6
三滝が私にどんな情報を突き付けてくるのか私にはわからなかった。
ただ何度か夫のいないところで色目を使って、デートに誘われたことは何度かあった。
三滝は私に特別興味があるわけではない。
夫に不満を持っている妻たちを食い物にしているのだ。
私は三滝のそういうところが嫌いだった。
しかし、提案してきたのは肉体関係などではなかった。
私の前に一枚の写真を見せる。
そこには高校生か大学生ぐらいの若い少年が写っていた。
私はこれが何なのだろうと見ていた。
「実はですね、この少年、私の知り合いの方の娘さんの彼氏みたいなんですが、その調査を依頼されていたんですよ。どうもこの少年にはいい噂がないもので、裏でヤバい商売をやっているとかいないとか……。で、半日でいいんですよ。いや、3時間でもいいです。昼間、彼の動向を探っていただきたい?」
「動向を探るって、私が?」
私は私を指さした。
三滝は頷いて見せる。
私がそんな探偵みたいなこと出来るはずがないだろうと思った。
「昼間にね、私みたいなおっさんがフラフラしているより、主婦の方が何かと目立たないんですよ。彼の動きはだいたい把握していますからね、決まった場所に行き、決まった時間に彼を待ち伏せしてくれたらいい。その後、数時間尾行して、彼らがどんな場所に行き、どんな話をしているのか聞いて来てほしいんです」
「そんなの無理です! 尾行なんて、私、やったことないですし……」
私は思いっきり首を振った。
私みたいな素人が尾行しなんてしたらすぐばれてしまうし、話が聞こえるほど近づけるとは思えない。
「大丈夫ですよ。危ない場所にまでついていけとは言いませんし、無理に話を聞くために接近しろとも言いません。必要なものはお渡しします。どのみち、旦那さんの事を自分で調べるおつもりなのでしょう? これは本番のための練習だと思って付き合ってくださいよ」
確かに、探偵や三滝に夫の尾行を頼めないのだから、夫の事を調べるために自分が尾行せざる負えなくなるだろう。
しかし、そのための練習と言われても、人様の子供を探るなんて気が引けた。
この子がどんなことをしているのか知らないが、子供の事によその家の大人が突っ込むなんてことしてもいいのだろうか。
しかも、夫の浮気の証拠を集めるための交渉材料に使うなんて。
その少年には何の関係もないというのに。
「彼の動きはだいたいの把握しているんです。来週の木曜日、彼は午後の授業をサボって、学校にも通っていないフリーターの少年たちと集ってどこかに行きます。大半はカラオケかショッピングモール、ゲームセンターですね。そこで何時間か潰して、次の目的地に行きます。それがどこなのか調べて欲しいんです。私ですとどうしてもね、目立ってしまって、警戒されるんですよ。それに比べて、主婦は平日街をうろついていても違和感はありませんからね、警戒されることもない」
彼はそう言って、私に一式が入った手提げかばんを私に渡した。
なんだか、段々断れない雰囲気になって来た。
私はそっとそのかばんに手をかけようとした。
しかしこれを見てしまったら、もう引き下がれない気がする。
それでも好奇心だろうか。
私はそのかばんの中身を覗いてしまった。
中には見たことのない機械がいくつか入っている。
「ICレコーダーと盗聴器、それにコンクリート集音マイク。後、小型カメラも入ってますね。説明書は全てかばんの中に入っています。使いやすいものを使ってもらえたら結構ですよ」
こんなものを揃えている三滝を不気味に感じた。
つまり、彼ならいつでもこれらを使って探りを入れられるということなのだ。
そのターゲットに自分がなると思いと、本当に恐ろしい。
私はぎゅっとかばんの布を掴んだ。
やるしかない。
たった3時間だ。
彼らが遊んでいる間にどんな話をしているのか聞けばいいだけの話。
そして、その後の足取りを掴む。
危険と感じたら、無理に追いかける必要はないのだから、できなくもないのではないかと思った。
何より、ここにある機材が尾行の際にどのぐらい使えるのか知っておきたかった。
そう、夫の浮気現場の証拠を掴むためにも。
三滝はそれを見て、にやりと笑った。
私が決心したのを悟ったのだろう。
「そう長くは時間を取らせませんよ。その1日、少年を尾行していただけたらそれで結構です。鹿山さんからの頼み事は私にとって簡単なものですからね。もし、何かしらの情報を得ていただけたら、こちらもそれ相応の情報を必ず奥さんにお渡しすることをお約束します」
私は黙って頷いた。
きっとこの三滝という男なら、夫の秘密の何かを探って来てくれるはず。
私はそう確信していた。
三滝はそろそろ時間なのでと、運ばれてきていたコーヒーを一気に飲み干し、伝票を持ってカウンターに向かった。
お金は自分で払うつもりだったのだが、ここは三滝の好意に甘えることにした。
私はもう一度かばんの中身を覗く。
確かに中には取扱説明書も一緒に入っていた。
私はそれに軽く目を通す。
多少読んでおけば、使い方もわかるだろうと思い、私は時間が来るまで喫茶店で時間をつぶし、家に帰った。
服を着替えて、昨日やり損ねた家事を始めた。
洗濯物も2日分あり、いつもより時間がかかった。
洗濯機を回している間に掃除機をかけて、トイレ掃除を済ませる。
トイレを汚すのはいつも夫なのだから、たまには夫がしてくれてもいいのにとトイレ掃除をするたび不満に思っていた。
洗濯が終わり、服を干して、少しまったりしていたタイミングで和が帰って来た。
ただいまも言わないまま、部屋に直行する。
私もこれ以上、火に油を注がないようにほっとくことにした。
とりあえず、和が家にいてくれれば安心できるのだ。
どうせ、勉強もしないで携帯でネットを見たりしているのだろうが、今日は咎めるのを辞める。
私も隠していた鞄の中から尾行グッズから説明書を取り出し、軽く目を通した。
使い方は割と簡単だった。
ICレコーダーはマイクを相手側に向けて録音ボタンを押せばいいだけだし、盗聴器はこの小さな箱のようなものを対象者の近くに置いて、専用の受信機で聞けばいいだけだ。
しかし、これを使うためには対象者に接近する必要性がある。
そうでなくても対象者がいない間に身近な場所に置けないし、あとで回収するのも難しそうだ。
そして、こんなものが存在したと初めて知ったのはコンクリート集音マイクという機械だった。
これはコンクリートの壁の向こうの部屋の声を聞けるものである。
もし、カラオケボックスなどに入れば、私はこれを使って隣の部屋の会話を聞けると言う事らしい。
なかなか使えるなと思いながら、説明書を読んでいると、突然和がリビングに入って来た。
私は慌てて説明書をクッションの下に隠した。
「和、どうかしたの? お腹でもすいた?」
私がそう話しかけても、和は何も言わなかった。
和は一度へそを曲げると長い。
直ぐには機嫌が戻らないのだ。
和は黙って冷蔵庫の中を開けて、紙パックのジュースを取った。
それを持ったまま、また自室に籠る。
夫の事も心配だが、娘の事も同じぐらい気がかりだった。
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