまった。
確かに和が真面目に部活をしている様子はなかった。
最近は荷物の中にラケットはなかったし、体操着が汚れていることも少なくなった。
いつもの面倒くさい病でサボっているのだろうと思っていたが、退部までしていたとは知らなかった。
それにしては、帰りが遅い。
「はい。正直、僕も驚いているんですがね。鹿山は割と真面目な生徒だし、部活も最後までやるものだと思っていましたから。昔はもう少し、余裕があったというか、放課後も友達同士で談笑しながら教室に残っていたり、みんなで一緒に下校したりしていたみたいなんですが、最近はそうでもないんですよ。僕も放課後のクラスを見ても、鹿山が教室に残っているところを見たことがない。ホームルームが終わったら、急いで帰っているようなんです。私はずっと家庭で何かあって、帰っているのだと思っていたのですが、違うんですか?」
私は何も言えなかった。
担任教師もその部分は気に留めてくれているようだった。
だから、私が突然和について聞きたいことがあるといっても驚かなかったのだ。
むしろこの担任教師からすれば、家庭の方で問題があるのだと思っていたらしい。
では和は何をしているのだろうか。
私はずっと学校の友達とだらだら学校で過ごしていたり、街中で遊んでいるものだと思っていた。
しかし、その遊んでいる相手が学校の生徒ではない。
しかも、その相手を教師も同じ部活のメンバーも知らないようなのだ。
私は嫌な予感しかしなかった。
だからと言ってこんな話を担任教師に話せば余計心配するだろうし、私が調べていることも和には知られたくなかった。
私は和にはいろいろ苦労させているかもしれませんと言いつつ、また気になる行動が見えたら連絡をくださいと言って、今日はひとまず教室を出た。
そして、頭の中で悶々とさせながら、私は家路に向かった。
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